百十八話 那須川恒之
柳木薊。
そう名乗った男は不思議な男だった。
彼は襲いくる感染者を、何処で手に入れたのかその手に持つ刀で、流れるような動きで淡々とその頭を刎ねていった。
日本刀というものを扱ったことはないが、人間の頭蓋をこれほどいとも容易く切断できるものなのだろうか。
死者が蘇り動き出し、自分達人間だけを狙ってその喉元に食らいつこうとしてくる。
そんな恐ろしいやつらを相手に、彼はそれに恐怖を感じてないように思える。
そしてそんな彼の様子から感じるのは何よりも、"元は人間であるはずの感染者"を殺すことに、何の忌避感も抱いてないであろうということ。
そう、まさしく淡々とと言うに相応しく、眉の一つも動かさず、この暑い中汗の一つもかかず涼しい顔でそれを行う彼を、自分は羨望の眼差しで見るとともに、ほんの少しだけ、その姿に畏れを抱いていた。
「っ……!」
と、唐突に柳木さんはこちらを振り向き、その得物を勢いよく突き出してきた。
それは自分の頭の横を掠めるように突き出され、後ろで嫌な音がしたかと思えば、柳木さんはその姿勢のまま片眉を上げながら自分を見て、ひとつため息をついた。
「……俺が全て倒すとは言ったが。ついていくと言ったからには、警戒くらいはして欲しいものだな。」
ずるり、と背後で音がして振り向けば、頭を貫かれた感染者がゆっくりと地面へと伏していた。
「隣にナノハもいるのに、何を呆けている?」
片手に感じる温もり。
手を繋いだナノハちゃんと目が合い、双方に謝罪の言葉を口にする。
「も、申し訳ありません……ナノハちゃんも、ごめんね。」
「し、しっかり、してよね!おじさん、ありがとう!」
正直に言って、柳木さんの動きに見惚れていた。
おそらくは、少しだけ焦ったかのように言うナノハちゃんだってそうだったのだと思う。
達人、というのは彼のような人のことを言うのだろう。
彼はああ言ってこそいたが、その動きはとてもこの騒動から身についたものではないように思う。
だがそんなものはどうでもよく、今は彼が共にいてくれることをただただ頼もしく思う。
そして、自分にもこれほどの力があったならば、と。
あのマンションの一室で、つい先程まで自分達は今後の進行ルートの計画を話し合った。
都市部を避けてのルート選択となるため少々遠回りしなければならないが、とはいえ向こうの駐屯地までは夜間を避けて車で移動すれば数日もあれば着くだろう。
その車の調達に、柳木さんは一人で行くと言い出した。
しかし自分はそんなことを一人でさせるわけにはいかないと彼に強く申し出たのだった。
彼は随分と考え込んだ後に、渋々、といったようにそれを承諾した。
目の前に現れる感染者は全て倒すから危ない時以外はなるべく手は出さなくていい、という条件を出して。
「大人しく二人で留守番していて欲しかったんだがな。」
今の自分の体たらくを鑑みては、そんなことを言われるのも無理はない。
しかし自衛官である自分が、一般人である柳木さんにそんな危険なことを押しつけて、あの一室に閉じこもって待っているだけなんていうことは、耐えられなかった。
「すみません……」
再度、謝罪の言葉を口にする。
あのマンションの一室といえば、一つ気づいたことがあった。
何気なく案内されたあの部屋だったが、玄関のドアの鍵が、壊されていた。
当然、ピッキングするなり壊したりしなければ部屋になど侵入できないだろうが、その壊され方が何と言えばいいのか、異常な壊れ方だった。
一体どんな道具を使ったのか、フロントからストライク、ボルトに至るまで、力で無理やり引きちぎったようにぐしゃぐしゃになっていたのだ。
「まあ、別にいいがな……こいつも駄目か……」
そう言って柳木さんは、無造作に停められた車の中を覗いて、ひとつ息を吐く。
鍵付きの車を探しているのだが、それがなかなか見つけられないことに少々苛立っているのかもしれない。
災害時のマニュアルでは、やむを得ず車を放置する場合は、ドアのロックをかけずに鍵を中に入れたままにしておく、というものがある。
しかし数年前に日本で起こった大災害でも、その適切な行動を取れたのは全体の4%程度だという調査も出ている。
その災害よりも異常なこのパンデミックで果たしてそんな判断ができるのかは疑問だ。
「直結で、やりましょうか?」
キーが無くとも、車のエンジンをかける方法はある。
少しだけ時間はかかるが、それを行う程度の道具はバックパックに入っている。
もっとも、ハンドルロックがかかっているような車種ではエンジンをかけたところで操縦は出来ないが……
「……いや。余計に面倒だ、次を探そ……」
彼もそれを危惧したのだろうか。
自分の提案に少しだけ考えたような素振りを見せてそれを否定した。
かと思えば、唐突に柳木さんは今まで移動してきた道の方を振り向いた。
それにつられるように同じ方向を見れば、少し遠くの角を曲がり、こちらへと向かってくる車の影が見える。
「……ここを離れるぞ。」
柳木さんの言葉に、疑問符が浮かぶ。
同じような場面に、自分はつい先日出くわしていた。
あの人口の少ない町で出会った、学校を拠点としていた面々。
あの時は食料調達で一度車を降りた時だったか。
彼らとの出会いも、こんな風に外に出ていた時のことだった。
「何をしてる、早くしろ。」
「え?ですが……」
あの車は、間違いなく生存者だろう。
せっかく出会えたこの世界での生き残りから逃げるような真似をするのは、どういうことなのだろうか。
そんな数秒のやり取りの中、車はどんどんと近づいてきていた。
「……ちっ。」
柳木さんは一つ舌打ちをすると、自分とナノハちゃんの前に立ちはだかるように移動した。
「大丈夫ですか!?入って!」
やがて車は自分達のすぐそばまで来ると、ガラガラとそのワゴンのスライドドアが開き中から青年が叫ぶ。
「……必要ない。」
「柳木さん!一旦お言葉に甘えて立て直しましょう!」
何故だか柳木さんはその青年の申し出を断ったが、気づけば周囲には徐々に感染者が集まり始めていた。
ここは素直に青年の助けを借りるべきと思う。
そう言って自分が一歩足を踏み出すと、苦虫を噛み潰したような表情で、柳木さんは一瞬だけ間を開けてから車に乗り込んだ。
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……どうして、こんなことになってしまったのか。
青年達に案内された雑居ビルの一室は、酷い有り様になっていた。
頭を撃たれた男の死体が六体転がり、硝煙と血の匂いが部屋の中に渦巻いていた。
「……で?お仲間は、ここにいる奴らで全部なのか?」
その死体を作ったのは、この男、柳木薊と名乗った男だった。
彼は片手で青年の首根っこを掴んで持ち上げ、苦しそうに首を縦に振る様を冷たい目で見つめていた。
その姿に、えもいわれぬ恐怖を抱く。
隣にいるナノハちゃんも、同じなのだろう。
目を見開き、ハァハァと呼吸を荒くして、震えながら柳木さんのことを見つめていた。
「そうか。まあ本当だろうが、後で他にも聞いてみるとしよう……相手が、悪かったな。」
「……っ!」
そう言うと、柳木さんは空いた手に持っていた拳銃を青年のこめかみに突きつけると、一瞬の躊躇もなくその引き金を引いた。
すでに抵抗する気力すら彼には残っていなかっただろう。
恐怖の顔に涙を浮かべながら、びくりと一度大きく青年の頭が跳ねて、柳木さんが手を離すとともにどさりとその身体が床に落ちた。
「ひっ……」
ぎゅう、とナノハちゃんが腕に抱きついてきて、その震えが自分を揺らす。
一度大きくため息をついてからこちらを振り向いた柳木さんは、ちらりとそんな自分達の姿を見ると、物憂げな瞳をしながらその視線を逸らした。




