♯.51 Extra
……妙だな? ソレに気がついたのは昼に買ってきた『ていくあうと』とやらの残りを夕餉に食らい、塒にして居る橋の下で床に就こうかと思った頃合いだった。
自分が居る此の橋は川の此方側も向こう側にも、恐らくはこの世界では一般的なのであろう住宅が立ち並ぶ町で有り、多くの町人達が住まう生活の場だ。
この世界では灯火よりも明るい奇妙な明かりがそこら中に有り、生前の様に日の出と共に起き日暮れと共に寝ると言うのは余り一般的では無い事は、ここ暫くの間で理解して居る。
にも関わらず、今夜は辺りの家々から漏れる明かりが妙に少ない様に思えるのだ。
いや……コレは決して気の所為等では無い、明らかに周囲から感じられる人の気配が減っている。
この感じには覚えが有る……戦が始まる事を聞きつけた民や商人共が我先にと家財道具を纏めて城下から逃げ出す時の感覚だ。
つまり此処はこれから合戦場に成ると言う事か?
だがこの国は生前の火元国の様に奪わねば食う物に困る様な事も無く、鬼や妖怪に獣共から田畑を護らねば成らない様な事も無い、極めて平和な……ソレこそ殿が望んでいたであろう天下泰平を絵に描いた様な世界だ。
戦等早々起きる様な事も無い筈である。
そんな風に頭を悩ませていると、信じられぬ程遠くから誰かに見られている気配を感じた。
恐らくは遠眼鏡の類でも使っているのだろう、この世界は火元国とは比べ物に成らぬ程にからくりの類が発達して居る様だからな。
ソレが二対、三対と増えて来れば、戦の狙いが自身であろう事は容易に想像が付いた。
多分、この身体本来の持ち主の身内や仲間が、この身体を取り戻しに来たのだろう。
生前とは比べ物に成らぬ美味い飯には少々未練は有るが、人様の身体を奪ってまで生き永らえる様な、御天道様や神様方に顔向け出来ない恥ずかしい真似をする気は無い。
しかし……日を跨ぐ毎に少しずつ浮かび上がってくる僅かな記憶から考えるに、この世界を護る為に戦う者達は火元国の武士と比べ、氣の扱いも武芸もまだまだ拙い者が多い様に思える。
為れば相手方に剣士なり槍の使い手なりが居たならば、死なない程度に加減した上できっちり抵抗し、稽古を付けてやるのも悪い事では有るまい。
なにせこの身体を手放した後は、恐らく再び刀に宿った亡霊としてこの身体の持ち主と共に戦いを続ける事に成るのだろうし、共闘する仲間が強いに越したことは無い筈だ。
格上の相手を殺さぬ様に捕らえると言うのは、ただ単に叩き斬るのと比べ圧倒的に難しい物である。
格下の者ならば得物を叩き落とし組み伏せる事は容易いが、相手が格上とも為ればそう簡単に得物を飛ばす様な事は出来ず、組み伏せるにしたって体力を削らねば簡単に跳ね除けられてしまう物だ。
そして格上を相手に傷付けずに弱らせる……なんて余計な気遣いをして戦えば、逆に返り討ちに会うのがオチである。
故に戦場で敵将を捕らえる事が出来たならば、その首を取るよりも大きな手柄とされて居るのだ。
この身体の持ち主がこの世界を護る為に能力を求め、ソレを成す為に全力以上を振り絞ったが故に魂が疲弊し、この身体の主導権を自分に譲り渡す事になった訳だから、きっとコレが最初で最後と言う事は無い筈である。
自分の様に身体を奪う事を恥と考える様な者だけが能力を貸しているならば良いが、どう考えてもソレは楽観が過ぎるのは、考えるのが得意とは言えない自分の頭でも容易に想像が付く。
恐らくこの身体を取り戻そうと掛かって来る者達は、必要以上に傷付けずに捕らえようとしてくるだろうが、為ればこそその難しさを殺す気が無い自分が教えて置くのは先々の為に成る筈だ。
「この世界の武士達や術者がどれ程の者かは知らぬが、世界を護る為に戦うと言う志は天晴と言う他無い。ましてや己の身を顧みず仲間の為に全力以上を振り絞ったこの身体の主は、当に侠と称するに相応しき男児よの」
その身に自身以外の魂を宿し時にはその身体を奪われる危険性を知りつつも、自国を自分の生きる平和な世界を護る為に身を捧げた者達は、その時点で男女の別を問わず挟と呼ぶに相応しい行いだと言える。
為れど人の本性と言う物は切羽詰まった状況でこそ露わに成る、弱いモノをなぶる時には強気に出る癖に、格上の……ソレこそ命を賭さねば勝てぬやもしれぬ相手と相対した時に仲間を見捨てて逃げる雑兵なんぞ腐るほど見てきた。
武に依って立つ者で有り武勇を示さねば生きる糧すら得られぬ武士は早々簡単に逃げる様な事は出来ないが、戦わずとも田畑を耕す事で糧を得る者達の中から徴収された雑兵では、そもそもの覚悟が違って当然である。
火元国をバケモノの手から護る為に実際に命を賭した自分とて、その身に何者かも解らぬ魂を宿し下手を打てばその身を乗っ取られる等と言う博打を張れ等と言われたら、ソレがもし殿の頼みだったとしても躊躇したのは間違いない。
火元国では人は死後その行いに依って選別され、地獄に堕ちる者、別の世界で新たな生を受ける者、終る事無き神々の戦場へと雑兵として動員される者……等々様々な話が有ったが、そのドレだとしても飽く迄もソレは己の魂が己の物で有ってこそだ。
向こうの世界にも異界の魂を取り込み己の力とする術はあったが、ソレ等の全ては邪法であると言われており、そうした方法で安易に力を得た者は多くの場合、力の元となった魂に肉体を奪われバケモノに成り果てるのがオチだと言われていた。
この世界と向こうの世界では発展した技術に差が有るが故に、その辺の禁忌を乗り越える事が出来て居るのだろうが、ソレでもこうして身体を奪われる恐れが有るのは否定出来ない事実の筈だ。
そんな危険を犯してでも戦う能力を得ねば、自分達が住む世界を護れぬと言うのだから、本当に難儀なものである。
けれども、いや、だからこそ護る世界こそ違えど、己の世界を護る為に命を張った先達として、後輩達に稽古を付けてやろうと思うのは不思議でも何でも無い筈だ。
ただ……この世界は氣や術の元と成る物が極めて薄いようだし、どこまで傷を付けても回復出来る物か?
神々の社らしき建物を見かけた事は有るが、ソコに神が宿っている気配は感じなかったので、恐らくは神の奇跡を行使出来る者は居ないと思う。
と成ると、流石に稽古で不具を抱えるまでやるのは可哀想か……うむ、足腰立たない程度で済ませれば良いか。
感覚的には敵を相手にするのではなく、おいたした後輩を躾ける程度の感覚で相手をしてやろう。
こうなると刀が自分の意志次第で斬れ味を落とす事が出来ると言うのも、都合が良いと言えば都合が良いな、なんなら刃引きした状態まで鈍らせても良い。
真剣では無く魔鍵と呼ばれる存在に成り果てたからこそ出来る事では有るが、そもそもこの身体の持ち主の魂が疲弊して居る今の状態では、なまくら刀程度の斬れ味を出す事すら当人の命を削る所業に成りかねないが力を落とす分には負担には成らない筈だ。
「はてさて……この世界の武士は……いや戦士達はどれ程ついて来れるかの?」
自分は既に終わった存在だ、今こうして表に出ている意志も記憶も、魔鍵の墓場に有った愛刀に宿った魂の断片に過ぎない。
きっと自分の魂は別の何処かの世界で既に生まれ変わって居るのだろう、もしかしたら神々の戦場で雑兵として終わらぬ戦いに参戦して居るのかも知れない、どちらにせよ武士として恥じぬ戦いの末に果てたのだから後悔は無い。
「志道とは只信念に死ぬる事と見つけたり……」
そう呟くと……徐々に近づいてくる幾つもの気配を迎え撃つ為に立ち上がるのだった。




