恋敵ではなかったようだ
ランドルフは王城に勤めているため、毎日が規則正しい。
貴族出身の家督を継げない子息は王城に勤めることが多い。次兄と違って騎士としての素質がなかったランドルフは文官の道を選んだ。それが嫌だとは思わないが、今回ほど嫌だと思ったことはない。
重苦しい沈黙の中、ランドルフは黙々と書類を裁いた。10日前から応援として貴族院のエドマンドと仕事をしていた。
理由は貴族院長のアンブローズ・ラヴィオラ大公が外交で留守になるからだそうだ。ランドルフは文官といえども貴族院の配属ではないのでこの人事には大いに疑問がある。疑問には思うものの、ラヴィオラ大公に頼まれてしまったランドルフの上司はあっさりと許可を出した。
貴族社会なので上位貴族にお願いされれば大抵のことは断れない。いまいち納得していないが、仕事は仕事である。表情を消し、淡々と回された書類を処理していた。
もう10日も同じことをしていれば要領を得る。今日が最終日なので、これが終わればここに来ることはない。
「終わりました」
最後の確認が終わった書類に印を押し、エドマンドに声をかけた。書類を提出されたエドマンドは顔を上げた。
「ありがとう。そこにおいてくれないか」
指示された場所に積み上げると、ランドルフは小さく息を吐く。ようやくこの重苦しい空気から解放される。威圧を受けているわけではないのだが、どうしてもエドマンドと同じ部屋にいるのは気づまりだ。
「これで最後の書類となります。私はこれから職場に戻ります」
「ちょっと待ってくれ」
まだ仕事があるのかと、眉間にしわが寄った。
「仕事ではない。少し君と話がしたい」
「……話、ですか」
ランドルフは話と聞いて嫌な予感がした。エドマンドとのつながりなど、今までないのだ。繋がっているとしたらレジーナを間に挟んだ時だ。仕事中に私事を持ち込むのかと、少し驚いた。公私混同はしない性格だと思っていた。
ランドルフの表情を読んだのか、エドマンドはほろ苦い笑みを浮かべた。
「本来ならしないのだが、これを逃すと機会がないのでね。休憩ということで許してほしい」
「わかりました」
ランドルフは覚悟を決めて、勧められた長椅子に腰を下ろす。
「話というのはレジーナのことだ」
エドマンドは部屋の隅に用意してあるお茶の道具を使って、器用にお茶を淹れた。それをランドルフの前に置いて、向かいの椅子に腰を下ろす。
「君がどれぐらい彼女のことを大切に思っているのかを聞きたいんだ」
「婚姻についてということですか?」
「婚姻というと語弊があるな。レジーナをどこまで愛して大切にしてもらえるのか、聞きたい」
じっと真剣に見つめられて、ランドルフは不思議な感覚になる。噂ではレジーナとエドマンドは恋仲ではないのかといわれるぐらいの親しさがあったはずだ。恋敵として近寄らないようにと言われるものだと思っていたのだが、どうも考えていたのと様子が違う。
「べインズ伯爵はレジーナ嬢と婚姻を結びたいのではないのですか?」
「それは少し違う。レジーナが誰とも結婚できないのであれば、彼女と婚姻を結ぶ用意はしている」
「よく理解できないのですが」
エドマンドはレジーナを好きで、手に入れたいと思っているのではないのか。
レジーナの心の傷を考えれば、恋愛感情抜きの、つまり政略結婚は難しい気がしていた。エドマンドはランドルフの混乱に気が付いて小さく笑った。
「正確にはレジーナが君との結婚に踏み切れなかった場合、私と契約結婚をして3年後には離縁するということだ」
「は?」
理解できずにランドルフは呆けた。エドマンドは面白そうにぽかんとするランドルフを見ている。
「レジーナが求めているのは結婚せずに養子を取ることだ。今の貴族法ではレジーナやオルコット伯爵が養子を取ることが不可能だが、レジーナが私と契約結婚をすれば彼女が養子を取ることが可能になる」
「ちょっと待ってください。その場合、べインズ伯爵はどうするのですか? 貴方だって跡取りが必要なはずだ」
「幸い、私には弟がいるからな。弟の子供を養子に取るつもりだ」
ランドルフはようやくエドマンドの言葉を飲み込めた。彼はレジーナの希望を叶えるために具体的な策を提示したのだ。理解できたが、エドマンドがレジーナにそこまでする理由がわからない。愛しているのなら、自分の気持ちを伝え、愛してもらえるようにするのが普通だと思うのだ。
「なぜそこまで」
「レジーナが一番大変だった時に何もしてやれなかったからだ」
エドマンドがはっきりと答える。その言葉から、レジーナの両親が死ぬ以前から付き合いがあったのだと気が付いた。
「レジーナ嬢を……愛しているのですか?」
ランドルフはためらいがちに聞いた。少なくとも、ランドルフの目にはエドマンドがレジーナを女性として好いているように見えていた。だからこそ、エドマンドを意識していた。
「妹のように愛しているな。彼女が幸せになれればいいと思う」
「レジーナ嬢には契約結婚のことはまだ伝えていないのですか?」
「ああ。この案は最終手段だと思っている」
兄としての愛と考えれば、しっくりときた。ランドルフは複雑な気持ちに捕らわれた。
「レジーナ嬢は古くからの知り合いだと知っているのですか?」
「もちろん知っている。彼女の両親が亡くなる前まで本当の妹のようにかわいがっていたからな」
ランドルフにはエドマンドの気持ちがよく理解できなかった。血のつながりのない彼女を妹のように愛すると言うのが想像できない。眉間にしわを寄せれば、エドマンドは大きく息を吐いた。
「君の方はどうするんだ。ダリア・サイムズは妹のような存在ではないのか?」
「昔からダリアを妹のように思ったことはないです。まだ幼いときはよかったのですが……思い込みが激しくて苦手です」
不意打ちにダリアを持ち出されて、ランドルフはむっとした。ダリアに関しては、侯爵家を通して子爵家に抗議していた。子爵家もあっという間に広がった醜聞を消すことに必死だ。ダリアを修道院へ入れると聞いている。
「そうか。だがあの手の女性は逆恨みが強いからな。きちんと対処するべきだ」
「わかっています。ダリア嬢がサイムズ子爵の話をきちんと聞いてくれればいいのですが……」
ついつい弱音を吐いてしまった。大きく息を吐いて肩を落とす。
ランドルフがレジーナに婚姻を申し込む前に付き合ってきた女性は遊びだと割り切った付き合いだった。もちろん緩くなっているとはいえ、貞操が尊ばれる国だ。遊びだと言いながらも、深い仲になるわけではない。疑似的な恋愛を楽しむ程度のものだ。中にはそのまま恋愛に発展して、身分が釣り合えば結婚となる者もいる。
「修道院だったか」
「恐らく。サイムズ子爵領に近いところがありますので」
サイムズ子爵領の近くにある修道院はアクロイド侯爵家も支援している場所だ。人の少ない場所にあり、ランドルフも足を運んだことがある。
「サイムズ子爵領に近いのか」
「何か問題でも?」
「できれば他国へ嫁いでもらいたいと考えていた」
他国に、と聞いてランドルフは固まった。言葉を失ったランドルフにエドマンドは涼しい顔をして告げた。
「将来、何かあっては困るんだ。だから簡単に戻ってこれず、新しい幸せを手に入れられる環境が望ましい」
なんだろうか。もうすでに決まったことのように聞こえる。
ランドルフはじっとエドマンドの顔を見つめた。エドマンドはふっと笑みを浮かべた。
「詳しいことは説明するつもりはない。だが、ダリア・サイムズの件はこちらで預かる」
「……わかりました」
納得できないが飲み込まなければならない思いを抱きながらも、認められたかのような不思議な感覚だ。もしかしたらこの10日間でランドルフをレジーナにふさわしいか、観察していたのかもしれない。それならば、あの大量の仕事も理解できる。
知らないところで試されていたことに不思議と憤りは感じなかった。
「大公からレジーナが領地に戻ったと連絡をもらっている。この後、休暇にするから行ってくるがいい」
「……え?」
「オルコット伯爵にはすでに許可をもらっている」
「レジーナ嬢は?」
あまりの展開にランドルフはついていけなかった。エドマンドはにやりと笑う。
「知らないはずだ。まあ、頑張ってくれ」
「……ありがとうございます」
ランドルフは頭を下げると、部屋を後にした。




