08 冒険者はじめました。って大丈夫ですか?
調査開始の一日目、ユーマは冒険者たちの先頭に立ち森の中を歩いていた。事前の打ち合わせで森の調査の最初は、ユーマが入ったことのある辺りを調査する事になった。最初から森の奥へ行くのではなく、村の住人が入る頻度の高い部分から少しずつ範囲を広げていく形で調査を進めていく算段だ。
この辺りは普段でもマイス家の兄弟たち、あるいはその他の村の子供たちでも立ち入る比較的安全といえる範囲だ。ユーマは一昨日の夜、村の公衆浴場で見たのが初めてであったが、村の子供達の噂によればこの辺りでも蜘蛛を見かけた子がいるらしい。
ユーマは来たことがあるとは言っても、ユーマがこの村に身を寄せてまだ半年も経っていないのだから僅か数度の事だ。一昨日のように村にまで足を伸ばす“はぐれ”などがいる場合もある。先頭を任され緊張した様子で進むが冒険者にとっては森と、そしてユーマの様子見である。
森に入っているとは言え、ユーマが歩いたことのある辺りはそれなりに村の住人が立ち入るだけあって薪になりそうな雑木や邪魔な下生えなどは粗方刈り取られていてまだまだ歩きやすい。その分、餌とする動物なども少ないと予想していた通り、蜘蛛たちの姿は見当たらない。
とは言え、油断する訳にはいかない。大蜘蛛は獲物を長い距離を追いかけて捕食する生き物ではない。なるべく短距離から飛びかかるか、可能であれば攻撃が届く範囲にまで近づいてから素早く獲物を捕らえるのを得意とする。それはつまり、獲物に気づかれないで潜伏することを得意としているという意味になる。
もっとも、大きいとは言え個体としての大蜘蛛はそこまで強くはない。餌の大半は小動物などである。そして凶暴で有りつつも臆病でもある大蜘蛛は複数体集まらなければ自分より大きな動物や人間を襲うことは殆ど無い。
もし大蜘蛛と出会ってしまった場合、ある程度距離が離れていれば逃げるのは難しくない。距離があるなら視力の弱い蜘蛛はこちらに気が付いてすらいない。短距離であれば、刺激しないようにゆっくり離れる。短距離での蜘蛛の走る速度はなかなかに早いので走って逃げようとしないこと。
一昨日のユーマのように走って逃げるのは止めたほうがいい。素早く動くものに蜘蛛は強い反応を示す。また蜘蛛の視力が低いのも相まって素早く動くと相手の大きさを見誤り、餌と間違えて襲われやすい。そしてもしも捕まってしまった場合は大人でも自力で逃げるのは難しいのだ。
八本の歩脚で抱きつかれるだけでも逃れるのは大変だが、尻から出す糸で絡め取られることにもなる。捕まったら糸を巻き付けられる前に、暴れて反撃する方が逃げようとするよりも助かる可能性が高い。もっとも、心構えが無い者は捕まった時点で錯乱し、ただ逃げようとして動けなくされ、餌食になってしまう。
それらは打ち合わせの時にユーマが冒険者たちから聞いた知識だ。一昨日の晩、思い切り走って逃げてしまったが、その後で蜘蛛がユーマを追うように浴場から出てきたのにも、誘発する原因があったのだとわかる。
「ユーマ、止まれ。右手にいる」
先頭を歩くユーマの後ろから、エドガスが小さく、そして低く声を掛ける。ユーマは足を止め、視線をエドガスが示す方へ向けると食事中らしい大蜘蛛が見える。先頭を歩くユーマが止まることでパーティ全体が足を止め、左手側や後方、上方を注意していた全員がパーティ右手側へ注目する。
エドガスが剣を抜き、ゆっくりと蜘蛛の背後へ回り込むようにして近づき剣を振り下ろすとあっけなく大蜘蛛の頭部と、その腹部の一部を切り裂く。生命力の強い大蜘蛛はすぐには死なないが、頭部を半分に裂かれてはその命は長くはない。剣を引き抜き、エドガスはパーティに戻ってくる。
「そうそう、こいつらは“食事中”は注意が散漫になる。何か喰っているときは後ろから近づくとだいたい気付かれない」
また一つ、大蜘蛛についてユーマに聞こえるように教えながら戻ってきたエドガスに、念の為構えていた槍を下げてケアリオが軽口を叩く。大蜘蛛は視力は弱いがその分、地面を伝わる振動には敏感で気づかれずに近づくのは難しい。ただ、なにかに夢中になっている時はその振動に注意を払わなくなるらしい。
いまエドガスは軽々と大蜘蛛を屠ってみせたが、ユーマは自分に同じことが出来るだろうかと思い、もし次に襲われた時に、自分は対処出来るかを疑問に思う。蒸し暑いはずの服の下ではむしろ冷や汗が流れているし、まだ痙攣を続ける蜘蛛を見ているだけで、顔から血の気が引いていく気がした。
「全部こう楽だといいんだけどな」
念の為構えていた槍を下げて、出番のなかったケアリオがおどけるが、そんなに美味い話はないだろうとケアリオ自身も承知しているだろう。そんなケアリオは青ざめた顔をしているユーマの肩を軽く叩き、持ち場に戻る。
「ユーマ、次から蜘蛛を見つけたら、戦わなくていいが獲物だけは抜いてみな」
ユーマはエドガスに止められた時に、ただ止まって確認しただけだったが、冒険者たちはその時点で臨戦態勢を整えていた。こうした違いは経験の差なのだろう。そうした経験は、実践していかなければ身につかないものだ。
――――
ユーマの知っている範囲では最初の一匹以外、やはり蜘蛛を見なかったため、早めに昼食を取った後、少し奥へと調査範囲を進める。ユーマの入ったことのない場所になるのでユーマが案内として先導する必要が無くなり、先頭をエドガスと交代し、ユーマは四人に囲まれる配置となる。
少し奥に進んだだけなのだが、大蜘蛛たちの姿を見る率が目に見えて増えてくる。それでも冒険者たちにとっては苦労する相手ではない。冒険者たちに警戒し、威嚇しながら後退りするような蜘蛛なら対処はしやすい。エドガスが注意を反らしてその間にケアリオが槍で持って切り裂き、刺し通す。
大蜘蛛たちはその名の通り、通常の蜘蛛に比べて巨大だが、ただ大きい蜘蛛ではない。知能は通常の虫のそれではなく、犬などの動物程度に知能が高いのだ。数で勝てそうなら強気で出てくるあたりはそうした計算を働かせている証拠だろう。
しかし、眼の前のことに集中してしまうその性質のせいで、その感覚は騙しやすい。エドガスが注意を引くとケアリオの攻撃にあっさりと反応できなくなる。面倒なのは威嚇もせず逃げ出す個体だ。蜘蛛を減らすのが目的の冒険者にとって、蜘蛛を逃してしまっては目的の達成が遠のくばかりだ。
とは言え、逃げ出した蜘蛛を追いかけるのは下策だ。逃げた蜘蛛を追った先で蜘蛛の集団に出くわしては面倒だし、蜘蛛でなくても害獣などとの急な遭遇は避けたい。そうして逃げる蜘蛛の対処は女性二人の仕事だった。
ヒルダが杖を振りかざせば木の根が持ち上がり蜘蛛の足を止め、土が手を伸ばして蜘蛛の脚を掴む。あるいはミュリーナが手を振り下ろせば、その手から光が走り、逃げた蜘蛛を撃ち貫き、あるいは何かに押しつぶされるように蜘蛛がひしゃげ、体液を撒き散らした。
冒険者たちは一つのパーティとして群れで狩りをする狼の如く、出会った大蜘蛛を流れるように打ち倒していく。それぞれの連携にも熟練を感じさせ、会話も少なくごく短い合図のみでそれを実現していく。ユーマはそのただ中で、鉈を抜いてはしまう。
正直に言えば鉈を抜いたところで脚がすくんでいて動けはしない。救いといえば葛藤などする暇もなく冒険者たちが蜘蛛を処理してくれていることだろう。そしてユーマは確かに足手まといでしか無かったが、大蜘蛛がそれほど強い相手ではないおかげでそこまで邪魔になっていると言うほどでもなかった。
――――
何匹目か数えるのも忘れてしまった大蜘蛛を打ち倒した後、ただ鉈を抜いていただけのユーマが緊張をほぐそうと大きく息を吐いて深呼吸をする。
「ユーマちゃん大丈夫?」
「……はい、大丈夫です」
ユーマは絞り出したような声で返事をして、一度も使っていない鉈をまた鞘に戻す。そして歩き出した先頭に続こうとして木の根に足を取られてよろめいたところをミュリーナに支えられてしまう。
「エド、そろそろみたい」
「わかった。じゃあ少し休憩したら今日は戻ろう」
ミュリーナに促されるままにユーマはその場に座り込み、冒険者たちも周囲を見張りつつも各自で座ったり、木に寄りかかったりして体を休める。
「……すみません……」
「大丈夫大丈夫。ユーマちゃんがんばってるよ!」
ユーマが付き添うように隣に座るミュリーナに謝る。疲れは感じないがひどく気分が悪く頭痛がする。服を濡らす汗は冷たく感じ、そしてユーマの肩を抱くようにして励ますミュリーナの体温が暖かく心地よい。
役には立たなくてもせめて足を引っ張らないでいたいと思っていたユーマであるが、冒険者たちだけならまだ調査を続けられただろうと思うと肩を落とすばかりだったが、冒険者たちにしてみればユーマの評価は多少の差はあれまだ良好だ。少なくとも途中で倒れられる事もなかった。
元から戦力としての期待はしてはいない。逃げ出すならまだ良し、捕まえて縄でも付けておけばいい。無謀に突っ込んだり、指示を聞かない様であれば足手まとい以下である。今も“水を飲みすぎない様に”と言う助言に従い、取り出した水袋から舐めるように水を口に含み、喉を湿らすように飲み込んでいる。話を聞かずに水袋を呷っていれば今頃は吐き出している頃だろう。
「動けます」
ユーマがそう言って立ち上がったのを機に、パーティは帰路をたどり始める。もともと村を起点に深度に沿って領域を決めて彷徨いていたので戻りの方が来たときよりも短い。ただし、今まで通った道ではないので戻りにも、もちろん大蜘蛛を討伐しつつ戻ることになった。
――――
木々のあいだの空間が広がる森の浅い部分まで出てくると、ユーマの緊張が落ち着き足取りもしっかりしてくる。早めに切り上げたのでまだ陽は高い。精神的なストレスが疲れの原因だったので、その原因が遠退くことで体調は回復に向かっている。
「ユーマちゃん、疲れてない?」
「はい。もう、大丈夫です」
朝から歩き続けていたことによる疲れはほとんど無い。吸血鬼の身体は火傷などの損傷を驚くほどの速度で癒やす力を持っている。それは同時に強い体力もユーマに与えていた。暑苦しい服装で厳しい思いはするものの、それでも耐えて動き続けることが出来るのもそのおかげだろう。
「元気そうなら、明日も森に入って大丈夫そうだな」
「はい。明日は全部、……ええと、最後までやります」
「ああ、頑張って稼がせてくれよ」
エドガスの言葉に答えたユーマに、ケアリオが激励を送って笑う。彼らにしてみればユーマが諦めてくれたほうが楽ではあるが、諦めない姿勢そのものは評価ができる。切り上げた時間こそ早かったがユーマの体力にも余裕があり、慣れさえすれば十分な時間調査を続ける事ができる様になるだろう。
「ユーマはミゲルさんの所は必要ないんでしょう?先に家に戻ってなさいな」
「はい、ありがとうございます」
村まで歩き、ヒルダの提案でマイス家の前でユーマは四人と分かれる。村長の依頼を受けているのはあくまで四人だ。彼らは一日終わるごとに村長への報告を行う必要がある。もっともユーマも似たようにマーリドへ一日終わる毎にその日の行動を話すよう言われていた。
形式的な依頼主との連絡なので、どうせすぐ戻ってくるのだがミュリーナは大げさに別れを惜しみながら三人に引きずられていった。
ユーマが家に入ると、マーリドとエルザ、そして兄弟たちが出迎えてくれた。兄弟たちがユーマを取り囲み、初冒険の話を聞きたがるのをマーリドと一緒に何とか落ち着かせ、皆でテーブルを囲んで話すことになる。
思っていた以上に多くの大蜘蛛に遭遇したこと。冒険者たちがそれらを逃がすことなく、素早く討伐していったこと。ユーマ自身は見ていることしか出来なかったこと。終わり頃には緊張と恐ろしさのあまり頭痛さえ覚えて動けなくなってしまったこと。ユーマのその不調が原因で早めに帰ってくることになったこと。
マーリドはそれらを黙って聞いてくれていた。兄弟たちは興味が向くままに途中に質問を挟んでくる。ユーマはなるべく答えつつも、話が脱線しないようにマーリドに報告していった。デニスがユーマの話を茶化しそうになるとその口をマルスが塞ぎ、シーナは興味を向けつつも沢山の蜘蛛の話に顔をしかめていた。
ユーマの話が終わると、マーリドは少しのあいだ沈黙したままユーマを見る。調査の終盤、自分の体調不良により調査を切り上げた辺りの話をする頃から、ユーマはうつむきがちに語っていた。足手まといでしかなく冒険者たちの邪魔にしかならなかったことをよほど気にしているようだ。
テーブルに視線を落としているユーマの頭に手を載せて、マーリドはユーマに労いの言葉を掛けた。
「最初はそんなものだよ。さあ、少し早いが食事にしよう。マジロを呼んできてくれるか?」
ユーマを兄弟たちが頷いて、まだ外で今日の片付けをしているというマジロを全員で呼びに行かせ、自身も立ち上がりエルザを手伝ってテーブルに食器を用意しつつ、ユーマの話を評価していく。
確かにユーマは冒険者たちの足を引っ張ったかもしれないが、冒険者たちの初日の仕事としては悪くない進度だ。素人がついていってそれを妨げなかっただけでも上出来だろう。子供たちが居なくなって静かになった食卓で、マーリドはエルザと共にユーマの無事を神に感謝するのだった。




