百二十話 那須川恒之 2
「どうです?悪い話じゃないでしょう?」
窓から差し込む逆光で影をそこに落としながら、変わらぬ笑顔で語り掛ける青年を見る。
この青年は、今、何を言った?
協力するのは、わかる。
人手が足りない、それもわかる。
感染者溢れるこの世界、たった7人ぽっちでは何をするにも限界があるだろう。
状況こそ違うが、我々自衛隊ですら、あれだけの人数がいてあの駐屯地を逃げ出す羽目になってしまったのだから。
「いやあ、それにしても、運が良かった。向かった先で、ナノハちゃんみたいに可愛い女の子が生きてる状態で見つかるんだから」
しかし、女性が何人かいる?
そして、今のこの発言。
ぐにゃりとその笑顔が歪んで、隣にいるナノハちゃんに舐め回す様な視線を送る青年の顔を見て、気色の悪いものを感じるとともに、沸々と怒りが込み上げてくる。
「パンデミックが起こる前まではとてもじゃないが出来なかったでしょうし、本当に運が良かったですよ」
それらの言葉の意味を十二分に理解した時、自分の頭は沸騰したかの様に熱くなり、気付けば口を開いていた。
「き、君はっ……!」
「那須川さん」
低いが、不思議とよく通る声だった。
声を荒げようとしたその時、隣にいる柳木さんが手を挙げてそれを制してきた。
自分とは違い、とても冷静で落ち着いた、そんな声色だった。
「……柳木さん。那須川さんは随分とお怒りの様ですが、あなたはどうですか?」
「そうだな……」
「先程彼らとは出会ったばかりと聞きましたし、別に情も何もないでしょう?」
青年の言葉に、ハッとなり隣に立つ柳木さんの顔を見る。
自分の視線に気づいてはいるだろうが、柳木さんはこちらを向かず、じぃ、と青年の顔を見据えたまま口を開いた。
「……念のため、二つほど聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「なんでしょう?」
「一つは、女が何人かいるということは……そこにいるナノハもそれに加えて、慰み者にするということでいいんだな?」
「そういうことになりますね。いい提案でしょう?」
静かに語る柳木さんが青年の返事を聞いて、ふん、と少し鼻を鳴らすとともに、少しだけ口角を上げた様な気がした。
その様子を見て、嫌な予感が走り心臓の鼓動が上がる。
傍で手を繋いでいるナノハちゃんが、ぎゅう、と自分に抱き着いてくる。
二人の交わした言葉の意味がナノハちゃんにも分かったのだろう、その震えが、僅かに伝わってきていた。
「……二つ目だがな。もしもの話だが……ここで仲間になるのを断ったらどうなる?」
柳木さんのその言葉への、青年たちの対応は早かった。
皆一斉に、持っていた拳銃を構えてこちらへと向けてくる。
後ろにいた二人も、前方の射線から外れる様にいつの間にか斜め後ろへと移動していた。
「勿論、死んでもらうことになります。那須川さんは特に自衛隊員ですしね。連絡も取れていないようで安心しましたよ」
車内でのあの笑顔が、全くの別の意味であったことを今更ながらに痛感する。
唇を噛み締め、あの時の柳木さんの忠告に従わなかったことに後悔の念が押し寄せてきていた。
「そうか。それなら良かった」
武器を取り上げられ銃口を向けられているこの状況で、こともなげにそう答えた柳木さんの顔を見れば、そこに浮かんでいたのは、何処か安堵したような表情だった。
それが意味するところは、つまり、柳木さんは自分達を見捨て……
いや、違う。
それならば、最初から助けに来てなどいないのではないか。
青年のような考えで助けたのならば、マンションの一室で拳銃など渡してくるはずもないし、あの場で殺されているはず。
そして、何故あの時あの場を離れようとし、車に乗るのを拒否しようとしたのか。
このような目に遭うかもしれないということが、分かっていた?
しかしそれならば余計に、何故今こうも平然としていられるのだろうか。
いや、そもそも、何が、良かったんだ?
緊迫した状況で整理のつかない頭の中がごちゃごちゃになってきはじめて、心臓がバクバクと脈動する。
そんな中、まるで自分の疑問に答えるかのように、柳木さんはもう一度、静かに口を開いた。
「それなら……"遠慮なく、やれる"」
ぶるり
そう、大きく震えたのが自分の身体だったことに気づいた時には、柳木さんはすでに自分の隣にはいなかった。
一つの瞬きの後には、視界の端、斜め前方に彼は移動していて、まるで虚空から取りだしたかのようにいつの間にかその手に持っていた拳銃で、そこにいた男の頭を撃ち抜いた。
そういえば、さっきボディチェックを受けて、柳木さんは持っているはずの拳銃を渡してはいなかった。
とそんなことが頭を一瞬よぎった時にはすでに、さらにもう三回銃声が鳴っていた。
自分の意思とは無関係にがくがくと震える身体に訳が分からず、それでも流れ弾を避けようと、同じく震えるナノハちゃんを抱きしめながらその場へと伏せる。
いや、しかし後ろにいた男どもとの距離がここはかなり近い……とちらりとその体勢のまま視線をやれば、銃口を今にもこちらへと向けようとする男の姿があった。
「"動くなよ"」
聞こえてきた柳木さんの声に、身体が固まる。
息が、出来ない。
視線の先、そこにいた男も目を見開いて、同じように動きを止めたように見えた。
そう思ったのも束の間、二度銃声が鳴り響き、どさりと視界の中で男が倒れた。
「あ……ぁ……」
しん、となった室内に、小さく、そんな声が聞こえた。
さっきよりも少しだけ動く身体で恐る恐る周りを見渡せば、六人の男たちが倒れ伏し、部屋の中で立っているのは柳木さんただ一人だけだった。
そのままゆっくりと彼は部屋の隅へと足を進めると、一つ息を吐いた。
「……運が良かった、というのは気のせいだったようだな」
そこにいた青年は、股の部分を濡らし床へとへたり込み、この惨状を作った男のことを震えながら見上げていた。




