♯.54 高みに在る者と高みに至る者
武術とは弱き者(身体能力的に劣る者)が強き者(身体に恵まれた者)に勝つ為に編み出された物だ……と言うのは何時どこで聞いた話だったか?
だが今この場の戦況はそんな言葉を鼻で笑うかの様な有様だ。
確かに武術の原点は弱い者が強い者に抗う為に編み出された物だったかもしれないが、強い者が同じ様に武術を用いる様に成れば、そりゃ当然強い方が勝つに決まってる。
五年前の時点ではラスカルの奴とは、身体能力そのものには大きな差は無く、俺が勝ち続ける事が出来たのは、単純に同格と言えるだろう稽古相手が同じ学校の剣道部内に居たかどうかの違いでしか無かったと思う。
しかし今の奴は警察学校と機動隊で剣道の試合だけで無く、あらゆる事件や状況を想定した厳しい訓練を積み重ねた事で、身体能力だけで並のアスリート程度ならば捻じ伏せる事が出来るだけのモノを身に着けている事が見ただけでもわかる。
その上でそんな身体を動かしているのは、俺は勿論の事バニー先輩や若和尚さんの様な歴戦の剣士すらも上回る、先生や大先生並の達人級と言って間違い無い技量の持ち主だ。
更に氣なんて言う超常の能力を俺達以上に使いこなすのだから、その戦闘力は最早バケモノと表現するしか無いレベルである。
……ガキの頃に初めて竹刀を握ってからこっち、同年代の者相手に『勝てないかも知れない』なんて感じた事は一度も無かったが、多分大会なんかで対戦した相手は今感じて居る様な感覚で俺を見ていたのかも知れない。
四人掛かりで同時に仕掛けたのを潰されて、少し弱気になってしまったのだろう、俺の脳裏をそんな思いが過る。
ゲイ先輩の放った重圧魔法ですら奴に膝を付かせる事すら出来なかった事でそんな思いは更に強く成る、昼過ぎに稽古を付けて貰った際に俺はあの魔法であっさりと潰されて手足の骨を圧し折られてのだ。
「今だ! パラライズ・アイ!」
けれどもそんな圧倒的な戦力差を目の当たりにしても諦めて居ない奴が居た、本人に直接的な戦闘能力が無く喧嘩慣れもして居ないからその差が分からないだけかもしれ無いが、この戦いに掛ける思いは絶対に誰よりも強いだろう……ラスカルの弟である。
「ぐっ……なんと面妖な! 人が妖術を使うだと!?」
奴が言っていた通り氣の力で加速していたであろうとんでもない早さが、そんな台詞と共に一瞬で失われた。
「クソ! 実力で勝て無かったなぁ癪に障るがラスカルの奴を取り返すにゃぁ今しかチャンスは無ぇ! キェリァァアア嗚呼!」
ラスカルの弟が放つ『麻痺』の状態異常は、その名が示す様に『身体が痺れて動けなく成る』と言う訳では無い、俺が試しに食らって見た感じだと身体の中に針金かなんかで作った芯棒を突っ込まれた様な感じでその場に棒立ちせざるを得なく成るのだ。
「一気に決めるわよ! ハイ! サイドチェスト!」
だがソレもずっと効果が続くと言う訳では無い、食らった時には気合を入れて無理やり動かそうとすれば芯棒を圧し折って効果を解く事が出来る。
「緋天卯鷺流……七九无斬!」
とは言えソレで隙が完全にゼロに成る訳では無い、効果を確かめる為に色んなチューナーに試した結果、最速でも十秒は動きを止める事が出来ていたのだ。
瞬きする程の時間ですら勝負を決めるのに十分な隙と成るのが武術の世界である、十秒もの間動きを止める事が出来たならば、コチラは反撃を受ける事を考えずただ全力を攻撃に傾ける事が出来る。
蹴り飛ばされた若和尚さんは未だ立ち上がる事すら出来て居らず、最初に弾き飛ばされた奥さんも一足飛びで斬り掛かるには少し遠すぎた……故に今出来た隙を逃さず攻勢に出る事が出来た前衛組は俺とバニー先輩だけだった。
後衛連中は何をやってるんだ!? と、憤る部分が全く無いと言えば嘘に成るが、先ずは目の前の敵を倒してからで無ければ、こちらの命が刈り取られる事に成るかも知れない、反省会やら追求やらは戦いの後で良い。
俺は全身全霊を……今使う事の出来る全ての氣を纏めてラスカルに叩き付ける! 即死さえしなけりゃ多分、きっと、恐らくはなんとか成る! 筈……。
そう判断したのは他の二人も同様だったようで、ゲイ先輩が放った魔法は不可視の風や重力の様な物では無く、触れるだけでも肌が焼け爛れる程の熱量を持った炎の槍を飛ばす物だった。
更に重ねられたバニー先輩の斬撃は一息の間に左右の袈裟斬りの二連から胴薙への三連撃、その鋭さはどれか一つでも完全に決まれば命を刈り取るのに十分な威力が込められている様に思う。
けれども……それら全てはラスカルの身体を深く傷付けるまでには至らない、分厚い氣の壁に遮られ俺達が繰り出した攻撃の大半を受け止め、通ったのはほんの僅かなダメージだけだったのだ。
「くっ!? 上手くやられたな。だが、この程度で勝ったと思われては困るでな。そろそろ本気を出させて貰おう。幸い先程の妖術が再び飛んでくる事は暫くは無さそうだしな」
しかしそれでも奴が持っていた余裕と言うか遊びと言うか……兎角そう言った物を捨てさせる事には成功したらしい。
「「「畳み掛けろ! 一射入魂! 南無八幡大菩薩! 此の矢外し給うな!」」」
「フレア・ロンド! 食らえ!」
「ライトニング・プラズマぁ!」
「行け! ハイドロキャノン!」
「食らえ!ウインドブラスト!」
そしてワンテンポ遅れて後衛組が一斉に矢を放ち魔法を叩き込む、俺達の攻撃で氣の障壁が減じて居た事も有り、先程の様にそれらは掻き消される様な事は無く激しい爆風を伴って奴に着弾する。
「やったか!?」
「バカヤロー!」
「フラグ建てるな!」
巻き上げられた土埃が晴れるまでにそんな台詞を吐いた馬鹿に対して罵倒が飛ぶが、そんな余裕が有るのは後衛組だけで、俺達前衛組は何時でも動ける様に体制を整えて視界が通るのを待つ。
「くかっ! くかかかかっ! 良い、良いぞ! どんな手を使ってでも相手を倒す、ソレこそが武士の本懐。武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候……と我が殿も仰っておった」
学の無い俺でも知ってるその言葉は、確か戦国時代の有名な武将の誰だったかが本に残した言葉だった筈だ。
異世界のトクガワとやらがその言葉を口にしたのは偶然なのか、それともこの世界の武将と何らかのつながりが有ったのか……。
そんな事は割とどうでも良いが土煙が落ち着いて姿を表したラスカルは、左の肩と腕に脇腹の三箇所に矢が刺さり、その身に纏っていた薄汚れたジーンズのジャケットもパンツも焼け焦げ破れ、普通の人間ならば動くのも難しい程の満身創痍と言える傷を負っていた。
「だが……もう半歩足らん。しかし貴様等がこの身体を生きたまま取り戻そうとして居る以上は、これ以上の威力を持つ攻撃を仕掛ける訳にも行かぬのもまた事実。故に……次にて勝負を決する事としよう。次の一撃にこの身体が耐えうる全ての氣を込める」
そう言った奴の身体の周りには先程までの見えない氣の壁とは比べ物にならない、肉眼にすら映る程の濃い氣が湯気の様に立ち昇り……ソレが手にした刀へと流れ込んでいくのが見て取れる。
そんなモンを直接叩きつけられたなら、まず間違い無く鎧諸共一刀両断されるだろう……けれども俺は背筋をゾクゾクと掛ける抜ける何かに従って、誰よりも前へと出て碧紅國守を八相に構え見様見真似で氣を大太刀へと流し込む。
「ちぇぃりぁぁああ嗚呼!」
「うぉぉりぁぁああ嗚呼!」
何かの合図が有った訳では無い、けれどもどちらから先に仕掛けたと言う訳でも無い、ただただそうするのが正しいと思った瞬間に全力の一撃を真正面から繰り出しただけだ。
互いの得物が打つかり合い、刃金と刃金が打ち合う甲高い音を響かせ、氣と氣が弾ける閃光が当たりを包み込み……俺はそのまま意識を手放したのだった。




