♯.41 派遣戦士の武術教室
小指から人差し指にかけて順番に握り込み親指を外側に添えてしっかりと握り込み拳を作る。
基本的に子供の頃からインドア派で友人や兄弟とすら碌にケンカをしてこなかった俺では有るが、兄貴が買い集めていた格闘モノの漫画なんかで、正しい拳の作り方は知っていた。
ソレを知らない者がやりがちななのは親指を内側に握り込んだ拳だがアレはダメだ、殴った際に親指の付け根に力が集中する為に指が折れる……と何かの漫画で読んだ覚えが有る。
「良し……と言いたいがソレじゃァダメだ。拳を作る際には可能な限り全ての指が揃ってキレイな面を作る様にしろ。指がずれていると力が真っ直ぐ打撃に乗らないからな」
シャインさんに言われて自分の拳を見てみれば、確かにわずかでは有るが人差し指から小指にかけて少しずつ階段状にズレていた。
意識して握り直すと今度はきっちり指が揃って面に成るが、咄嗟の際にコレが出来るかと言われたらちょっと疑問が残る。
「正拳は拳で戦うなら基本のキの字だ、ソレはボクシングスタイルでも空手でも変わらない。と言うか左が使えない君はジャブで距離感を計れない以上、魔眼で動きを止めて右に依る一撃必倒を目指すべきだろうよ」
単純な戦闘能力強化なら武器を持つと言う選択肢も有るが、シャインさん曰く武器術は素手の延長上に有る技術なので、基本的な体術を修め無ければ自爆するのがオチだと言われて諦めた。
先輩や兄貴の様に最初から剣を握ると言う選択をする者も居るが、ソレで戦える様に成るには長い稽古の積み重ねが必要なのは間違いないので、今あるモノを最大限に活かす方向で考えた結果はシャインさんのセリフ通りなのだろう。
俺に宿ったチューニング・ソウルが齎したのは、ソレが宿る右肩から右腕を中心に右半身の強化と右目に宿る魔眼、そして自他に対して使用する事の出来る治癒の魔法の三つだ。
左半身が全く強化されていないと言う訳では無く、常人に比べりゃ間違い無く超人といえる出力が有るが、ソレはモンスターを相手にするには全く足りない……と言う中途半端なモノに過ぎない。
故に教会で譲って貰ったマントとマスクで左半身を覆い、右半身を中心とした戦い方を模索する必要が有る。
利き手利き足程度の差で有れば未だ良かったのだが、俺の場合はその差が大き過ぎて既存の武術は向かないだろうと言うのが、歴戦の討伐者で有り格闘家のシャインさんの判断だ。
「正直なところ君を前衛に出す事に俺は反対だ。チーム編成の際に君に求められる役割は回復役兼妨害役だ。拳を使うのは最後の最後、どうしても手が足りない時に自分の身を守る為だと割り切れ……たら話は早いんだろうが無理なんだろ?」
……今まで全く鍛えて来なかった人間が、超常の能力を得て戦える様に成るのがチューニングだが、前衛タイプとしての能力を得た場合にはそうした『技術』もある程度は身に付くのが普通らしい。
警察官や自衛官と言った『元々戦闘技術を持っている者』しか、チューニングを受けていない日本ではそうした例は未だあまり無いらしいが、海外では先日動画を見たBattle Programmerの様に元々戦闘技術の無かった者もチューニングを受けていると言う。
そうした者の中には先輩の様に魔鍵と呼ばれる武器を得て、ソレを扱う為の技術自体も能力として得た者や、チューニング能力として氣に目覚め伝承でしか伝わっていない様な古流武術を扱える様に成った者も居るらしい。
残念ながら俺に宿ったソウルである『彼』はそうした技術は持って居ない存在の様で、飽く迄も強化された身体能力の使い方は俺自身の努力で身に着けるしか無いと言う事だ。
ただ……シャインさんの言う通り、俺の得た能力の一つで有る回復魔法はどんな状況でも腐る事の無いパーティ維持の生命線ともなり得る物なので、ソレを守る事を最優先に考えろと言うのも理解出来る。
回復役が最初に落ちたら継戦能力がガタ落ちに成るのはどんなRPGでも一緒である。
けれども俺は後ろで守られるのが前提のJRPG式の回復役では無く、どちらかと言えば自己回復も含めて壁役が出来る洋RPGの回復役の方が好みなんだよなぁ。
俺が女の子だったので有れば、後ろで護られながら回復を飛ばすと言うスタイルも受け入れる事が出来たのかもしれないが、残念ながら男としての闘争本能とでも言うべき物が少しは備わっていた様で護られるだけ……と言うのは性に合わないのである。
とは言え、パーティの戦力として考えるならば、回復役が前に出て最初に落ちる様では話に成らないのもまた事実な訳で……最低限の自衛とある程度強化された身体能力を活かす方法をシャインさんから学び取りたいと思っている訳だ。
「右の中段正拳突き……空手の基本中の基本だが、極める事が出来ればソレ一つで一撃必倒を成す事の出来る技だ。奥義は基本の中に有りと言う言葉も有るし、コレ一本に絞って稽古をしよう」
言いながら鋭い風切り音を立てて繰り出されるシャインさんの拳は、確かに常人が貰ったならば最低でも骨折、下手をすれば内臓破裂でお亡くなり……と言うだけの威力を秘めている様に見える。
「済みません。本当なら受けや捌きなんかを優先して身に着けるべきなんでしょうけれど、やっぱり攻撃能力皆無じゃぁ寄生扱いされそうな気がして……」
防御を軽視して居る訳じゃぁ無い、チューナーとしての戦いはゲームでは無く実戦である以上、生き残る事こそが最低限の勝利条件だ。
しかしオンラインゲームなんかでは火力に貢献しない回復職や支援職は、一部の玄人には評価されるがライトユーザーからは『寄生して経験値を吸う存在』として忌み嫌われるケースが割と有る。
時には報酬分配の段階で『パーティに対する貢献度が低かった』とか難癖を付けられて、不当に分配率を下げられたり……なんて話もゲームに依っては結構聞いた話だ。
今現在のチューナーは皆、戦闘に対する心構えが出来ている人ばかりだろうし、そうした扱いを受ける事は無いだろう。
だがこれから先は民間からチューニングを受けてチューナーに成る者が増えて来たならば、そうした『分かっていない者』が出てくる事も有るかも知れない。
そうなってから慌てて攻撃に舵を切るよりは、最初からある程度戦える様に稽古を積んで置いて損は無い筈だ。
「……まぁ、君に憑いてる存在はかなりの力を持つ者の様だし、防具の方も生半可な攻撃を通す事は無いだろうから、強化された身体能力に振り回され無い様、最低限の体捌きは身に着けて貰うのは必須だとは思うけどね」
そんな俺の心配が杞憂で済めば良いが恐らくはそうでは無い……と、シャインさんも考えている様で、こちらが出した方針を否定する事無く覚えるべき事を丁寧に教えてくれる。
とは言えその指導は決して甘い物では無く、恐らくはチューニングを受ける前の俺では、付いていく事すら出来なかったのも間違いない。
チューニングを受けると得られた能力の種類に関わらず、多くの場合身体操作能力も大きく向上するのだが、ソレが有るからこそシャインさんが示してくれた『正しい正拳突きの動き』が今の俺にもトレースする事が出来るのだ。
「普通の人間なら体重を乗せた突きが放てりゃ十分な威力が見込めるんだが、対人じゃぁ無くモンスターが相手となるとソレじゃァ足りないんだ。ソレを補うのが氣なんだが……コレばかりは修行を積んだ武道家か、ソウルの能力かのどっちかだからなぁ」
曰く『氣』と言うのはこの世界の人間でも素質が有る者が長く武術の稽古を積めば花開く事も有る能力で、シャインさんもチューニングを受ける前から使えたと言う。
逆にチューニングを受ける事で使える様に成る者も居るが、その場合は武術家のチューニング・ソウルが憑いた結果で、どちらにせよ『武術』の鍛錬を積んだ先に有る能力だと言う事に変わりは無いらしい。
つまりチューニング時点で使えず、武術の鍛錬を積んできた訳では無い俺は、氣と言う能力は使えないと言う事だ。
「まぁ氣が無くとも、強化された能力を使い熟せばそれ相応の打撃力を生む事は出来るだろうし稽古を積むしか無いな。正しい姿勢で正しい突きが出来なけりゃ威力が分散してしまうからな」
それにしても……仕事外で余計なポージングが無いシャインさんって本気で頼れる兄貴って感じだよなー。
と、そんな事を考えながら俺は言われた通りに正しい突きの形を、身体に刷り込んで行くのだった。




