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ダリアの初恋3


 一度会って話せば、きっとわかってくれる。


 そう思って、屋敷を抜け出す機会を窺っていた。修道院へ行くようにと言われた日からしばらくは監視の目があったが、10日も経てば緩くなってくる。ダリアが暴れたり、逃げようとしなかったのが大きかったのか、朝と昼の少しの時間だけ監視をしている使用人が誰もいなくなる。


 あと5日もすれば修道院へ移動させられる日、ダリアはお昼をもらった後そっと屋敷を抜け出した。この日はサイムズ子爵夫妻も兄のレットも不在で、この日を逃してしまえば会いに行くことができない。


 ダリアは簡素なドレスに着替え、履きなれた靴を履いてアクロイド侯爵家への道を歩いた。

 天気も良く、暑くも寒くもない気候にダリアは心が弾んだ。屋敷に閉じ込められた自分が屋敷を抜け出し会いに行くのだ。ランドルフも驚いて、そしてサイムズ子爵家の仕打ちに憤るはずだ。いつも優しかったランドルフならダリアの辛い気持ちを理解し、サイムズ子爵家から連れ出してくれる。


 そんな想像をしているだけで、幸せな気持ちになれた。


 どのくらい歩いただろうか。ダリアはようやく足を止めた。ずっと大通りを歩いてきたのだが、見覚えのある景色ではなくなっていた。


「おかしいわ。そろそろアクロイド侯爵家についてもいいはずなのに」

「どうかしましたか?」


 道端でぼんやりと立ち尽くしていると、馬車の御者から声が掛けられた。派手過ぎない馬車であったが、しっかりとした造りの馬車であることがダリアにもわかった。きっと上位貴族の家の馬車だろう。そのことに安心して、ダリアも返事をする。


「アクロイド侯爵家に行きたいのだけど、道を間違えたみたい」

「お嬢さんは奉公をしに?」

「いえ、わたしは……」


 ランドルフの恋人だと言いそうになって、慌てて飲み込んだ。こんなところを貴族令嬢が一人で歩くことなどないのだから、不審に思われてしまう。ダリアは曖昧に微笑んで知りたいことを聞いた。


「道を教えてもらえないかしら?」

「アクロイド侯爵家ねぇ。紹介状は持っているのか?」

「え、ええ」


 紹介状と言われてヒヤリとした。御者はうんうんと唸ってから、ため息をついた。


「本当はこんなことはいけないけど、道を一人で歩いているのも不安だ。ちょっと主にお伺いしてくるからここで待っていられるかい?」

「道を教えてくれたら一人で歩いていくから、気遣いはいらないわ」


 主を持ち出されて、慌てて拒絶する。貴族が自分のことを見たら、誰であるかわかってしまう可能性が高かった。ランドルフに会う前に見つかってしまったら、サイムズ子爵家に戻されてしまう。

 御者の男は難しい顔をしていたが、ため息を一つついて肩を落とした。仕事中の御者が見知らぬ女性を連れていくことは難しいのだろう。


「わかった。アクロイド侯爵家への道は、二本目の道を右に曲がって真っすぐだ。すぐに大きな屋敷が見えるはずだから、門番に紹介状を見せるといい」

「ありがとう、おじさん」


 ダリアはお礼を言った。


 あと少しで会いたい人に会える。


 その気持ちがダリアの気持ちを奮い立たせた。だが気持ちだけでは無理なものもあり、ダリアはすぐに動けなくなった。

 道端にしゃがみこみ、靴を脱げば、足は血だらけだった。いつの間にかできた靴擦れに、皮がむけていた。


「痛い」


 見てしまえば痛みがどんどん沸き上がってくる。ぽろぽろと涙が出てきた。

 早くランドルフが迎えに来ないかと強く願ってみたが、日は次第に傾いていく。昼過ぎに屋敷を抜け出したが、いまはもう空は徐々に夜の色に染まり始めている。


 いつもは馬車での移動だったから近いと思っていたが、実際に歩くとなるとかなりの距離だった。そう思ってもすでに遅く、戻ることも進むこともできずにいた。早く誰かが見つけてくれないかと祈りながらも、子爵家には戻りたくはない。


 自分自身、気持ちを持て余しながらじっとしていれば馬車の音がした。期待を込めて顔を上げれば、先ほどの御者のおじさんがいた。


「ご主人様の許可をもらってきたんだ。乗っていくかい?」


 ダリアは何も考えずに頷いた。


******


 がたがたという音が煩い。


 我慢ができずにうっすらと目を開けた。


「気がついたかい、お嬢さん」

「……?」


 現状が理解できずにぼんやりとする。


 頭がはっきりしない。考えがまとまらずに、言葉が途中でほどけてしまう。


 知っているようで知らない声。誰だかわからないが、優しい声に警戒心は生まれない。声のおじさんを探して視線を彷徨わせれば、人のよさそうなおじさんが座ってダリアを見ていた。


「まだ薬が効いているようだね。もう少し寝ていたらいい」

「く……すり?」


 薬とは何だろう。飲んだ覚えがない。戸惑っていると、おじさんが小さく笑う。


「君のお父さんが一緒に暮らしたいというので、ちょっと眠ってもらったんだ」

「お父さん?」

「そう。お嬢さんの本当のお父さんだ」


 本当のお父さん?


 意味が分からない。

 ダリアはサイムズ子爵の弟の娘で、両親が死んでしまったからサイムズ子爵に引き取られた。だから本当のお父さんはサイムズ子爵の弟だ。


「お父さん……アンディ?」

「アンディ? 違う……ああ、そういう事か」


 おじさんは初めて聞くのか、驚いた声を上げたがすぐに納得したようだ。


「リンジーは子爵家の息子を引っかけてお金を巻き上げていたからな。違う、お嬢さんのお父さんは他国の商人だ」

「うそ」


 嘘だ。


 ダリアは慌てて起き上がろうとした。だが、眩暈がひどく起き上がることができずにもがいただけだった。おじさんが落ちそうになる上掛けを整えてくれた。


「驚くのは無理はない。お嬢さんはリンジーによく似ているから父親が誰だかわからないと思ったんだろうよ。あの女は男を食い物にして渡り歩いていたから」


 呆れたように最後は呟いた。


「信じない」


 そう、信じない。

 もしダリアがサイムズ子爵家の血を引いていないのなら、ランドルフと結婚ができなくなる。


「信じても信じなくてもどちらでもいいよ。君が幸せなら、そのままにしておこうと考えていたが、修道院へ入れられると聞いてね。君のお父さんは手元に呼ぶことにしたんだよ」

「貴方、だれ?」


 人当たりの良い顔をしたおじさんを初めて胡散臭い目で見た。おじさんは目を細めて笑った。


「さあ誰だろうね? 薬もきれていないだろうからもう少し寝たらいい。次に気がついた時には……」


 ダリアの意識はここで途切れた。

 眠りたくはなかったが、頭がぼんやりとして、次第に瞼が重くなる。



 わかったのは、自分がやはりお姫さまではなかったことだった。


 

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