百十二話
「ふぅ。」
雑居ビルの屋上に腰を下ろして、ひとつ息を吐く。
そのまま空を見上げれば、雲ひとつないからりと晴れた夜空にポツンと月が浮かんでいた。
アイテムボックスから持ってきていた地図を取り出して、目を走らせる。
"暗視"スキルのおかげで、灯りは月の明かりで十分すぎるほどだった。
デパートに略奪者が来てからおよそ1週間が経った。
カエデが果たして完治したのかは不明のままだが、そもそもカエデのゾンビ化を本当に防げたのかなど、イーリスやロベリアならともかく俺には分かるはずもない。
カエデ本人が言うには体調不良などもなくむしろ以前よりも体の調子は良いそうで、それならばそろそろ行動を起こそうと俺は一人外へと出てきていた。
俺は彼女が望むのであればまだ側にいようと思ってはいたのだが、いつまでも俺の手を煩わせるわけにはいかないと、カエデがむしろ俺を送り出した形にはなるのだが。
ユキや織田さんにもきっちりと報告をしてから出てきているし、ともすれば多少長い間留守にするかもしれないとは伝えてある。
もちろん、ちゃんと戻る、とも。
デパートを出てくるにあたり、織田さんには新たな避難民は受け入れるなと伝えてある。
この間の襲撃で男性警察官の人数も減っているし、それに避難民を装って敵が内部に入ったりしたらより面倒なことになるからな。
当然渋い顔をされたが、こればかりは仕方ない。
妥協案として、あのデパートのそばの建物を新たに"掃除"して、多少食料などの物資を入れておいた。
入り口なども補強し、誰かが来たらそこにでも避難させられるようにしておいたのだ。
周辺のゾンビ共も俺がさらに綺麗さっぱり片付けたから、もし本当に無害な避難民が来ても、そこで俺が戻るまで十分やっていけるだろう。
あとは俺が戻り次第、敵意感知で敵かどうかを判断すればいい。
そういった準備をしてこうして外に出てきているのは、あの駐屯地からいなくなった自衛隊の行方をまずは追おうという目的のためだ。
織田さんがシュウの父親に、一度来た自衛隊の救助が再度来なかったことを話した時、彼はこう話していたらしい。
まず可能性として考えられるのは、残念だが見捨てられてしまったということ。
しかし自衛隊が一つの軍として動いているのであれば、わざわざ一度ヘリを飛ばしておいたのに軽々にそのような判断はしないようにも思われる。
それならば単純に全滅してしまったのか。
しかし、自衛隊がそう簡単にやられてしまうというのも考えにくい。
おそらくは何か不測の事態があって動けない状況なのだろう。
燃料不足や他の要因もあるかもしれないが、一番考えられるのはその駐屯地を捨てなければならない事態に陥ったのではないだろうか。
そうなるとその駐屯地の部隊はどこへ行くかと言えば、他の駐屯地へと合流することになるだろう。
その際は、このような状況でわざわざ陸路を使うとも考えづらいし、警察署に救助に来たのは海近くの駐屯地からの部隊であるからして、同じく海岸に近い他の駐屯地へと移動した可能性が高いのではないだろうか。
そして他の駐屯地へと移ったのであれば、また事情も変わる。
燃料事情、食糧事情、そこに元々いる避難民の事情や、指令系統もまた変わってくるかもしれない。
同じようにヘリを飛ばせる状況でもなくなってくる可能性は十分にある。
「……」
シュウの父親が言っていた駐屯地の状況は実際当たっている。
そしてその後の話も、なるほど、納得のいくものだった。
俺は例の駐屯地の様子を見てから先、その行方を追うようなことはしなかったが今回は違う。
まずはその居場所を突き止めようかと思っている。
俺は異世界から日本に戻って来たとき、国とは極力関わらないようにしようと思っていた。
それは異世界では、魔王討伐はもとより、全てを押し付けられていたからだ。
今のこの世界の現状では、この力を国に明かしたとなれば、その結果はもはや火を見るよりも明らかだろう。
きっと異世界でさせられていたように、ただただいいように使われるだけだと思われる。
俺はそれを望まない。
こうして自衛隊の行方を追っていてなお、その考えは今も変わらず俺の頭の中に残っていた。
「……ん?」
そんなことを考えながら、ビルの屋上から下に広がる光景を見て、ふと違和感を抱く。
今いるこの場所は、繁華街から程近い、マンションなども建ち並んでいてかなり人口の多い地域のはずだ。
それなのに、見下ろす道路に見える人影は酷く少ないように見える。
織田さんに追放されてタケルとモモに出会う前に見た、あの都市部の人口密集地帯のような光景が広がっていてもおかしくはないはずなのに、むしろそれとは真逆の光景に首をひねる。
ここから目的地となる駐屯地はまだ距離があるはずだが、しかしそうなると、ここらのゾンビ共を彼らが殲滅した可能性もあるのだろうか。
「いや……」
それにしては、死体の数も少な過ぎる。
わざわざ何処かへとゾンビ共の死体を運んで処理をするなんて余裕があれば、それこそ警察署にヘリの一つでも寄越すだろう。
俺は頭に疑問符を浮かべたまま、雑居ビルを後にした。
+++++
建物から建物へと飛び移り、時に道路へと降り立ちゾンビを斬りながら、目的の駐屯地へと向かう。
先ほど抱いた違和感。
進むにつれ、それとはまた違った違和感を俺は抱いていた。
……多過ぎる。
ゾンビ共の数が、やけに多くなってきていた。
都市部に入ったからというのならばまだ分かる。
しかし今は駐屯地の方へと向かっていて、どんどんと都市部から離れていっているというのにだ。
「……どういうことだ?」
じきに目的地へと着くかというところまで来て、一度高い建物へと跳躍する。
そこから遠くを見て、俺はその光景に目を疑った。
「こいつは……」
見渡す限り、亡者の群れ。
それこそ足の踏み場もないと言ってもいいほどの、人口密集地帯をはるかに超える地獄が、目的地まで続いていた。




