百四十六話
外ではじきに日が落ちようとしていて、オレンジ色の光が食堂内を照らしていた。
周囲に避難民はおらず、ぽつりぽつりと自衛官がいるのみとなっている。
正面に座る那須川さんが食事の最後の一口を片付けるのを見て、相変わらず食うのが早いことだと思いながら、俺は目の前に置かれたパスタに箸を伸ばした。
行儀悪くもズルズルと啜るようにそれを口の中に入れる。
フォークでやっているわけではないのだから、これくらいは許して欲しい。
「……柳木さん、いつもすみません」
一塊を口に入れたところで、那須川さんが申し訳無さそうに眉を下げてそう言った。
「……ん?」
「作業を任せてしまっている上に、毎度物資も大量に持ってきていただいて」
口の中に残っているものを咀嚼して飲み込むと、傍に置いてあったペットボトルの蓋を開けそれを流し込む。
ごくりと喉を鳴らし一息つくと、俺は口を開いた。
「あぁ、そのことか。気にするなとは言わん。大いに、気にしてくれ」
内心は本気なのだが、冗談めかしてそう言いながら笑う。
俺は先程外での仮のバリケード設置作業を終えて、そのままいつものように大型トラックに大量の物資を積んで駐屯地に戻ってきた。
偶然、なのかは知らないが、その迎えには那須川さんがおり、共に物資の搬入作業と自衛隊本部への報告をして、今に至る。
「はい。本部の方でも、凄く感謝していました。勿論、自衛隊の皆んながそう思っています」
言葉と共に、那須川さんは真っ直ぐに俺を見た。
わざわざ冗談のように言った手前、そんな反応を返されては肩をすくめて苦笑するしかなかった。
「……柳木さん。やっぱり避難民の方々には、力を明かすのは、ダメなんでしょうか」
「……」
「きっと、避難民の方々も、凄く感謝してくれるはずですよ」
一瞬、突然なにを言い出すのかと思った。
俺は以前から、顔もよく知らない一般人にまでこの力を知られたくない、と考えていた。
それは自衛隊と違い、ただ守られるのが当たり前と思っているであろう彼らにそれが伝われば、色々と面倒くさいだろうと思うからだ。
具体的に言えば、そんな力があるのならこれをしてくれ、あれをしてくれと、また異世界にいた時のように様々な要求をされるのではないかと懸念している。
そんな理由から自衛隊内でのみ話を共有する分には構わない、と言っていたはずなのに、彼は何故そんなことを言い出したのか。
ひとつ、思い当たる節があった。
「……織田さん達のことで、何か、あったか?」
「相変わらず、察しがいいですね……えぇ、他の避難民の方から、ちょっとばかり、疑問の声があがりまして」
困った顔で那須川さんは一度ため息をつく。
「なんで新しく来た人達は別のところで暮らしてるんだと、今日そんな声が届けられました」
……危惧はしていたことだが、思ったよりも早かったか。
一日二日であれば、身体検査をしていたとしてもゾンビ化への配慮から念のための隔離としていくらでも他の避難民への言い訳は出来るだろう。
だがもうここへ来てそろそろ一週間にもなるからな。
そんな疑問が湧いてきてもおかしくはない頃だ。
「……そいつに関しては、自衛隊でうまくやるように言ってあったはずだが」
「えぇ。あらかじめ決めていた通り、織田さんや警察官の方々は自衛隊の手伝いをしてくれていると言うことで、単に別の場所で寝泊まりをしているだけだと説明はしているのですが……それ以外の方々については、やはりどうにも疑問を持ったようでして」
「……」
「まあ、ごくごく少数からの声ですし、今日のところは、納得してもらったんですけどね……」
那須川さんが考えているのは、どんな形でかはわからないが、そのうちこれが大ごとになってしまわないか、ということだろう。
これまでの生活とは一変した生活を強いられて、避難民のフラストレーションは溜まりに溜まっているだろう。
もっとも俺に言わせればそれを守る自衛官の方がストレスは溜まっているだろうが、そんなことを考えられない奴もいるだろう。
実際はデパートの面々も眠る場所が違うだけで、他の避難民と同じような生活をしているのだが、変な勘ぐりをするやつもいるのかもしれない。
そうなった場合、非常に面倒なことになるのは明らかだった。
そしてだからこそ、俺がこの駐屯地に大きく貢献していることを明かして、いっそ俺の連れてきた面々だからと、他の避難民を納得させてしまうのはどうかと、那須川さんはそう言っているのだろう。
「織田さん達と元々一緒にいた面子だから、単にそれで同じ場所にいるだけだ、なんて理由もそう簡単には納得はできない、か」
「この先は、どうなるかはわかりませんね……」
「とは言え、そんなのは俺が力を明かしたとしても同じことだろう。それで特別扱いしてると思えば、それはそれで不満を持つ奴も出てこないとは限らんだろうさ」
つい、特別扱い、という言葉が口をついて出てしまい、顔をしかめる。
事実そのようなことにはなっているのだが、なるべくその言葉を使いたくはなかったからだ。
「そうでしょうか……少なくとも、先ほど言ったように我々自衛隊は柳木さんにとても感謝していますし、だからこそ柳木さんの言うことはなるべく聞き入れたいと思っています。柳木さんは嫌がるでしょうが、自衛官の中にはそれこそ、救世主だなんていう人もいるくらいです」
だが那須川さんはそんなことを気にもとめていないようで、それに一つ安堵する。
むしろ返された言葉の中に"そんな単語"が出るくらいだ。
ある意味俺の思惑通りに、特別扱いくらいして然るべきとでも思っているのかもしれない。
「きっと、避難民の方も同じような感情を抱くと思うんですけどね」
「そうだといいが……しかし救世主は、勘弁願いたいんだがな」
そう言って苦笑しては、傍にあったペットボトルから一口、水を口内に入れる。
俺のその返事に、那須川さんはそろそろ仕事に戻るのか、テーブルの上を片付けながら口を開いた。
「そう言えば。ナノハちゃんなんかこの前、柳木さんのことを本物のヒーローだ、なんて言ってましたね」
「んっ」
危うく吹き出しそうになった水分をごくりと飲み込んで、咳払いをする。
「あぁ、なんだかすみません……ナノハちゃん、昔から特撮ヒーローが好きだったんですよ。それもあるのかもしれませんが」
「……」
「ナノハちゃんと同じように、避難民の方々もそう思うんじゃないかな、と」
もう一度ペットボトルを手に取り、水を飲み込んで口元を袖でぬぐい、一息つく。
那須川さんの口から放たれた気恥ずかしい言葉と、むせたことにより、少々顔が熱い。
「……まあ。力を明かすかどうかについては、考えておく。結果的に、明かすことになるかも知れないしな。取り敢えずは、今まで通りそっちで対処しておいてくれ」
「わかりました。本部にも、そう伝えておきます」
「頼んだ」
「では、自分はそろそろ仕事に戻りますね」
そう言って食器をまとめた那須川さんが席を立つのを、気をつけてくれ、と見送る。
すでに周囲には先程までいた自衛官の殆どがいなくなっており、時間交代でまた新たな自衛官達が席へとついていた。
……それにしてもナノハは、そんなことを考えていたのか。
出会いから始まり、俺に向けられていた視線が随分と輝いていたような気がしたが、そういう意味だったんだな。
そう言えば駐屯地に織田さん達を連れて来たあの日も、いきなり撫でてだの言い出すものだから何かと思ったが、それも"憧れのヒーロー"に頭を撫でてもらいたかったとか、そういうことか。
彼女との幾度かの触れ合いを思い出して、またも気恥ずかしくなり頭をおさえる。
「……ヒーロー、ね」
一人テーブルに座る俺は、そんな似合わない言葉に苦笑いしながら、皿の上に残った一口分のパスタを口に入れた。




