♯.25 ネームバリューと器物百年
蔵の回りには電線等は見当たらずここへは電気を通して居ないらしい。
一応明り取りの窓なんかは上の方に付いては居るが、木戸は全て閉められているし、開いてたとしても日の落ちたこの時間では差し込む光は殆ど無いに等しいだろう。
にも拘わらず、和尚さんは懐中電灯の様な物すら持たずに蔵の中へと迷いなく踏み込んでいく。
「どうした若いの、暗い所に踏み込むのが怖いのか? この程度の事でビビっておる様では長く戦いに身を置く事は出来ぬぞ? 妖怪の使う術の中には闇を操り敵の視界を奪う様な物も有るからの」
明るい所から暗い所へ移動した際、時間が経つと徐々に見える様に成る事を暗順応と言うが、コレは若者の方が圧倒的に早いのだと、以前なにかの本で読んだ覚えが有る。
和尚さんは還暦なんて何年も前に過ぎたお年の筈だし、当然俺達よりも暗順応が早いと言う事は無いだろう。
と成ると、コレは和尚さんが何かの術や魔法でも使ったと言う事なのだろうか?
それとも単純に中の事を覚えているから迷うこと無く暗闇の中でも進めると言うだけの話か?
「……今は未だ雑魚しか相手してねぇからわかんねぇけど、多分コレから先もっと強いモンスターと戦う時にはこのレベルの氣に中てられる事も有るって事だろ? んならビビってなんか居られねぇよな? 行くぞラスカルの弟」
俺とは違い先輩は暗さだけで恐れている訳では無い、今は未だ感じ取る事は出来ないがこの蔵には妖氣と呼ばれる物が充満して居るらしく、ソレを殺気と同様に感じ取り気後れして居る部分が有るらしい。
「つか先輩、いい加減そのラスカルの弟って呼ぶの止めて下さいよ。俺には和馬って名前が有るんですからそっちで呼んで下さい。その呼び方は下手すると守秘義務に引っ掛かりますよ? ラスカルは兄貴のチューニングネームなんですから」
先輩に対してそう返事を返しながら、スマホを取り出しつつ蔵の戸口を潜る。
懐中電灯アプリは電池の消費が激しい気がするので、あまり使いたく無いのだが何が有るかも分からない場所で暗闇の中を歩く事が出来るほど俺の神経は太く無い。
しかし俺がアプリを起動するよりも早く、ボッと音を立てて室内に幾つかの灯火が浮かび上がった。
先に中へと入った和尚さんがロウソクか何かに火を付けたのかと思ったが、明かりの出本は全てが彼の手が届かない頭のはるか上に有る様に思える。
……微かに揺らめくその明かりは間違い無く電灯のソレでは無い、見上げて見れば明かりの元は幾つもぶら下がっている提灯の灯火だった。
その提灯は色もデザインにも全く共通点は無く、ここで使う為に誂えた物では無い事は明々白々で、ドレもコレも状態は決して悪い物では無いが使い古された物だと言う事だけが似通っている。
「ここって付喪神やら妖怪の破片やらを封印してる場所なんですよね? って事は、もしかしてあの提灯も全部付喪神なんですか?」
提灯の付喪神……所謂『提灯お化け』は妖怪を扱った本では必ずと言って良いほど出てくる極めてポピュラーな妖怪だが、ソコに描かれているのはボロボロに成った提灯の破け目が目口に見える……と言う様な姿ばかりだ。
対してここにぶら下がっている物は全て長年大事に愛用されて来た事が一目でわかる様な状態の物ばかりで、提灯お化けと言われてイメージする物とはかけ離れていると言わざるを得ない。
「おう、そーだぞ。ただ、ここに居る付喪神達は皆、人に大事に使われ人に愛された品々だからな。人を害する様な性根の悪い奴ぁ一体も居ねぇ。ただ市井に置いて置くにゃぁチットばかり妖気が強く成り過ぎた物は他の妖怪を呼ぶから回収するしかねぇんだわ」
成る程な……提灯なんてちょっと扱いを間違えれば簡単に壊れるし、燃えてしまう様な代物を100年を超えて保たせるのは、愛情が無ければ早々出来る事では無いだろう。
そうやって大事に使われた道具ならば化けたとしても人間を恨む様な事は無く、逆に人間の味方として働きたいと考えても不思議は無いと言う訳か。
「そ~言う事ならお努めご苦労さんって話だわな、んじゃお前さん達の明かりで俺の大事な防具を探させて貰いましょうかねぇ」
神話伝承なんかに強い興味を持つ俺とは違い、実益が優先らしい先輩は提灯お化けと言う妖怪界のビックネームとの邂逅に何の感慨も抱かぬ様に、そんな言葉を口にして奥の方に幾つも積み上げられている漆塗りの黒い箱へと歩み寄って行く。
多分アレは鎧櫃とか具足櫃なんて呼ばれる物だろう、ただの木箱では無く防水性に優れた漆塗りの箱なのは、その中に納められている鎧が名も無き雑兵の物では無く、それ相応の経済力を持つ武士の所有物だったと言う証に思える。
「お? 丸に芒の紋所って事ぁコレは禿河さん家甲冑か……どれどれ」
禿河さんと言うのはこの微香部町とその周辺を領地としていた旗本の代官としてこの地を治めていた、所謂『陪臣』と呼ばれる下級武士の一族が明治維新後に名乗る様に成った名字で、日本史の教科書には名前すら乗る事の無い様な小さな家だ。
けれども郷土史とも成ると話は別で、江戸時代には本家筋に当る旗本の微香家の忠実な代官として領地を良く治めた能臣として、維新後もこの地に残り名士として混乱期を支えた一族と言う位置付けなのである。
まぁソレだけ長く土地に根付いた一族なので、今ではこの辺だと禿河さんと言う苗字は実は割と珍しいモノではなかったりもするが……この場合は禿河本家が未だ分家筋の代官として微香家の名を名乗っていた頃の物なのだろう。
先輩が蓋の天板に一枚の御札が貼られた箱を開けると……
「おうおうおう! 何処の独逸だ阿蘭陀だぁ!? 俺様の眠りを妨げる奴ぁ!?」
先輩より数段ガラの悪い声を上げ中から鎧兜が飛び出して来たのだ。
「うわ!? マジで鎧が勝手に動いてやがる!」
中身が入って居ない筈の鎧兜は丸で中に人が居るかの様に組み上がり、飛び出して来た事に驚き尻もちを付いた先輩の前にヤンキー座りに成ると、頬面と顔が触れ合うくらいに近づきガンを付けている。
「ア゛ア゛? んだコラ! 鎧が動いちゃいけないなんて法度は幕府だって明治政府だって作っちゃ居ねぇだろうよ? それとも何か? 手前ぇが俺の新しい担い手だとでも言うのか? 冗談じゃねぇぞ? 俺は禿河の末以外に仕える積りは無ぇかんな?」
黒い一枚金の胴に所々赤い飾りが入った甲冑は、完全に昭和の不良みたいなノリで先輩を睨めつけ威嚇した後、不貞腐れた様な雰囲気を放ちつつ自分から入っていた箱の中へと戻り勝手に蓋を閉めてしまった。
「よりにもよって一番偏屈な奴を最初に開けるとは……畑中の坊主はある意味持っておるのぅ。こりゃお前さんの言う通りこの地の代官だった一族の鎧でな関ケ原の戦いにも参戦した事の有る、この中でも最古参と言える甲冑よ」
関ケ原の戦いって……確か1600年だったっけ? 400年物とは器物百年どころの話じゃぁ無いわ。
いや、でも確か江戸幕府成立以後は甲冑が用いられる様な戦は天草の乱くらいだった筈だし、現存する『実際に使われた甲冑』って概ねソレより古い物って事に成るんじゃね?
「後は大体江戸時代に入ってから作られた物では有るが、実戦を経て居らぬからと言って技術的に劣っていると言う訳では無い……まぁ中には実用性よりも装飾性に走った甲冑師も居ったらしいが、その辺は化けた時点で誤差の範疇だから気にする必要は無いわい」
曰く妖怪と成った鎧の防御力は、素材や造りよりもどれだけの愛着を持ち主やその一族から受け続けたかで決まる『妖力の強さ』に依存するそうで、質素で実用的な鎧でも華美な装飾的な鎧でも大した変わりは無いらしい。
「んー後は……お? コレ、御袋の実家の墓に刻まれてるのと同じ家紋だぞ? 和尚さんこっちも開けて見て良いっすか?」
さっきの事でちょっと懲りたのか、先輩は次に目を付けた鎧櫃を開ける前に和尚さんに、そう問いかけたのだった。




