百二十四話
「なんなんだ、一体……」
「……そんなに拒否しなくていいじゃないですか」
のらりくらりとその行為をかわし続けいい加減諦めたのか、大人しくなったサクラが壁に背をつけ睨むようにこちらをみた。
「正直、傷つきます」
そうむくれるサクラに、俺は大きくため息をつく。
「馬鹿なのか賢いのかどっちなんだお前は……」
「おにーさんは、"そういう欲"、無いんですか?」
「……別に、全く無いとは言わんがな」
相変わらずむず痒くなる呼び方でのサクラの問いに、首をすくめる。
俺も男だし欲は無いと言えば嘘になる。
だが異世界へ転移したての頃の経験から、"そういう話"はこりごりだった。
もっともその頃は"常在戦場"のスキルも無かったから、あればそんな経験などしなくて済んだのかも知れなかったし、今はそんな心配をしなくて済むのは確かなんだが。
ともあれトラウマほどではないが、何にせよ好きでもない相手とそんな関係になるのは遠慮したい。
それに正直な話、単なるお礼や、助ける代わりにそんな関係を持つ、などというのは面倒臭さが先に立った。
そもそもが助けてしまった、と思っているくらいだ。
助けたのならば、ある程度の責任は負わねばならない。
つまりは生きる術を失った彼女らになんらかの生きる術を与えるということ。
ただそれですら難儀するだろうに、さらにそこに新しく深い責任を負うなどもっての外だった。
「心配しなくとも、ちゃんと何かしら手は打つ。それにそんな風に割り切られたら、こっちとしては余計な世話を働いてしまったと思ってしまうから、出来ればやめて欲しいものだな」
サクラが先程のやり取りを経てなお、このような馬鹿げたことをしでかしてくるのは、そこに不安があるからなのだろう。
それを少しでも取り除ければいいかと俺がそう言うと、彼女はまたも唇を尖らせた。
「んー、そういうんじゃなく……まあ別に、それならそれで、わかりました……」
「じゃあ、さっさとみんなの所へ戻るんだな」
「……」
呆れ顔でそう言ったがサクラは俺の言葉に従わず、体育座りに姿勢を変えて、膝を抱えてじっとしていた。
疑問に思った俺が彼女の方を向けば、膝に顔を乗せたサクラが口を開く。
「少しだけ、お話しませんか?」
「……まあ、構わないが」
さっきまでの雰囲気と違い少し重苦しい雰囲気の彼女の言葉に、自然とそう口をついた。
そんなサクラから語られたのは、今日これまでの日々のこと。
彼女と上にいる少女のうちの一人は、ここへ来る前までは、この近くの小さな商業ビルの一室で過ごしていたらしい。
パンデミック当時、たまたま逃げ込んだ先がそこで、その時に偶然一緒になったのがその子なのだそうだ。
そこには最初十人ほどの人が避難していたらしいが、ある人は家族が心配で外に出ていったきり戻ってこなかったり、またある人は食料を取ってくると言ってそのまま戻らなかったりと、徐々にその人数を減らしていった。
結局最後に残ったのはサクラと少女と、年配の男性が、一人。
その男性は元々はそのビルの警備員をしていたらしく、避難した当初は良くしてくれていたのだそうだ。
だが徐々に食料も無くなってきて、極限状態まで追い詰められてからその男性の態度は変わってしまったのだと言う。
そしてその変わり果てた男性の欲望を、サクラはその身で受け止めた。
言いなりになった。
だが少女に手は、出させなかった。
それから少しした頃だ。
窓から下げていたSOSと書いた垂れ幕が目に留まったのだろうか。
それとも、単に食料品売り場である下の階に物資調達に来たのだろうか。
ともあれ、下の階で派手な音が鳴り響き、明らかに生存者が来たであろうことがわかった。
ここで起きたことは誰にも言わないから、と男性を説得して、サクラ達は部屋を飛び出し下の階にいると思われる生存者の元へと走った。
そして無事に下の階へと着いて合流できたと思ったら、そこからまた新しい地獄が始まったというわけだ。
「結局、私はあの子を守れなかったし、私自身、さらに汚れてしまっただけでした」
サクラと共にいた男性は、そのまま青年達の仲間になった。
それからは少女も共に、汚された。
「あいつ、いつからか居なくなってたんですよ。どっかでヘマして死んじゃったんでしょうね。清々しました」
サクラはそんな話を、淡々と、どこか遠い目をしながら語った。
俺は殆ど黙ってそれを聞いていた。
サクラがどういうつもりでそれを俺に語ったのか、それは分からない。
ただ少なくとも、それは俺の同情を誘って手助けする意思を確固たるものにする、なんてそんな目的で語られたものだとは思わない。
そして、私はこんなにも辛い目にあってきたんだ、なんてことをただ語りたかった、そんなものでもないと思う。
一つ言えるのは、この俺との一連のやり取りは、その経験によって引き起こされたものであろうということくらいだろうか。
「……まあ、なんだ。こういう話は苦手でな。悪いが何も言ってやれん」
「ううん。ただ、なんとなく聞いて欲しかっただけです」
「そうか」
「……おにーさんも、このパンデミックで何か、ありましたか?」
自分の身の上話を語り終えてそれで満足したのか、サクラはそう俺に話を振ってくる。
彼女がそう言うのは、お互いの辛さを曝け出して共有して、慰め合いのようなことをしたかっただけだったのかもしれない。
だがこちらの世界に戻ってきてから、俺の身に起こった出来事など、大したものはなかった。
せいぜいが織田さん達のコミュニティを一度追放されたこと、くらいだろうか。
俺が出会った人には、それなりに色々と起こってはしまったがな。
「……特にはないな」
「おにーさん、強いですもんね」
「……さあ、どうだかな」
ぼそりと言うサクラの言葉に鼻を鳴らす。
その強さは、異世界で手に入れたもの。
そして俺にとってみれば、こちらの世界で起こったことよりも、異世界での出来事の方が余程酷かったと言えた。
それは勿論、旅をするのに慣れていなかっただとか、殺すのに慣れていなかっただとか、そういう慣れという意味での話も多分にある。
それを抜きにしても、日々の戦いは単純に辛かったし、痛かった。
……だが、悪いことばかりだったかといえば、そうでもない、がな。
リンドウ、イーリス、ロベリア。
彼女らは、今も元気にやっているだろうか。
「……」
「……おにーさん?」
つい先日までカエデに色々と話し聞かせていたことを思い出し、少しだけ感傷に浸っていた。
そんな俺をサクラは不思議に思ったのだろう、その呼びかけでふと現実へと引き戻された。
「ん、あぁ、いや、すまん……さあ、もういいだろう。部屋に戻って、あの子達を安心させてやれ」
「……はーい。分かりました」
そう言うと、サクラは不満そうに唇を尖らせた。
俺は傍に置いてあったLEDランタンを持ち立ち上がる。
「さあ、行くぞ」
「……部屋まで、送ってくれるんですか?」
「ああ」
別に俺自身そんな気の利いた人間でないことは自覚しているが、それでも今は少しだけサクラに優しくしてやりたい気分だった。
見ず知らずの少女を助けようとし、そして自分が悪くもないのに罪悪感のようなものを抱き、また少し自棄になっているふしのある彼女を、気の毒に思ったからだ。
「まあ、必要ないならランタンだけ持たせるが」
「必要!必要です!」
俺の言葉に慌てて立ち上がるサクラが無駄に腕へと絡みつくように身体を寄せてくる。
しかしすぐにその身体を離れさせ俺の服の袖をつまむ様を見て、俺は小さく苦笑した。




