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26 さあ、終わらせましょう

 ミュリーナが動けるようになるまで時間を稼ぐために行なっていた戦闘は、互いに相手に致命的な傷を与えられない状態が続いていたが、ユーマが加わることで変化が起きていた。冒険者と変異体が、徐々に傷を増やし始めたのだ。


 ユーマの参戦により、冒険者たちは攻撃の手数を増やすことになり、また、三方向から攻撃することにより変異体の死角を突くことが増え、変異体の身体に傷を蓄積させていく。しかしユーマの加勢はヒルダの支援を分散させる結果になってしまっていた。そのため冒険者側も変異体の攻撃を受ける事が多くなってしまう。


 変異体は真後ろ以外であれば斜め後ろであっても足を伸ばすことで攻撃が可能だった。正面以外への攻撃は狙いは正確ではないが、横薙ぎに脚を振るわれると多少の狙いの粗さなど問題にはならない。数百キロの巨体から繰り出される攻撃はそれだけでも脅威的だ。


 そうした攻撃が致命傷にならないようにヒルダが魔術による防御を行なっているのだが、変異体の大きさにより、取り囲んだ三人の内の一人はヒルダから見て死角に入りがちになり、ヒルダの見えない位置への攻撃はヒルダでは防御ができない。また守る対象が三人に増えたことでヒルダの魔術の連続使用の限界を超えてしまっていた。


 本来なら、ヒルダが守りを固める対象は一人であることが望ましい。いつもならばエドガスが手数で押し、大胆で大袈裟な攻撃で相手の注意を引くのだが、変異体はその手数に騙されること無く、ケアリオの攻撃こそを脅威の対象として注意しているらしい。そして変異体はそれとは別にユーマのことを事更に意識している。


 ユーマの持つ剣の魔力は、ヒルダがエドガス達の武器に施したものよりも強力であるらしい。ユーマの剣術は未熟以前の状態で、その剣を使いこなしているとは言い難いが、それでも変異体の死角からの攻撃は変異体へ多少なりとも傷を負わせていた。


 しかし変異体はユーマの攻撃により受ける傷に比べて、ユーマへの反撃の頻度が多い。それはユーマへ感心を持っているらしいと言う事を共に戦う冒険者たちに感じさせた。


 ユーマへの攻撃をヒルダの魔術が防いだ直後に、ケアリオに別の攻撃が襲い、ヒルダの防御魔術は間に合わない。避けそこねたケアリオが攻撃を食らい、後ろへ弾き倒される。すぐに起き上がる辺り傷は浅そうではあるが、冒険者側へも着実に傷と疲労が蓄積されていく。


「ヒルダ! 私は、大丈夫です。ケアリオとエドガスをお願いします!」

「そんなこと言っても貴方!」


 ユーマの言葉にもヒルダとしては同意しかねる。鉄製や革製など違いはあれ鎧を着込んだ戦士たちと比べ、ユーマが着ているのは革製の服だ。擦り傷くらいは防げても、変異体の攻撃の前では何も着ていないのと変わりがない。


 しかし、変異体はケアリオへの追撃とばかりにその頭上へ脚を振り上げ、それを振り下ろすと見せかけ、ユーマに向かってその脚を薙ぎ払う。変異体のフェイントにユーマたちは虚を突かれ、まともに変異体の攻撃を袈裟斬りに浴びせられたユーマはジャケットと、上半身を引き裂かれつつ、破れたジャケットの切れ端が変異体の脚に引っ掛かり、そのまま地面に引きずり倒されてしまう。


――ギシ! ユーマァ!ヅガバエダァ!


 ユーマは寝転がった状態では剣を振るえず足で変異体の脚を蹴り飛ばすが、変異体の体重をかけた脚はユーマの寝転がったままの蹴りでは揺らぎもしない。エドガスもケアリオもユーマを助け出そうと変異体を攻撃するが、変異体は動きを鈍らせ攻撃を食らってでも、ユーマの服を巻き込んで踏んだ脚を動かそうとはしなかった。


 ユーマは剣を振るえないならばと、逆に剣を軸に体を回すように動かし、剣の刃で服を切り離して変異体から逃れる。立ち上がり直したユーマの露わになった半裸の上半身に付けられた傷は、見る間に繋がって塞がり、傷口から吹き出した血だけを残して血まみれになりつつも、その皮膚だけは何事も無かったように綺麗な肌だけが残る。


「ヒルダ、私は、大丈夫です」


 先程の言葉を繰り返すユーマに、尋常ではない回復力を見せられてヒルダは驚かされつつも、ユーマの言葉に納得せざるを得ない。ユーマを防護の対象から外して、エドガスとケアリオへ防護の魔術を集中させるのであれば、ヒルダにとってはユーマが参戦する前と同じだ。余裕があるとまでは言わないが、変異体の大振りな攻撃の大部分を防ぐことが出来るだろう。


 ユーマが加わる前の攻防の状態のままユーマが加わるのであれば、確実に冒険者側が有利に戦闘を進められる。その分ユーマは直接に変異体の攻撃に晒されることになってしまうが、もとより冒険者たちには、ヒルダでなくとも変異体からユーマを守りながら戦う様な余裕などはないのだ。


 ユーマの攻撃の分だけ、そして変異体がユーマに気を取られている間のエドガスとケアリオの攻撃の分だけ、変異体は傷を増やすが次第に変異体も対応を変えてくる。ユーマだけ守りが弱いと見ると変異体はユーマへの攻撃を更に増やしていく。だがそれ自体が冒険者にとってはさらに有利に働いてしまう。


 攻撃される対象をなるべく纏めることこそ冒険者たちの望んだ戦い方なのだ。本来はエドガスに相手の攻撃が集中するのがより望ましいが、その対象がユーマになっただけである。しかし、若く未熟で、装備についても貧弱なユーマを矢面に立たせて初めて有利に戦えるというのは歯がゆい戦い方ではある。


 拙いながらも剣を振るうユーマは、変異体の攻撃を何度も受け、傷つけられ、それが治り、また傷を負うのを繰り返している。そして治るのは身体に受けた傷だけでユーマの服はもはや原型をとどめておらず、血で汚れた服だったものの一部が身体の一部に残っているだけだ。もう揶揄ではなく、裸で戦っているのと変わりがない。


 ユーマに攻撃が集中し始めたことでヒルダには余裕が出来てくるが、だからといってユーマを魔術で守り始めれば、またどちらが有利かわからない状況に戻ってしまう。冒険者たちに出来ることと言えば、少しでも早く変異体を仕留めるか、あとはミュリーナが逃げられるまで回復してくれるのを祈るしか無い。


 ユーマの驚異的な回復力も、ユーマを送り出したミュリーナが何らかの魔術を施したのか、あるいは動けないながらも何処かから、今現在もミュリーナが支援しているからだろうと冒険者たちは考えるが、いつまでその状態が保てるのかもわからないことを思うと、冒険者たちは焦りを感じずにはいられない。


 あるいはミュリーナが戦えるほどまでに回復すれば、その魔術の威力で変異体を押し込められるかもしれないと考えるが、ミュリーナ自身がすでにユーマによって例え回復しても、逃げることも直接戦うことも出来ない状態であることは流石に知りようがなかった。


 有利に戦いが進んでいるとは言え、それはあくまで変異体へ追わせている傷が冒険者のそれよりも多いというだけに過ぎない。高い生命力と持久力を持つであろう変異体相手では、変異体を倒すのが先か、冒険者たちが疲れ果てるのが先かが分からないと言う状況だ。



 だが、そんな状況に先に痺れを切らせたのは変異体の方だった。男たちへの攻撃は魔法により殆ど届かず、攻撃の当たるユーマはどんなに攻撃しても立ち上がり、男たちに追撃を邪魔されている間に傷が治ってしまう。そして変異体自身は大小の傷を確実に増やしている。


 ユーマも変異体も見た目はぼろぼろだが、ユーマが服だけなのに比べて、変異体の方はユーマの様には傷が治ってはくれないのだから、このままでは変異体に勝機はないように見えた。変異体は咆哮のような鳴き声を上げ、ユーマを中央に見据え、他の人間たちを無視してユーマに向かって走り出す。


――ギガァ! ジャマガ、ユーマァ! アギヅガ、ジャマガゴ、ユーマ!



 横幅が数メートルに及ぶ変異体の至近距離からの突撃を避けるのはまず不可能だ。止められないのであればそのまま食らうしか手はない。ユーマは剣を左手に持ち替え握り拳を下から上へと振り上げる。


「やります、ミュリーナ!殴れ(・・)!」


 ユーマの眼の前の地面が、土塊の重量だけなら変異体にも負けない量の塊となって盛り上がり、ユーマに向かって突進する変異体に打ち掛かる。変異体の斜め下から顎を正面に捉えた土塊の巨大な拳が、変異体をわずかに浮かすほどの勢いで打ち上げその突進の威力を完全に相殺して土塊自体は粉砕される。


――ゴア、ユーバ! オバゲボ、オバゲボガァ!

『ぼくじゃない、ミュリーナだ!』


 体重を載せた突進を急激に止められた変異体は、先にミュリーナによって体当たりを止められた時に出来た胴体の亀裂を、自身の体重によって更に押し広げ、体液を撒き散らす。ユーマは剣をまた右手に持ち替え突進を止められた変異体に走り込み、変異体の二つの主眼のうちの、無事であった右眼に突き立てた。


「あと、これは、返してください!」


 ユーマは変異体の右前足の付け根に刺さったままとなっていた鉈の柄を左手で握り、更にそれを押し斬りつつ叫ぶ。


宿れ(・・)!」


 ユーマの声と同時に鉈が青白く輝き出し、ヒルダがエドガスたちの武器に施したのと同じ様な魔力がユーマの鉈に宿る。ユーマの脚より太く、一本で数メートルもあるその右前脚は、付け根である最も柔らかい部分を断ち切られて、丸太が落ちるような音を立てて地面に落ちた。


――オバエバ! ギボンギンゴオバエバ! ドグギャッデマボウゴ!

『じゃあ、日本人のあんたはどうしてそんな姿になったんだよ!』


 剣を引き抜き、右手の剣と左手の鉈をもって頭上へ振りかぶり、それを変異体の頭へ叩きつけるとその場で回転して勢いをつけ、再び両手の剣を変異体の頭部へ横薙ぎに叩きつける。紅と青の光が舞い、変異体の顔面を叩き斬り、変異体はほとんどの眼を潰され視界を奪われ、それを守ろうとした触肢もまた、切り落とされてしまう。


 止めとばかりにもう一度両手の武器を振り上げ頭上で交差させ、それを正面の間隔を開けて振り下ろすと同時に、もう一度叫ぶ。


断て(・・)!」


 至近から放たれた魔術が、ユーマが振り下ろした剣を持った側にある変異体の左脚を二本、そして鉈を持った側の右脚の一本を裁ち落とす。事実それは決着の一撃と言っても良かった。小さな蜘蛛とは違い、残った三本の脚では変異体はその巨体を支えきれないのだ。


 強い脚力で身体を地面に引きずりながら、あるいは転がりながらならば移動することは出来るかもしれないが、そんな状態ではまともに攻撃することは出来ず、ましてやこのまま生き延びても今の変異体の餌食になる者などいないだろう。


 少し距離を取ったユーマたちに囲まれ変異体は、しばらく残った三本の脚を振り回していたが、次第に無意味さを悟ったのか大人しくなっていく。変異体は生きてはいるものの動きを止めたのを見て、ようやく冒険者たちは手に持った武器を下ろし、張り詰めた気をゆるめて息をつく。


 最初に緊張の糸を切ったのは、間違いなくユーマだろう。武器を落としはしなかったものの、大きく息を吐きだしたのと同時にぺたりとその場に尻を付いて座り込んだ。そのユーマにケアリオが走り込み、ユーマを羽交い締めにしながら頭を掻き撫でる。


「なんだよユーマ今のは! そういうのは俺の役目だろうが!」

「け、ケアリオ。苦しい、です」


 最後の魔術を織り交ぜたユーマの猛攻にすっかり攻撃役としてのお株を奪われたケアリオだが、それ以上にユーマの見せた連続攻撃の威力に心を踊らせてユーマを称える。もっとも魔術を使えないケアリオに同じことは出来なかっただろう。その後から、小走りに走ってきたエドガスがユーマに質問する。


「ユーマ。今のはミュリーナの術か?」

「はい。ミュリーナに、手伝ってもらいました」


 エドガスにはミュリーナがどの様に手伝ったのかは分からない。そもそもこの場に、ミュリーナはいないのだ。そして近付いてきたエドガスに向かい、ユーマが苦言を呈する。


「ちょっとエド! いつまでもユーマちゃんの裸じろじろ見てないで、そのマント貸しなさいよ!」


 突然、流暢に喋りだしたユーマの言葉は、その言葉遣いや喋り方はよく知ったミュリーナの喋り方そのもので、それを聞いたエドガスは言葉を失い、ユーマを羽交い締めにしていたケアリオも驚いて動きが止まる。


「ミュリーナ、か?」

「はい、ミュリーナです。あ、ミュリーナに心を、戻さないといけないです。ケアリオ、武器を、お願いします!」


 驚いてユーマを締める腕の力を失っていたケアリオから逃れ、剣と鉈とをケアリオに預けてユーマはミュリーナを隠した木陰へと駆け出していく。慌ててユーマを追いかける冒険者たち三人と共に、少し離れた木陰で意識を失っているミュリーナの身体の元へたどり着くとミュリーナの状態を確認した。


 ミュリーナは静かに呼吸し、眠っているように動かない。ユーマはそのミュリーナに今度は唇を合わせミュリーナに息を吹き込む。どうしてそうするのか、そもそもどうして自分の身体にミュリーナを呼び込めたのかは、ユーマ自身にもよく解っていない。ただ、ミュリーナの血を飲んだ時にそれが出来るという知識が身体に流れ込んできたのだ。


 ユーマが息を吹き込むのと同時に、ユーマの中に残ったミュリーナの魔力が再びミュリーナの身体に戻るのを感じ、そしてミュリーナに戻す魔力以上の大きな喪失感を感じる。せっかく昂ぶっていたユーマの心が、一気に冷え込んでいく。だがそれは先程までのユーマが異常なまでに昂ぶっていただけで、いつもどおりの状態に戻るだけなのだ。


 唇を離したユーマの腕の中でミュリーナはゆっくりと目を開き、唇を離したことで離れたユーマを抱きしめて距離を詰める。


「ありがと、ユーマちゃん。て、エドーっ!マント貸してって言ったじゃん!」


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