♯.29 宗教史と宗教学のお勉強
「主も他の神々も仏も皆全て等しく尊い……確かに世界中を見回しても日本特有の価値観が有るからこそ異界の悪魔……失礼、超常の存在を許容し協力しその能力を正しく活用すると言う発想に至ったのでしょう」
俺の言葉を聞き、瞳を閉じて胸の前で十字を切った神父さん――頭の天辺を綺麗に剃り上げ周囲を残すトンスラと言う髪型にカソックと呼ばれる黒い装束を見れば、彼の宗派は何となく理解出来たので神父と呼称して間違いないだろう――は諦めた様にそう呟く。
「信仰を守る為ならば死すら許容せよ……と全ての信徒に言う様な時代では今はもう無いですからね。人の生命は地球よりも重いとは昔の総理が口にした言葉ですが、地球よりも信仰が重いなんて事も無いでしょうし超常の存在との共存も許容するしか無いのでしょう」
大改変以前からこの世界を守る為に戦って来た討伐者と呼ばれる人達にとって、異界の存在と言うのは共存などあり得ない敵でしか無く、そうした者を呼び出し私利私欲の為に力を使う者は『悪』と断定される者だったのだろう。
実際かの宗教に絡む本に出てくる『悪魔』と呼称される存在は、私欲を満たす為に召喚され『魂』を対価に様々な超常の能力を振るうとされて居た。
付喪神や猫又なんて物が実在する以上はそうした悪魔なんかも実際に存在し、ソレを利用し悪事を働く様な者も現実に存在したのだろう。
神父さんがチューニングを忌まわしい技術などと呼び、チューニング・ソウルを異界の悪魔などと呼称するのも、そうした者達と命のやり取りをする事すら有ったのかも知れない。
……創作の世界では、最も小さな国に所属する祓魔師が人に憑いた悪魔を祓う姿が描かれたりしていたが、この神父さんも片足を失うまではそうした任に当たる事も有ったのだと思う。
基本的に他の神や超常の存在を許容しない一神教が主な欧米は勿論、多神教が根強く残っている国が割と多い東南アジア辺りでも、日本の様に森羅万象全てに霊が宿ると言う考え方が一般に浸透して居る国は少ないだろう。
この辺の考え方は原始宗教に区分される事も有る神道が今でも普通に存在して居て、その社である神社が国中至る所に存在して居る日本という国が特別なのだ。
その辺の事を鑑みると本当に日本と言う国で無ければチューニングと言う技術が生まれる事は無かったのでは無かろうか?
「まぁ私も神父としてこの教会を預かる身ではありますが、日本で生まれ育った日本人ゆえにその気質や気風を知らない訳では無い。けれども我が信仰と魂は主と共に有ると誓った身ゆえに、馴れ合う事は有っても相容れる事は無いとだけは言って起きます」
まぁうん……信仰は『魂の形を定める事だ』だとも聞いた事は有るし、ガッチリ固まった信仰心の中で定められた思いや、思想と言うのはそう簡単に変わる事は無いだろうし、変わる様では信心とは言えない様にも思える。
俺は未だいろんな宗教を広く浅く学んだだけの身だが、己の信仰を定めた者がその教えに反する存在を簡単に許容出来ない事は理解出来る話だ。
とは言え『馴れ合う』と言っている以上は、完全に受け入れる事は無くとも妥協する事は出来ると言う事なのだろう。
「さて……今楠寺の御住職殿に言われた用事を済ませてしまいましょう。お二人ともついて来て下さい」
この辺の感覚や価値観は特定の宗教に帰依した事の無い人間には、完全に理解は出来ない話なのだと思う。
その事を彼も理解して居る様で、溜め息を一つ吐くとそう言って踵を返したのだった。
地下へと繋がる階段を下りていくと、比較的新しかった上の建物とは違う年季の入った石造りの空間に成っていた。
「コレは……カタコンベ?」
日本語では地下墓所とも訳される事の有るソレは、キリスト教初期に建造された信徒の遺体を安置する為の場所だ。
キリスト教は最後の審判と呼ばれる時が来たら、全ての死者は生前の功罪を神の前で計られ、その重軽によって天国へと導かれる者は生前の肉体で蘇り、逆に罪深き者は永遠に地獄へと落とされると言う。
その為、肉体が保存される弔い方として遺体を綺麗な状態で棺桶に入れそのまま埋める『土葬』が今でも一般的な葬り方で、日本で執り行われる『火葬』は蘇る為の身体を失う為に忌避されると聞いた覚えが有る。
恐らくは初期のキリスト教では土葬すらも肉体が失われる葬り方で、エジプトの木乃伊の様に身体を保存する為の墓所がカタコンベだったのだろう。
しかしアレは欧州に有る物で日本の……言っては悪いがこんな田舎町に有る様な物では無い。
とは言え俺も実際に欧州に有ると言う本物を目にした事が有る訳では無いので、ココがソレだと断言する事は出来ないが恐らくはそうだと思う。
「ここは江戸の頃に隠れ切支丹の一派が信仰を守る為に掘った岩窟なのだそうです。人里離れた場所に有るのも表向きは今楠寺の檀家として暮らし、折々にここへ祈りに来ていたのだとか。上は戦後に建て直された物ですが元々ここには主への信仰が有ったのですよ」
……成る程な、隠れ切支丹の隠し礼拝堂の痕と言う事か。
コレは多分、将来宗教学を学ぶ事を考えたならば詳しく調べたく成る場所に成るのだろうが、今は未だそこまでの価値を見出す程に深い知識が無い。
「今は今楠寺の蔵同様、妖物や悪魔に由来する物を封じる為の場所と成って居ます。御住職殿が荒居君にここへと来る様に言ったのは、そうした悪魔の産物の中から君が纏うべき物を出すと言う事です」
ああ、うん、何となくそんな気はしていた。
俺に憑いているチューニング・ソウルはキリスト教の価値観から見れば『堕天使』や『悪魔』に区分されても不思議は無い存在なのだろう。
「但し、注意してください。ここに有る物は今楠寺の蔵に仕舞われて居る様な温厚な物では無く、正しい意味で封印されて居る危険な代物も多い。妖怪の破片とはまた別方向で危険な品も有るので安易に触れぬ様に気を付けて下さい」
狸寺の蔵には付喪神の他にも、切断された妖怪の腕なんかが封印されているらしいが、それらは本体からの干渉が無ければ危険が生じる様な事は無いと聞いて居る。
けれどもここに封印されて居る品々は、悪魔の能力を悪用した者が作った危険な代物だったり、そもそも悪魔を召喚する為に使われる祭器だったり……と、使い方次第で本気で危険な物なのだと言う。
「んなもん、なんでわざわざ保管してるんだよ……ぶっ壊すなり燃やすなりして使えない様にしちまえば危険は無く成るだろうに」
その説明を聞いて先輩が思わずと言った感じでそんな言葉を呟く。
「……炎でも塩でも水でも浄化出来ず、物理的な力で破壊する事も困難で、私や代々の神父達の信仰では打ち砕く事も出来なかった。そんな品々故にここに封じて有るのですよ。もしかしたらチューナーの中には処分出来る人が居るかも知れませんがね」
討伐者と言うのは飽く迄も人が人のままで人の範疇を超えた力を発揮する為の修行を積み重ねた人々で、チューナーは超常の存在をその身に宿した者達と、その在り方は大きく違う。
現役の討伐者とは会った事が無いので、ハッキリとした事は言えないが、多分超常の能力と言う点ではチューナーの方が出力が高いのでは無かろうか?
コレは神父さんの信仰心がヌルいとかそう言う話では無い。
なんせチューニング・ソウルは基本的にこの世界の人間よりも上位と言える存在で、宗教や宗派によっては神や天使に悪魔などと呼ばれても不思議は無い者達だ。
そうした存在の力を借りる以上は、単純に人間よりも巨大な出力が有るのは当然と言えるだろう。
「銃は人を殺さない殺すのは引き金を引いた人間だ……なんて言葉もありますし、ここに封じられていた品を俺が人を守る為に使うなら、ソレは貴方の信仰に背く事には成らないのでないでしょうか? 神父さんの善意に応える為にも俺は戦います」
例え俺が手にする物が悪魔と呼ばれる様な存在によって生み出された物だとしても、善行の為に使うので有れば歴代の神父さん達の信仰に傷を付ける様な事には成らない筈だ。
そんな俺の言葉に神父さんはただ黙って瞳を閉じて、胸元で十字を切るのだった。




