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23 こんな出会い方はあんまりです

 エドガスたちがユーマ達の狼煙を頼りに昨日、変異体と遭遇した広場近くまでたどり着いた時、昨日はなかった物を見つける。前に進むのが難しくなるほどに木々の間に蜘蛛の糸が張り巡らされていた。普通に見る蜘蛛の巣に見るある種の規則的な美しさを見せる放射状ではなく、その様子は立ち入りを制限するための柵か隙間のある壁のようで、その出来栄えは乱雑に急造されたように見えた。


「何だこりゃあ?」

「ずいぶんとお粗末じゃないか」


 数ミリの太さが見て取れるその糸は変異体の糸で間違いないだろう。隙間があるとは言え、人が通れる隙間ではなく、ここに仲間内で最も小柄なユーマが居ても潜れそうな穴はない。しかし、変異体は巣を張る蜘蛛ではなく獲物を狩猟する、徘徊性の蜘蛛ではなかったのだろうかと訝しむ。普段は巣を張らない変異体が一晩でこれほど大規模に糸を張り巡らせたのだろうかと考えるも、検証をしている場合ではない。今はユーマたちと合流するのが優先だった。


「遠回りになるが迂回しよう」


 少なくとも変異体が貼った糸が夜の間に張られたということは、この近くはまだ変異体の活動範囲であることに間違いはない。大きな音を立てたり、糸に触れたりして変異体にこちらの居場所を知らせることは避けることにする。しかし、迂回を初めて直ぐに奇妙なことに気がつく。


 多少の違いはあれ変異体の糸で出来た壁は、エドガスたちが向かいたい狼煙の方へなだらかに曲がっている。だと言うのに進んでも狼煙の元へ、一向に近づいていかない。雨による灰色の背景の中で見づらい狼煙は、森に入ってからは木々に遮られて更に見づらくなっているが、壁の曲線に沿って迂回を始めてからも間違いなく近付いていない。


「なあ、この壁って……」


 ケアリオがその不安を口に出す。エドガスもヒルダも相槌を打ちその不安が全員同じものであることを確認する。どうやら、変異体の糸で乱雑に作られたこの壁は狼煙を中心とした大きな円の形に張り巡らされているらしい。つまり変異体もまた狼煙の基に変異体にとっての獲物がいることを理解しているということになる。


 獲物を逃さないために、あるいは狩りの邪魔をされないために、普段ならば作らない囲いを糸で作ったのだとすれば、囲いの中の獲物を確実に捕らえるつもりなのだという意思を感じる。


 もしもこの壁が円として完成していたとしたら、一部を破り中に入ったとして、森の中のことだ。破った場所をもう一度見つけられるかわからない。出る時は別に壁を破る必要があるだろう。もし変異体に見つかった状態であれば壁を破り逃げ出す者を黙ってみている訳はないだろう。


「邪魔するな、さもなくば覚悟を決めろってところか?」

「こんな力技で作った結界なんて初めて見るわよ」


 うんざりと言った口調でケアリオとヒルダが文句を言うが、その言葉とは裏腹に鋭い目つきで二人はエドガスを見やり頷く。魔術師であるヒルダ頼みとはなってしまっているが昨晩の内に即席で打てる対策はとってある。そして今は離れているがミュリーナも優秀な魔術師であり、冒険者であることは間違いない。魔術が使える状態にまで回復しているのなら、ただ待っているだけではないだろう。


「よし、迂回は中止だ。突っ切ってミュリーナたちと合流を優先するぞ」


 エドガスが計画変更を伝えたその時、糸でできた壁を越えて森に爆発音が響いた。例の合図に使う魔術は近さの割に低い位置に聞こえ、普段なら上空で十分威力を削がれるその衝撃波が木々を揺らした。



 ――



 狼煙を上げ始めてから身支度は済ませておき、何時でも動けるようにしておく。しかし最初のうちは緊張していたものの、段々と緊張感が薄らいでしまう。長い時間集中力を維持し続けるというのはどうしても難しい。一人前の魔術師であるミュリーナも魔術の行使のために瞬間的に高い集中力を発揮する訓練をしているが、長時間の集中力の維持というのはやはり難しい。


 狼煙を保つという重要な作業はあるが、それ自体にはほとんど労力を使わないため、結局はだんだんと二人でとりとめもなく駄弁る様になっていく。幸か不幸か二つの意味で会話が苦手なユーマにしても、ミュリーナと言葉をかわすのはむしろ望む所であり、話は弾んでしまう。


「エドガスたちは、もう近くまで来ていますか?」

「エドのことだから、なるたけ早めに出発するだろうし、そろそろこの近くを探してる頃だとは思うけどねぇ」

「待っているだけなのは、ちょっと不安になります」

「わかる。そうだねぇ、ちょっと合図とか送ってみる?」


 立ち上がりながら服についた土を払い、ユーマから少し離れて空の見える位置へ移動する。雨には濡れるが、魔術を一つ使う間のことなのでそれほど気にすることでもない。何よりも空が見えない位置で発動するのは危険な魔術だ。普段合図に使っている魔術は高圧縮した空気を上空へ打ち上げ、適当な高さで開放することで圧縮された空気が爆ぜる時の音を利用している。


 ただ、非常に簡単に組んである術式だったため、打ち上げ途中で何かにぶつかった場合、軌道がそれたり、そもそもその時点で開放され意図しない場所で爆発する可能性がある。適切に使う限りは安全だが、雑に取り扱う訳にはいかない。もっとも、それはどんな魔術にも言えることだった。


 上を見上げ頭上に問題ないことを確認してから、集中し、ミュリーナは詠唱を始める。魔術の行使に集中力は欠かせない。事前に準備を済ませ、ほぼ即時に行使可能にした魔術でもそうだが、準備をしていない魔術は特にそうだ。目を閉じ己の魔力感覚だけに意識を集中する。それ以外の感覚はその集中力を持って遮断する。特別な言葉で呪文を詠唱し、精神の力で魔力を望んだ形へと鋳込む。


 この集中こそが魔術師の最大の弱点だ。行使する魔術により時間の長短は其々だが、その集中力で一種の自己暗示により魔力感覚以外を遮断してしまうと、その間の魔術師は無防備であり、その間に起きた出来事には対応できなくなるのだ。刹那の臨機応変さが必要になる場面において魔術の集中を初めた魔術師は一人で対処できない。


 術が完成したミュリーナは目を開き、目には見えないが掌の先に高圧縮された空気の塊があるのを感じとる。あとはそれを打ち上げるのみとなった時、視界の端に映った動くものに気を取られる。


 その暗褐色の巨大な影は雨や風が揺らす樹の葉や草の音に紛れるようにゆっくりと動いている。その距離は僅か二、三十メートルといったところか。魔術師が変異体を相手にするには近すぎる。変異体がその気で近付いてくれば魔術をあと一つ使えるかどうかといった距離だろう。変異体もミュリーナに気づかれたのを察知したのか、足の動きが速度を増す。


「ユーマちゃん伏せて!」


 迷いは一瞬で切り捨てミュリーナはユーマに指示を飛ばしていた。ユーマに向かって叫ぶが、ユーマが伏せるのを待つ時間はない。そして既に完成し発動を待つばかりとなった魔術が手元にある以上、今使える術はこれしか無い。その術を、地上のそれもこんな近い相手に使うのは想定などしてはいない。だが、相手は待ってくれるきはなさそうだった。


爆ぜよ(・・・)!」


 空に向けるはずの腕を変異体に向かって掲げ、ミュリーナは魔術を発動させる。ユーマは訳も分からずに慌てて伏せようとするのが見える。ミュリーナ自身も発動したらその効果を悠長に確認などしてはいられない。圧縮された空気の一部を漏らす空気抜けの音が聞こえるや否や、ミュリーナも頭を抱え後ろに倒れ込むようにして身体を伏せる。


 爆発音はミュリーナが身体を倒し切る前に聞こえてきた。衝撃波と共にいろんなものが吹き飛ばされてくる。そしてそれ以上に、近くで発生した爆音に爆発が終わった後も甲高い耳鳴りが残り、その耳鳴り以外の何も聞こえなくなる。術者本人であるミュリーナ自身、指向性の無いこの爆発をこれほどの至近距離で体験したことなど無かった。


 爆発が終わると同時にユーマはミュリーナの元へ駆け寄り名前を呼ぶが、ユーマ自身、自分の声すら聞こえておらず、ユーマ自身もそうなのだから当然ミュリーナもユーマの口が動いているのが見えてもユーマの声は届いていない。ユーマに助け起こされ、ミュリーナが立ち上がる頃にやっと耳鳴りが収まり、交代に雨の音が戻ってくる。


 爆発の中心だったはずの方へ目を向けると、変異体はまだそこに居た。爆心地で直撃を受けたためか動きを止め、時々体を震わせている。目に見える範囲では、左側の第二脚が途中から吹き飛び、左側の頭胸部と鋏角の一部、そして蜘蛛の後ろにある腹部の左側に大きな裂傷を起こしている。変異体との戦闘で初めて与えた明確なダメージだ。しかし、変異体相手には浅いと言わざるを得ない。


 選択の余地がなかったとは言え、開放された環境で指向性のない爆発を起こしても威力の大半が別の方向へ逃げてしまう。実際、ユーマやミュリーナの方へも距離に寄って緩和されているとは言え、衝撃波が伝わってきている。だが、変異体は大きな傷を与えられたことに混乱しているのか、体を震わせて動かない。


 距離はもう十数メートル。体長三メートルの変異体にとってはほんの数歩の距離だ。だが、動かないでいるのならばその好機を逃がす訳にはいかない。即時発動が可能な魔術であれば、一瞬で完成する。


穿て(・・)!」


 振りかぶった腕を声とともに振り、ミュリーナの手の中に瞬時に成形された氷の粒を変異体に投げつける。変異体へと飛んで行く氷の粒は投げられた後も急速に成長し、大きな槍となって変異体にぶつかる。狙うのは蜘蛛の身体の巨大な腹部だ。頭部よりも巨大なため前から見ても身体の後ろにある腹部は狙いやすい。


 ミュリーナの魔術の下地となっているのは前回の戦闘で変異体を捕らえるために使った氷の柱を作り出す魔術だ。その術式を変更し、即時に発動できるよう準備をしていた。ミュリーナもユーマが寝ている間、その寝顔をただ楽しんで見ていたわけではない。


 前から見えるとは言え、巨大な変異体が腹部の前面上部を直接攻撃されたのは初めてだろう。蜘蛛の身体の中でも腹部は柔らかい部位だ。蜘蛛の変異体もまた、外殻が硬いとは言えそこは比較的柔らかい。ミュリーナの狙い通り、氷の槍となった氷柱は変異体の腹部を前から貫く。


 だが、また浅い。刺さりはしたがミュリーナの予定ではそのまま貫通させるつもりだったのだ。しかし、想定通りではないとは言え、刺さりさえすれば更に用意してある次の手に進められる。


蝕め(・・)!」


 変異体に突き刺さった氷の槍の表面から、トゲのような氷が突き出す。変異体から飛び出して見えている部分だけではない。変異体に突き刺さった体内でも、同じことが起きているはずだ。


――ダダダ、イダ! オガエエエエ!


 変異体が叫び声を上げる。発生器官の形状により、変異体は発声の強弱をつけるのには向いていない。だがそれは間違いなく変異体の叫び声だったのだろう。発声器官である鋏角に傷を追っているからか、以前聞いた変異体の鳴き声とも違って聞こえた。より細かく振動しているのか、以前よりも一音階ほど高めに聞こえる。


 その声を聞いたユーマは、心をざわつかせる。変異体の鳴き声だからではない。その内容にだ。その鳴き声に、何処か聞き覚えが在った。変異体の鳴き声が大蜘蛛の鳴き声以上にユーマを逆撫でするのは、もしかしたら最初からその所為だったのかもしれなかった。


「ユーマちゃん!逃げるよ!」


 ミュリーナは恐々とした顔で変異体を見るユーマの手をとって走り出す。それを見た変異体も二人を追うが、狭い木々の間で体を揺らすと身体に刺さった氷の槍が大きく左右に振れ、まっすぐ前に歩けず、またその柄が木々にぶつかり変異体の前進を妨げる。


 魔術師は手数が少なくなる分、一つの魔術に複数の意味をもたせることも多い。ミュリーナの魔術は変異体に傷を負わせ、その上で変異体の足を止められないまでもその歩速を大幅に遅らせる役目を十分に果たしていた。


 ユーマと、ユーマを連れて走り出したミュリーナの耳には雨の音と、後ろを追う変異体の鳴き声と、それとは違う別の声が聞こえてきていた。


「ミュリーナぁ! ユーマぁ! いるかぁ!」

「エドぉ! こっちぃ!」


 聞こえてきたエドガスの声にミュリーナも声を張り上げて答える。木々に遮られ場所まではわからないが、声が届く範囲に仲間が来ている。落ち着けさえすればもう合流は直ぐだろう。ただ、変異体に追われたままではどちらに進むのが正しいのか特定はできない。とは言え足も止められない。


――ダダ! マデオ、ヂグジョオ!


 ミュリーナに手を引かれて走るユーマは変異体の声を聴きながら珍しく汚い言葉で悪態をつく。最近覚えた言葉ではない。ユーマにとってはもう使う相手など居ないだろうと思って使うのを止めてしまっていた言葉だ。


『クソ!チクショウ!あいつ!あいつ日本人かよぉ!』


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