百三十九話 雪ノ下すみれ9
二話更新出来ずorz
「よい、しょっと……ふー」
缶詰の入った段ボールを台車に下ろすと、私は一度腰を抑えて体をそらして、小さく伸びをする。
先輩が自衛隊を探しに行くとデパートを出て行ってから、そろそろ予定していた一週間になろうかという頃合いだった。
どさりともう一台の台車の上に段ボールが置かれる音がしてそちらを見れば、髪を後ろでまとめたカエデちゃんがふぅと一息ついて、額に垂れた汗を首に掛けたタオルで拭いていた。
「カエデちゃん、見かけに依らず力持ちだよねー」
「えっ?そ、そうですか?」
「これも若さなのか、若さゆえなのかっ!このー!」
「きゃ!」
さっきから私の倍くらいは一度に運んでいたカエデちゃんにそう言って抱き着けば、彼女は可愛い悲鳴をあげる。
こんな風に、"前みたいに"出来るのが、私はとても嬉しかった。
あの時、先輩が来てくれなければ、もうカエデちゃんとこんなことは出来なかったのだろうから。
「……暑いね」
「もう、ユキさんてば……」
抱き着いてから、自分がこの真夏の作業で汗だくなのを思い出す。
カエデちゃんの柔こさを少し堪能してから、その気まずさを誤魔化すように私はそう言って身体を離れさせた。
彼女はそんなこと気にもしていないように、微笑みを向ける。
「ごめんなさい、私、汗臭かったですよね?」
「えっ!そんなことないよ、カエデちゃんはいつもいい匂いだよ!私の方こそ汗臭いのに抱き着いてごめん!」
「そんなことないですよ!ユキさんこそいつもいい匂いです!」
お互いちょっと変態さんな台詞を言い合って、二人して顔を見合わせ笑う。
こんなやりとりが出来ているのも、先輩の、おかげ。
ガラガラと荷を乗せた台車を二人で運ぶ。
「お、ご苦労様。じゃあこっち、よろしくね」
そのまま立体駐車場へと着けば、織田さん達が迎えてくれた。
荷物の置かれた台車を渡し、何も乗っていない台車を代わりに受け取って、私達はまた先程作業していた場所へと戻った。
「うー、暑いー。シャワー浴びたいー」
「本当、そうですね。雨でも降れば良いんですけど」
先輩が自衛隊を探しに行くと決まってから、私達デパートの面々は、大量にある物資、主に食料などをある程度の割合で上の階へと運ぶ作業をしていた。
もしも自衛隊が救助にきた際に、それらの物資も同時に運ぶ可能性があるから、それならばある程度は移動しておこうという考えらしい。
もっとも、もしも先輩があの力を自衛隊に全て打ち明けていた場合は、これらの作業は殆ど無駄になるだろう。
わざわざここから持ち出さなくとも、本気を出した先輩なら物資調達など雑作もないのだから。
「……アザミさん、大丈夫でしょうか」
「んー、そうだねー。実際は一週間もかからないだろうって言ってたもんね」
作業中、心配そうな顔を覗かせるカエデちゃんに相槌を打った私だったが、心中では、それほど先輩のことを気に掛けてはいなかった。
それは勿論、どうでもいいからとかそんなことでは無く、先輩のことを信頼しているからだ。
先輩が私達に見せてくれた力は、悪い言い方をすれば明らかに異常だった。
この世界では、考えられない力。
銃の類など効かないし、まあ爆弾でも落とされない限りは大丈夫なんじゃないか、なんて先輩は言っていた。
そんな力を持つ先輩だから、外で身の危険に晒されるなんてことはまず起こらないだろうと思うのだ。
そしてその力の他に、先輩の帰りが遅くとも私がそう気に掛けていない理由が、もう一つだけあった。
それは。
「まあ先輩のことだから大丈夫だよー。もしかしたら人助けなんかしているのかもしれないし?」
そう。
先輩は、変わってしまったと自分では言っていたけれど、根っこは、私の知っている先輩ときっと同じなのだと思う。
確かに表面だけを見れば、冷徹に人を殺せる、そんな怖い人に変わってしまったと言えなくもないのかもしれない。
でも、冷静に考えれば、そもそも先輩は見ず知らずのカエデちゃんを助けていた。
それもただ助けただけじゃなく、こうして織田さんのような信頼出来る人の元まで届けてあげて。
その織田さんの手伝いもして、さらにこのデパートを用意したのだってそう。
先輩はやっぱり昔と変わらず、優しくて、人が好くて、面倒見のいい、素敵な先輩なんだ。
「アザミさんなら、そうかもしれませんね……ユキさん大丈夫ですか?なんだか顔が凄く赤いですけど」
「えっ?そ、そう!?暑いからかな!?」
って、す、素敵な先輩って!
乙女じゃないんだから!
いや、乙女ではあるはずなんだけど!
「体調悪いなら言ってくださいね?」
「いや本当全然、全然大丈夫!あはは……」
ぱたぱたと顔を仰いで、荷の乗った台車を運ぶ。
うん、だから、先輩の帰りが遅くとも、それはきっと何処かで誰かを助けているからなんじゃないかな、って本当にそう思うんだ。
何度目かの運搬を終えた頃には、いつの間にか外はオレンジ色に照らされていた。
「時間も時間だし、今日はこれで終わりにしようか。雪ノ下さんもカエデちゃんも、お疲れ様」
「はーい。織田さん達もいつもお疲れ様です」
「はは、柳木さんが戻ってきてからは、危険なことは殆どさせて貰えてなかったからね。このくらいの作業や見張りなんかは、楽なもんだよ」
そう言ってにこやかに笑う織田さんは、警察署にいた頃よりずっと顔色も良く見えた。
いつも命懸けで、部下の命も預かっての外出はとても大変だったのだろうなと思う。
今は食べ物も以前と比べたら十分過ぎるほど食べることができているから、それもあるのかもしれないけど。
それもこれも、全部先輩のおかげ。
……私はそんな先輩に、何かできることはあるんだろうか。
きっと、織田さんやカエデちゃんも、同じようなことを思っているんじゃないかな。
「あっ」
そんなことを考えていると、隣にいるカエデちゃんが小さく声をあげた。
同時に、私も気付く。
ふわりと嗅ぎ覚えのある匂いが一瞬鼻腔を通過すると、しとしとと静かな音が周囲から聞こえてきた。
「雨だっ。織田さん、織田さん!」
すぐに雨音は強くなって、私は大人げ無くも子犬みたいに織田さんへと話しかけた。
「みんな暑い中作業してたからね。暗くならないうちに女の子から屋上使える様にしようか」
「さすが織田さん、話が分かるー!」
私の言葉に、織田さんは苦笑いを浮かべながら、胸につけた無線で他の警察官の人に連絡を取っていた。
「よーし、カエデちゃん、おねーさんと一緒にシャワー浴びるぞー」
「ふふっ……はい、そうしましょう」
さっきの反省もなんのその、今度はどうせ雨のシャワーを浴びるのだからと、遠慮なしに抱きつく。
カエデちゃんは困った様なそぶりを見せながらも、その顔に笑みを浮かべた。
……あぁ。
先輩が帰ってきたら、あの時のことをもう一度謝ろう。
先輩は本当に先輩ですか、だなんて、そんな酷い言葉を言ったことを。
先輩は、仕方ないさ、って言ってくれていたけど。
カエデちゃんも寂しがっているし、だから先輩、なるべく早めに帰ってきてくださいね?




