♯.32 礼儀と食と経済と
「んじゃ、有難うございました!」
俺は教会を出ると振り返って神父さんに深々と頭を下げ、時間を割いて貰った事とラスカルの弟の為の装備をわけてくれた事に大して礼を言う。
「え、あ、有難うございました!」
本来ならばラスカルの弟の方が率先して礼をしなければ成らない所なのだが、まぁそこはバイト位しか社会経験の無い高校生、一応は大人に分類される俺が見本を見せるのがスジと言うものだ。
とは言え、こうした『礼』に気が回るのは前の職場での経験では無く、ガキの頃からずっと続けて来た剣道での『躾け』に依る所が大きいだろう。
剣道に限らず日本の武道の大半が『礼に始まり礼に終わる』とか『自他共栄』や『対戦相手に敬意を払え』と口を酸っぱくして教えるのは何も『スポーツマンシップに乗っ取って』と言う話では無い。
武道の技術と言うのは、どんなに綺麗に言い繕ったとしても大本は『人を傷つけ殺める為の技術』だ、故に遊び半分で不用意に使えば怪我で済めば御の字、下手を打てば死者が出る事だって有る。
そうなれば当然、指導者の責任を問う声が外からぶつけられる事も有るだろうし、最悪道場の取り潰しなんて事だって有り得るのだ。
故にそうした問題が隠蔽し易い『学校』と言う閉鎖された場で行われる部活動よりも、町道場の方がその辺の事をより強く躾ける傾向が有ると言う。
まぁ半端に齧った程度で辞めた奴が、ヤンキーやチーマーとか言われる様な所謂『不良』に身を落とし、喧嘩の武器にするなんてケースが全く無いと断言する事はどんな武道でも無理だろうが……ソレを少しでも減らす為の躾けなのだ。
武道……武術と言うのはソレだけ危険なモノだ、空手道はその名の通り空っぽの手を凶器にする為の道だし、柔道は畳の上ですら頭から落ちれば命を落とす事も有る、ましてやソレをアスファルトの上で振るえばどうなる事か。
剣道だって『長物がなけりゃ何も出来ない』と素人さんには勘違いされがちだが、相対した者の動きの起こりを見極める技術は無手での喧嘩にだって応用は出来る、故に俺は例え武器が無くても喧嘩自慢の素人に負ける事は無い自信は有る。
勿論その辺の事はチューニングを受ける前の話で、今の俺は人間の基準から言えば身体能力だけでもバケモノ以上の存在に成っている為、素人相手に喧嘩なんて馬鹿な真似は出来ないがな。
「貴方達の行く末に幸多からん事を……アーメン」
瞳を閉じ胸の前で十字を切りながらそう言ってくれた神父さんと別れ、俺達は車に乗って町中の方へと向かうのだった。
「で、ラスカルの弟よ。昼飯は何が食いたい? 一応同僚とは言え、こっちは社会人でお前は高校生だかんな、ごっちゃるぞ?」
アクセルを吹かしながら隣に座っている奴にそう言葉を投げかける、どうも手に入れたばかりの装備に御執心で『心ここに在らず』と言った雰囲気だったのが気に入らなかったと言う訳では無い。
「え? あ……この辺だと何が有るんだろ?」
この辺って……いや、そもそも俺達が住んでいる微香部町には駅前の商店街に幾つかと、そこから少し離れた場所に有る小さな繁華街に有る飲み屋以外では、まともな飲食店は片手の指で数えられる程しか無い。
しかもその大半は店の駐車場なんて物は無く、このまま車で乗り付けて……と言う訳には行かない場所ばかりなのだ。
「別にこの辺に拘る事ぁ無いだろ、コイツならちょっと位遠くたってそんなに時間かかんねぇで行けるし、なんだったら都内でも逆に千戸玉の方に出ても良いしな」
普段自転車か電車にバスくらいしか移動手段の無い高校生じゃぁ、自動車での行動圏は分からないのも無理は無いのか?
いや普通は親の車なんかで出かける事も……ああ、そうかコイツの家は両親はもう亡くなっていて、ラスカルの奴も自家用車を持ってないんだったか。
んでも警察官やってんなら普通に免許は持ってる筈だよな?
俺が通っていた高校は在学中の免許取得を基本的に禁止で、一応は進学校に区分される学校だったから就職組ってのは少数派だったが、警察採用試験を受けた剣道部の仲間が『職務上必ず必要に成る為』特例で自動車学校に通う許可を貰っていた覚えが有る。
まぁ……よそ様の家の事情に軽々しく首を突っ込むのは礼に適う行為じゃ無いし、深くは突っ込まないで置こう。
「ん、じゃぁ……ガツンとした物が、腹に溜まる様な物が食べたいです。チューニングを受けたせいなのか、昨日から妙に腹が減るんですよねぇ」
ラスカルの弟は俺やラスカルの様に体育会系と言う訳では無く、元々そんなに食が太い方では無かったらしい。
しかしチューニングで身体能力が跳ね上がった影響で、ガツンと食いたいのだそうだ。
「んー、んならスタミナ系……つか次郎インスパイア系のラーメンでも行くか? ニンニク臭は帰ったら入念に消臭スプレーしときゃ大丈夫だろ」
俺が知るかぎりで一番近い次郎インスパイアは、千戸玉まで出なくても隣町のまで行けば有った筈だし、あそこは店の駐車場こそ無いものの直ぐ側にコインパーキングが有った覚えが有る。
「次郎!? 行った事無いけれども、ネットで見聞きした話なんかを考えると……興味はあります!」
うん、やっぱりアソコは食った事無い奴は興味を示すよなー。
俺は本家は行った事は無いが、インスパイア系の店は幾つか回った事が有る。
本家系がどうかは知らんが、インスパイア系は店ごとに全然味の系統が違うのが普通で、上に乗った大量の野菜やニンニクなんかのトッピングが共通点と言えるだろうか?
要するに『安くてジャンクに腹を満たす』と言うのがアレのコンセプトなんだろうし、ソレさえ守って居ればインスパイア系としてはアリなのだと思う……知らんけど。
「んじゃアソコに行くか。一応、本家と違ってギルティだなんだとやかましい店じゃぁ無いが、ソレでもお残しは店にも料理人にも食材にも失礼だから食える範疇の物を注文しろよ?」
大学や高校時代の同期や後輩をそうした店に連れて行った事も有るが、たまに居るんだよ自分の食事量をわきまえて無い馬鹿が。
いくら体育会系バリバリ現役でもフードファイターの様に食べれる奴なんてのは稀で、多くの者は人並みから見れば確かに食えるがソレでも『人並み外れた』と言われる奴は殆ど居ない。
つーか、そう言うやつがゴロゴロしてるなら、チャレンジメニューなんてやってる店はドコも大赤字不可避で有る。
にも拘わらず、大盛りマシマシで撃沈する奴を連れて行ったりすると、俺がその店に行き辛く成るので本当に勘弁して欲しいんだよな。
「はい、その辺は重々。お袋にも生前『金を払ってるんだからどうしようと自由、なんてのは食べ物に対する冒涜だ』ってガキの頃から散々言われて育ったし、狸寺にお世話に成った時にも似たような事は言われましたからね」
俺は比較的裕福と言える家庭で育ったので、狸寺で行われている『子ども食堂』の様な活動の世話に成った事は無いが無料で食わせている物だからこそ、そのへんの躾けにも口を挟むのだろう。
ソレにお袋さんが言ったと言う言葉も、ウチのお袋の実家が農家をやってる俺としては好感を抱く。
たぶんお袋の実家が毎年送ってくれる米や野菜が無けりゃ、俺の様な大食らいをこの歳まで毎食満腹に成るまで食わせるのは厳しかったんじゃぁ無いだろうか?
恐らくは親父だけが働きお袋が専業主婦の一馬力では足りず、パートに出るなりなんなりの仕事をしなけりゃ成らなかった筈だ。
そしてこんな田舎町ではパートの枠なんか早々沢山ある訳でも無い、パートも高校生のバイトだって駅前にショッピングモールが立つまで殆ど無かった筈だしな。
「うっし、んじゃまぁ俺も腹が減ってきたし、サクッと行きますか」
未だ12時には成って居なかったがソレでも腹の虫が騒ぎ出すのを感じ、俺は一刻も早く昼飯が食べたくてアクセルを踏み込むのだった。




