♯.36 チューナーの安全性と氣の目覚め
突入前に見たシフト表に拠れば、今この時間このダンジョンには俺達以外にもっと下の階層で間引きを行っているチームが幾つか有った筈だ。
そうした者達が居る筈にも拘わらず、最下層に出現する筈のモンスターが第一層まで上がってきたと言う事は、下に下りているチームは恐らく全滅した……と言う事なのだろう。
全滅とは言ったが必ずしも全員死んだと言う訳では無い、と言うかそう簡単に死なせる事が出来る程、日本という国で人の命は安く無いのだ。
昔の総理大臣が『人の命は地球よりも重い』なんて事を言う程に、この国では人間の命に付けられる価値は高いと言える。
その為、全てのダンジョンにはチューナーが戦闘続行不能と言える状態に成った場合に、緊急転移で脱出させる為の術が建造当初から組み込まれているらしい。
しかしソレもノーリスクノーコストで動かす事が出来る様な物と言う訳では無く、チューナーは緊急脱出を使った場合、ソレに掛かる経費を報酬から差っ引かれる事に成っているのだ。
とは言え、絶対に死者が出ないと言う訳では無いし、緊急脱出が間に合ったとしても、現代医学では治療不可能な怪我を負い強制引退に追い込まれる様な事も有り得る。
まぁ現代医学で回復出来なくても、異世界渡りの霊薬やラブりんさんやラスカルの弟の様な回復魔法使いの魔法で治療が出来る場合も有るので、そこまで絶望的な状況では無い。
ただ……問題が全く無いかと言えばそう言う訳でもない、今のシフトでは俺達が最後方に居る事に成っている以上は、ここでコイツをぶっ倒す事が出来なかった場合、下手をするとコレが地上に出ていくと言う事に成るだろう。
幸いここの場合は近隣に住宅なんかは無いから、コイツ一匹地上に出た所で他所のダンジョンに潜っている者や、非番のチューナーが緊急出動して民間に被害を出す前に倒してくれるとは思うが、ソレは今日潜っているメンバーの無能を晒すと言う事でも有る。
冗談じゃねぇ! 俺には三つ嫌いな事が有る! 『負けたままでいる事』『弱いままでいる事』『自分より弱いヤツに舐められる事』無能を晒すってのは自分より弱いヤツにすら嘲笑われる材料を与えるって事だ! 到底受け入れられる事じゃぁ無ぇ!
「ハイ! ハイ! セリャァ!」
黒い闇色の電気と表現するのが相応しいだろう物を纏ったビールのラベルでよく見る四足の獣、その真正面に立ったシャイン先輩が2発、3発と拳を顔面に叩き込むが全く効いた素振りも見せなかった。
しかし夏場に寝ようとした時に聞こえてくる蚊の羽音程度にはうざったく感じた様で、麒麟は後ろ足だけで立ち上がると前足を先輩へと振り下ろす。
ソレを躱すのでは無く交差させた両腕で受け止め、押し潰されそうに成りながらもキッチリと足を掴み取り、その動きを多少なりとも制限する事に成功した。
「きぇぇゃぁぁああ嗚呼!」
「変移抜刀霞斬り!」
事前にタイミングを打ち合わせして居た訳では無い、だがその隙を逃さずに攻撃をするならば、ほぼ同時の攻撃に成るのは当然の事だった。
俺は八相の構えからシャイン先輩に当たらぬ様に角度を調整しつつ麒麟の首を袈裟斬りに振り下ろす、対してコウガマン先輩は左側をすれ違う様に後ろへと回り込みつつ横っ腹をぶった斬った!
「……流石は異界のバケモンだ、首を叩き切られてもくたばらねぇのかよ」
確かに俺の繰り出した一撃は麒麟の首を断ち斬った、碧紅國守の常人なら振り回すのも難しい程の刃渡りはヤツの首の直径を十分に超えており、振り抜けたと言う事は一度は完全に首を斬り落として居る筈なのだ。
しかし斬った筈の首は完全に繋がっており、刀身には血の汚れすら付いてはいない。
「ぬぅ!? こちらもダメージ無しっぽいで御座る! どうやらこの闇麒麟……火属性も通らぬ……違う!? こやつ火属性を吸収してやがる!」
同様にコウガマン先輩の一太刀もダメージは通って居ない様で、後ろへと回り込んだ彼がそんな叫びを上た。
闇属性を纏ったシャイン先輩の打撃や刺突は大したダメージを与える事は出来ずとも、間違い無く打撃音を響かせていた以上は、実体が無い様な存在と言う訳では無い。
対して俺達が放った火属性を纏った斬撃は、ヤツの身体を確かに捉え切り裂く様な手応えは有った。
にも拘わらずダメージらしいダメージを与えていない結果を鑑みれば、コウガマン先輩の言う通り火属性を吸収する様な能力を持っていると言う事なのだろう。
モンスターは同族ならば基本的に弱点と成る部位や属性は同じなのだが、偶にソレを覆す様な特殊能力を持った個体が居るらしい。
「パラライズ・アイ!」
前脚を掴まれそれでもシャイン先輩を押し潰そうとして居る闇麒麟に対して、後ろからラスカルの弟の叫びが聞こえた。
技の名前を叫ぶのは何も格好を付ける為とか、You Tunerでの撮れ高の為などでは無い、味方を巻き込まない様にする為の合図だ。
ラスカルの弟が持つ魔眼と言うヤツは、効果を放った瞬間その目を見ていた者に対して無差別に効果を発揮する物で、最後列から放つ分には気にしなくても良い様にも思えるが、今はコウガマン先輩が敵の後ろへと回り込んでいる為、巻き込む可能性は十分有る。
「ブッ! ヒヒィン!」
どうやら効果が有った様でシャイン先輩を潰そうとする圧力が消えたタイミングで、彼は前脚から手を離して一端間合いを取る。
身体が麻痺した状態で前脚を支えて居たシャイン先輩が外れれば、当然その姿勢を維持する事は出来ずバランスを崩して地面にその巨体を横たえた。
「チェストォォオオ雄々!」
そんな隙だらけの状態を見逃す程に俺達は馬鹿では無く、火が通らないと分かったならば別の属性を試して見れば良い! そう判断し即座に碧紅國守が持つもう一つの水属性へと切り替え斬りつける。
先程とは違う、固い肉の塊を斬りつけた様な手応え……しかし確実にダメージを与えた事がわかる感触が伝わって来た。
「水属性なら通った! んでもぶち殺すにゃぁちょっと時間が掛かるかも知れねぇ! 持久戦になんぞこりゃ!」
一撃で叩き斬るのは難しいが、繰り返し斬りつければいつかは倒せるだろうと確信を持つが、碧紅國守の斬れ味と俺の技量を合わせても斬れたのは精々皮の下の筋肉に食い込んだ程度で骨を断つ事までは出来て居ない。
『肉を斬らせて骨を断つ』と言う格言が有る通り、肉を多少斬られた所で致命傷には程遠いのだ。
「小熊猫! 刀に氣を込める事を意識するんだ! 一廉の武道家である君ならばチューニングを受ければ氣を纏う事は出来る様に成っている筈だ! 心臓の奥深く君自身の魂が有る場所から零れ落ちる力の欠片を意識しろ! 必ず出来る筈だ!」
シャイン先輩が手足に纏わせている暗黒闘氣と呼んでいるソレその物では無いが、氣と言う異能は武道を齧った事が有る者がチューニングを受けた場合、高確率で身に着ける事が出来るのだと言う。
氣は割と万能の能力でソレを使いこなす事が出来れば、技術でも武器の威力でも自由に底上げする事が出来るらしい。
(私も手を貸します、物の怪を斬るならば氣を扱える様に成るに越した事はありません。本来ならば自力で目覚めるのを待つ心算でしたが、彼奴が相手では仕方ないでしょう)
脳裏に響く鍛冶師や歴代の担い手達の残留思念の集合体だと言う碧紅國守の声。
恐らくは過去の担い手の中に氣を扱える者も居たのだろう、言葉だけでは無い感覚的なイメージもソレに付随して来る。
「こぉぉぉ……ほぉぉぉ……」
そのイメージに従い深く深く呼吸を整えると、心臓の奥から今まで感じた事の無い奇妙な『熱』としか表現出来ない何かが沸き立って来る。
剣は身体の一部、腕の延長線上と思って振れ……先生から剣道を学んだ当初の教え通り、生み出された熱を碧紅國守へと押し込めて、未だ麻痺から立ち直る事が出来ず横たわる闇麒麟へと振り降ろしたのだった。




