百四十一話
「先輩。本当に、すみませんでした」
六階のスタッフルームの中、ドアの前でユキが俺に頭を下げていた。
その隣にいるシュウと、俺の後ろにいるカエデが、少し不安げな顔つきで俺とユキへと交互に視線を送っている。
「あぁ、大丈夫だよ。こっちこそ、気にさせてしまってすまんな」
ユキは先程、俺が本当に俺であるのか、というあの時の問い掛けについてを、謝ってきたのだった。
思いの外彼女はそのことについて気にしていたようで、俺は少々気恥ずかしさのようなものを感じていた。
というのも、そもそも俺は自身を以前の俺と同じだとは思ってはいない。
なのにユキはあの時と同様、俺のことをやっぱり以前と同じだなどと言っていたからだ。
ユキがそう言うのは、自衛隊を助けたと一応報告したからというのもあったのかもしれない。
「この話はもう終わりでいいさ。本当に、気にしていないんだからな」
「わかりました……それじゃあ、いこっか、シュウ君。先輩もカエデちゃんも、また明日」
「うん……おじさん、ありがとう。僕、頑張るね」
別れ際、そう言う幼い少年の頭に、優しく手を置く。
シュウがそんな言葉を俺に言ったのは、彼もまた俺に一つ謝罪のようなものをしたからだ。
いや、謝罪というよりも、懺悔をした、と言った方がより正確だろうか。
一週間前に俺が自衛隊を探しにデパートを出る前、シュウは俺へと感謝の気持ちを述べていた。
一度は気持ちが晴れたような顔つきをしていた彼だったが、どうやらその直後に"自分の犯した罪に気付いてしまった"ようだった。
それは父との死別に何かしら区切りがついて、少し心が落ち着いたからこそのものであったのかもしれない。
ともあれシュウは、"自分のせいで"カエデやユキが危険な目に遭い、そして警察官の一人が死んでしまったことに気付き、そしてそれを激しく後悔していた。
それは確かに事実ではある。
しかし同時にこんな幼い子供であるが故に、あのような行動を取るのは致し方ない部分もあるとも思う。
だが結局俺は、そんな彼に対し、そう思うなら今後は二度と同じことが起こらないようにしろ、という慰めの言葉とは程遠い言葉を突き付けた。
そして、死んでしまった警察官の分まで生きろ、と。
それはある意味では、罪を背負って生きろ、というのと同等の、およそこんな子供に対して言うようなことではない、冷酷な言葉であるのかもしれない。
だがおそらくは、彼の父親も同じような想いであるはずだろう。
カエデの父親のように、シュウの父親も、彼になんとしてでも生きて貰いたいと願っていたはずだ。
だから俺は、そのために常に冷静に考えて行動をしろ、とも付け加えた。
その言葉を受けて、意外にもシュウは素直に頷いた。
泣き腫らした瞳に強い決意の光を灯して。
「まぁ後は、なるべく無茶はするな。やれることをやるのが一番いいんだ。織田さんのようにな」
「うん……それじゃあ、また明日」
俺に頭を撫でられながら、シュウがまた強く頷く。
その様子を、ユキとカエデが真摯な眼差しで見ていた。
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静かにドアが閉まり振り返れば、カエデがじっとこちらに視線を送っていた。
そろそろ就寝時間となるのだが、こうして彼女の部屋にまだ俺がいるのは、また以前のように同室で過ごしたいとカエデが申し出たからだった。
俺が駐屯地に行っている間、カエデの身体について特に異常はなかったという話はすでに聞いている。
それでも念の為と、彼女はあの日以来就寝時はここで一人で過ごしていたようだった。
ゾンビ化については治ったであろう、という気持ちはあるものの、やはりそれでも、カエデにしてみれば眠るということに不安はまだあるのだろう。
自分が自分として目を覚まさないのではないかという、暗い想像がそう拭えるものでは無い。
そんな気持ちが理解出来るからこそ、俺はそれを承諾したのだった。
「アザミさん。シュウ君のこと、ありがとうございます」
「ん?」
「……私には、シュウ君に何かを言ってあげることが、出来なかったんです」
ふいに投げかけられた言葉に、首を傾げた。
幼い子供の扱いなど、俺なんかよりは彼女の方が余程長けているように思えたからだ。
「……あの夜、シュウ君はパニックになっていたけど、でも、私も冷静ではなかったんです。もしかしたら、ユキさんもそうだったのかもしれません……そんな私が、シュウ君に何かを言う資格なんて無いと思ったから、何も言えなかったんです。今後は冷静になれとも、まして無茶をするなだなんて、私が言えたことでもないですしね」
左腕に僅かに残った線を撫でて、カエデは自嘲するかのように小さく口元を緩めた。
「……アザミさんがデパートからいなくなってしまった後、ずっと考えていたんです。この世界で、私に何かできることはあるんだろうかって。それもあって、なんて言えばいいんでしょう、私はシュウ君に対して何か使命感のようなものを抱いていたのかもしれません。だから、あんな無理もしてしまったんだと思います。そして、きっとまた似たようなことが起こったら、私もまた、無茶をしてしまうんじゃないかとも思うんです」
「……」
何処か遠くを見るような眼差しで語るカエデに対して、俺はすぐに何かを言うことができなかった。
カエデは、シュウが抱いていた後悔と同じようなものを感じているのではないだろうか。
あの時ちゃんとシュウのことを見ていれば、とそんなことを。
そんなカエデの気持ちを汲んで、俺は一つ息を吐くと、口を開いた。
「……まあ、そんな使命感に突き動かされていたなら、余計に、今後はそれをするために、冷静にどうすればいいか考えて行動すればいいだろうさ。無茶の方は、そうだな……」
ふと、彼女の話を聞いて、つい先日まで共にいた男のことを思い出す。
使命感に燃え、随分と無茶をしていたあの男のことを。
「あまり良いことではないだろうが、別に、そう悪いことでもないのかもな。それに、結果的にカエデはそれでユキもシュウも救ったんだ。今は、それで良いだろう」
誰かを助けるために自分を投げ打つ彼のことを、俺はそう悪くは思っていなかった。
カエデのそれも、彼と同じだ。
幼いシュウを助けるために、またユキを助けるために、彼女は自らを犠牲にしてゾンビを殺した。
その行為は少なくとも、責められるようなことではないだろう。
「それにな、シュウもそうだが、カエデも、まだ子供なんだ。ある程度は仕方ないだろうさ。これから少しずつでも、成長していけばいいんじゃないか」
もう少し、気の利いたことが言えればと思う。
だがそんな俺の気持ちをよそに、カエデははにかみながらも、こくりと小さく頷いた。
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