♯.27 進路に悩む少年と好景気の残り香
濃い……いや濃ゆいと表現するのも生易しい怒涛の様な一日が終わり、部屋へと戻った俺は夢も見る事無く気が付いたら翌朝だった。
普段ならばとっくに家を出ていなければ朝のホームルームどころか1時間目の授業にすら間に合わない様な時間だが、幸い今日は土曜日で学校は休みだ。
「正直、昨日の収入を考えればサクッと中退してチューナー一本でも良い気がするんだが、兄貴に相談もせずにソレやると戻ってきた時に絶対気にやむだろうからなぁ」
大学に進学して宗教学を学びたいと言う気持ちが全く無いと言えばウソに成るが、ソレだって兄貴に負担を掛けてまでやりたい事かと言えば必ずしもそうでは無い。
一度社会人に成って金を貯めて、それから改めて大学へ進むと言う人だって世の中に居ない訳では無いし、正直宗教学と言う学問が普通の企業への就職に役立つ物では無い、むしろ宗教アレルギーとも言える人が多い日本では不利に成る可能性すら有る。
いや大学は決して就職のための予備校と言う訳では無く、専門家や研究者を育成するのが第一の存在意義なのだから、本来は大学卒業後の進路はその専攻が活かせる方向に進むべきなのだと思う。
その辺が日本の大学や企業の関わりや在り方は極めて歪な物なのでは無かろうか?
……取り敢えず、兄貴を助けるまでは基本的に今までバイトと同じ様に、放課後にのみシフトを入れて貰える様に支部長さんが便宜を図ってくれる事に成っているので、学校にはちゃんと通う様にするべきだろう。
まぁ進路云々は兄貴を助けた後でじっくりと相談して決める事だし、今は今日の予定をしっかりと済ませるのが先だな。
昨日は先輩が纏う鎧を手に入れる事は出来たから、今日は俺の装備を手配して貰う為に町外れに有る小さな教会へと行かねば成らないので有る。
教会と言う時点で十字架を掲げるあの宗教の施設で有る事は間違い無いのだが、どの宗派の教会なのかとかは残念ながら気にした事も無かった。
なんせこの町から電車で一時間も走れば、県庁所在地である千戸玉市にも反対方向の電車に乗れば都内へも行く事が出来るのだ、あの宗教に付いて学ぼうと思うならばもっと大きな教会へ行く方が良いと考えて来たのだ。
なにせあの教会は片田舎のこの町の更に郊外の山の中に有り、徒歩や自転車で行こうと思えばかなり体力を使う事に成るのは目に見えているわけで、自動車が有るなら兎も角そうじゃないならもっと交通の便が良い教会を目指すのが普通だろう。
実際今日も先輩がわざわざ車を出してくれる事に成らなければ、チューニングで強化された身体能力を使って自転車を漕ぐ羽目に成った筈だ。
とは言え駅前のショッピングモールで買った安物のママチャリじゃぁ、ペダルを踏み抜く様な事にも成りかねないし、手配して貰った装備が先輩の様に大きな鎧だったりしたら持ち帰るのにも難儀しただろう。
その辺も考慮して先輩が車を出してくれると言った訳だ。
「さて……取り敢えず約束の時間まで未だ少し有るし、サクッと顔を洗って軽く朝飯を食って置くか。うん、今日はピザトーストにでもするか、材料は未だ残ってた筈だよな」
誰に言うでも無くそう口にした俺は、ベッドから立ち上がると先ずはトイレへと向かうのだった。
「うわ、凄い車ですね。先輩の前職ってそんな高給取りだったんですか?」
朝飯を済ませて少しした頃、先輩がマンションの下に付いたと携帯で連絡をくれたので、下りて行くとソコに停まって居たのは真っ赤な2ドアのスポーツカーだった。
「俺の車じゃぁ無ぇよ、親父が趣味で転がしてる車だ。本当なら家族で使ってる軽バンで来るつもりだったんだが御袋が買い物に行くのに車出させたんで、空いてるこっちを使わせて貰ったんだわ……って悪いな、お前に家族の話なんかして」
物心付いた頃には親父は既に死んでいて、御袋もつい最近亡くなった……そんな境遇は世間一般から見ると痛々しい物に見えるらしく、俺本人以上に回りの人間がこうして気を使う事が多い。
「いえ、気にしないで下さい。とっとと行ってとっとと帰って来ましょう。出来れば昼飯前に終わらせてしまいたいですしね」
正直な話、俺としては既に受け入れている事で有り当たり前の事に過ぎないので、一々気を使われる方が面倒なのだが、ソレを口にすると余計に面倒な話に成る事は想像に難く無いので、こういう風に言われた時にはサラッと流す様にして居る。
教会の有る山へは小学校の遠足で行った事が有るが、俺の記憶が確かなら当時はあの回りに飲食店なんか無かったし、町中は兎も角郊外に出てしまえばコンビニも無い。
長引くと昼飯を食うのが遅くなるか、場合に依っては食い逃す事に成りかねない、体育会系の兄貴ほど量を食う訳では無いが未だ成長期である俺の身体は年相応に腹が減るのだ。
ちなみに兄貴の食事量はフードファイターとか呼ばれる様な人達程では無いが、ソレでも比較的難易度がマシな1kgカレーくらいのチャレンジメニューならば普通に完食したりする程である。
兄貴同様にゴリゴリの体育会系で生きてきた先輩だって多分同じくらい食うだろうし、昼飯抜きと言うのは耐えられないだろう。
「……飯は大事だな、うしサクッと行って帰って来るか、んじゃさっさと乗ってくれ……と、悪いが親父の車は土禁なんで靴はこの袋に入れて持って乗ってくれや」
兄貴は免許を持っては居るがウチに自家用車は無いので、車を土禁にするのが普通なのか特別な事なのか今ひとつ理解は出来ないが、先輩の口ぶりからすると割と珍しい事なのだろう。
でもまぁ持ち主がそう決めて借りてきた運転手が従うので有れば、乗せてもらう立ち場の俺はソレに準ずるのがスジと言う物だ。
言われた通りビニル袋を受け取り靴を脱いで中へと乗り込むと、座席が普通の車と違って尻の部分が思いっきり深く成っていて座りが悪い。
「シートベルトは車の奴じゃぁ無くてシートの方に付いてる奴を使ってくれ。バケットシートは慣れて無いと座り心地に違和感有るだろうが勘弁してくれや」
自動車に乗った事が無い訳では無いが、このバケットシートと言う奴が積まれている車は初めてだ。
「親父は走り屋って訳じゃぁ無いし、交通ルールを無視する様な真似もしない癖にこういうの無駄に凝るんだよ、まぁあの堅物を絵に書いた様な親父が御袋捕まえれたのはこの車のお陰らしいけどな」
曰く俺達の親世代が若かった頃には良い車に乗っているだけで、女性が寄ってきて口下手だったりイケメンじゃなくてもナンパが成功した時代が有るのだと言う。
先輩の親父さんは不細工と言う程では無いが、顔だけで女性が寄ってくる程に容姿が優れている訳で無く、小洒落た話術で誑し込む様な真似の出来る人でも無いらしい。
そんな人がナンパの為に高い金を出してスポーツカーを買い、ソレを今でもずっと綺麗に維持して居る……と言うのはソレだけ思い入れが有る車だと言う事なのだろう。
「んじゃまぁ、事故らない程度に回して行くからしっかり捕まってろよ」
そう口にした先輩がキーを回すと、普通の車とは違う甲高いエンジン音が響き渡り一気に加速する。
普通では無い加速に身体が椅子に押し付けられる様な感覚を覚えるが、同時に酷く楽しいと言う思いも胸から溢れ出す。
(おお!? この世界は人の子が斯様な速さで走る乗り物を持つと言うのか! 余が空を翔ける程では無いが馬なぞよりも圧倒的に速いでは無いか!)
唐突にそんな言葉が頭の奥から聞こえて来る、ソレは俺に憑いたチューニング・ソウルの声である、どうやら彼が居た世界には自動車は無かったのだろう。
先輩はハンドルを握ると性格が変わるタチの人なのか、それとも単純に割とスピード狂の気が有ると言う事なのか、車は住宅街を抜け郊外へと出ると教会へと向けて更に加速して行くのだった。




