71話 再び動き出す過去 2
夕陽ノ万津神社がある小島は、戸建ての民家1軒分が収まる広さしかない。
安藤からの連絡があったときには、すでに相手の姿が見えていた。
それは、相手からもこちらの姿が見えていることを意味する。
いつの間に用意していたのか、複数のゴムボートで池を渡ってきたのは、総勢8人の黒服集団だった。
男性も女性もいるが、動きに隙がないことが共通している。おそらく、訓練された警護要員だ。
(この気配は、あのときの……)
背中に緊張の汗をかきながら、健二は思い出した。今朝方、アパートから出るときに感じた視線だ。
気のせいではなかったようだ。
(何だろう。腹の奥がざわざわする。口の中が乾く)
「どちら様でしょうか?」
輝夜が張り詰めた口調で尋ねた。しかし、黒服たちは答えることなく、ゆっくりと近づいてくる。ネコマタが威嚇の声を上げた。
黒服たちが立ち止まる。そして、先頭の男女がすっと脇へ避けた。
そこには、黒服たちに守られるようにして、ひとりの少女が立っていた。
年齢は小学校高学年くらいだろう。白を基調にした艶やかなワンピースを着ている。そのすらりとした手足も、ワンピースに負けないほど白く滑らかだった。
おろしたてのように美しい深紅の靴には、小さく薔薇があしらわれている。よく見れば、ワンピースの裾の部分にも、薔薇の刺繍が施されていた。
腰まである長い黒髪は、左右対称の高い位置でツインテールに結ばれている。仕立ての良い上品な服装の中で、ツインテールの片方だけに結ばれた葵色の古びたリボンが、ひときわ目を引いていた。
少女の顔つきを見た輝夜と千影が、揃って目を細める。それから何かに気付いて、健二の顔を見上げた。
少女の目元や鼻筋が、健二とよく似ていたのだ。
「エリス……」
「久しぶり、カグ兄様! 会いたかった!」
健二の言葉を聞いて、少女はぱっと顔をほころばせた。そして黒服たちの制止を振り切り、勢いよく健二に抱きついた。輝夜と千影が止める間もないほど、少女の動きは軽やかだった。
「カグ兄様って……まさか!」
「クロバラくん。この子があなたの『妹さん』なの!?」
「はい、そうです!」
健二に代わって元気よく返事をした少女は、一歩下がって丁寧に頭を下げた。
「はじめまして。黒薔薇エリスと申します。高嶺輝夜さん、紫月千影さん、いつも兄がお世話になっております」
顔を上げ、人懐っこい笑みを浮かべる少女――エリス。健二と違い、快活な印象を与える。輝夜と千影は、一瞬、毒気を抜かれて会釈を返した。
「ねえ、やっくん。今日、妹さんが来るってこと聞いて――」
輝夜は言葉を切る。
「やっくん」
「……ん(ごめん、エリスが来るなんて知らなくて)」
「やっくん、表情が昔に戻ってる。それに口調も」
健二は目を見開いた。片手を口元に当てる。
ステルス能力を使って、誰にも知られずに恩返しをしていた頃と同じ話し方になっていた。しかも、無意識に。
彼の動揺を見て取った輝夜と千影は、再び警戒感を高めた。さりげなく、健二との距離を詰める。
エリスはにこやかな表情を崩さない。
「無理に顔を隠さなくて大丈夫だよ、カグ兄様。エリはカグ兄様のその顔も大好きだから。ずっとエリを見守ってくれた、優しい優しいカグ兄様の顔」
「エリスちゃん、だっけ。どうして急にここに来たの? お兄さんに会いに来るなら、もっと別の方法があったはずなのに」
「家の事情――って言えば、あなたならわかってくれると思うな。輝夜お姉ちゃん」
押し黙った輝夜に、エリスは語る。
「エリとカグ兄様はずっと仲良しだったんだ。けど、お父様やお祖父様が『もう耶倶矢とは会うな』『忘れろ』って言って、会わせてくれなかった。エリ、すごく寂しかったよ。カグ兄様もそうだよね?」
「……クロバラくんとあなたの表情を見てると、とてもそうは思えないけれど」
「そんなことないんだよ。千影お姉ちゃん」
落ち着いた口調ながら、エリスの言葉には力があった。まるで、静かに怒ったときの輝夜のようだと、千影は思った。
「楓華おばさまから話を聞いたよ。カグ兄様の才能が、ようやくみんなに知られるようになったって。輝夜お姉ちゃんや千影お姉ちゃんが大きな力になったって言われたよ。ふたりとも、本当にありがとう!」
「いつの間に連絡を」
「えへ。エリも黒薔薇家の人間として頑張ったんだ。それでね。カグ兄様の才能を最大限に活かすために、次のステージに行くべきだってお誘いにきたの。このタイミングになっちゃったのは、ごめんね。色々手続きがタイヘンで」
後ろに控えていた黒服たちが、本革のアタッシュケースを持って前に出てきた。ケースの中にはノートパソコンや書類が詰められていた。
「政治、経済、スポーツ、芸能――どんな分野でも、黒薔薇家の力とカグ兄様の才能があれば、活躍できるよ!」
さあ、選んで!とばかりエリスは両手を広げる。
輝夜と千影は無意識にのけぞっていた。
用意が良すぎる。
輝夜がぽつりと呟いた。
「そういえば、昨日お母様が言っていた。黒薔薇家が人脈確保に動き始めたって。それって全部、やっくんのため?」
「そうだよ、輝夜お姉ちゃん。カグ兄様の最近の活躍と、高嶺家との関係修復を果たした功績をお父様たちが耳にして、カグ兄様を再び本家に迎えることになったの。今日、ようやく許可が降りたんだ! エリ、もう嬉しくて。学校が終わってすぐに飛んできちゃった!」
黒服のひとりが小さく咳払いする。
「エリス様。次期当主として、我々の気苦労もお考えください」
エリスが舌を出した。「本当は学校もお休みしちゃった。だって、カグ兄様をお迎えするのが楽しみで、勉強どころじゃなかったんだもの」と言う。
それまで黙っていた健二が、口を開いた。
「エリス。会えて嬉しい。これまでお前に顔を見せられなくて、済まなかった」
「ううん。いいんだよ。エリは全部わかってるから」
「そうだな。エリスは俺と違って、昔からとても優秀だった。今の姿を見ても、本家から信頼されているのがよくわかるよ」
エリスの肩にそっと手を置く。
「だからこそ、無理に俺に構う必要なんてない。こうして直接俺に会いに来ることを、本当は止められていたんじゃないのか?」
「カグ兄様。聞いて」
それまで浮かべていた満面の笑みが、すっと消えた。小学校高学年の少女とは思えない、大人びた真摯な表情になる。
「カグ兄様は、自分が持っているものを全部エリに渡してくれました。時間も、愛も、全部捧げてくれました。だから今度は、エリがカグ兄様にすべてを捧げる番です」
「エリスちゃん、それって」
「クロバラくんの恩返しみたいに……」
「はい。エリの場合、『恩返しの恩返し』です」
輝夜と千影は衝撃を受けていた。まさに、自分たちがしたかったことと同じことをエリスが目指していたからだ。
健二の表情は変わらない。そのことが逆に、彼が大いに困惑し、混乱していることを物語っていた。
ふと、エリスが社に近づいた。崩壊した社に向けて手を合わせた後、振り返って黒服に合図をする。
女性の黒服が、アタッシュケースから書類の束を持ってきた。
「実は、黒薔薇家がこの島の土地管理人になる手続きを進めているんだ。ここ、とっても古い神社で、誰も所有者がいないみたいなんだよね。ひどいよね、エリとカグ兄様にとって、本当に大事な場所なのに。放っておかれてさ」
所有者のいない神社の土地管理人になるということは、その神社を再建する際に決定権を持つ、ということを意味している。
「エリス。まさか」
「カグ兄様は、夕陽ノ万津神社を再建したいんだよね。エリも同じ気持ちだよ。黒薔薇家なら、ううん、エリなら、きっとカグ兄様の願いを叶えてあげられる。その代わり――」
書類を胸に抱き、再びエリスがそばに寄ってきた。
「天翔学園を辞めて、本家に戻ってきて欲しいんだ。また家族になろう、カグ兄様。夕陽ノ万津神社は、エリたちが再スタートする象徴になるんだよ」
――大きな決断を、迫られた。
【第2部 了】
とんでもない展開となりましたが……これにて第2部完結となります。
お読み頂き、ありがとうございました!
なお、第3部に関しては構想を練る時間を取りたいので、連載開始まで間が空く予定です。
あらかじめご了承ください。
それでは、今後とも和成ソウイチをよろしくお願いします!
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