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幕間:愛には万能の答えなどない

 ――愛なんていらない。愛など求めてはならない。


 いつから俺、ベリアス・グランアゲートは愛というものに対して目を背けるようになっていたのか。

 それは恐らく、母に求めてはならない弟妹を願ってしまった時からなのだろうと思う。


 愛とは、何だ?

 長年、愛というものから目を背けてきた俺は愛情というものがいまいちわからない。

 愛という概要を知っているだけだ。身近な愛と言えば父上と母上の間にあるもので、そして父上と側室であるエルリアーナの間にもあるもので、また長年の友であり同じ国王の妻という立場を共有する母上とエルリアーナの間にもあるものだった。


 愛というものは人によって形が違う。同じものであることの方が珍しい。

 だから愛に正解はない。正解がないからわからない。愛とは正しいものなのか、間違っているものなのか。その都度、判断しなければならないのだ。


 実際、かつての俺は愛情に振り回されて取り返しの付かない事をしてしまった。

 それ故の忌避だったというのは、最近になってようやく自覚してきたところではあるのだが。


 かつての己の失態を割り切れるようになってから、俺はようやく愛というものに目を向けるようになったのだと思う。

 異母兄弟であるラウレント、クララ、カルルへ向ける思いも愛の一種なのだと認めることが出来た。


 それでも、俺にはいまいち愛というものがわからなかった。

 特に最近は次期王妃、つまり婚約者の話を振られる機会が多くなってきた。その話題が愛について考えるようになったキッカケになっている。


 結婚する以上、愛情を育めるならそれに越した事はない。父上たちを見ていれば俺とてその程度はわかる。

 同時に、愛によって苦しめられるものがあることを俺は知っている。それでどれだけ母が心ない言葉で傷ついたのかも。


 愛は素晴らしく、けれど不安定なものだ。

 いや、正確に言えば人を不安定にさせる因子と言うべきか。


 俺は……王子である身でそのような愛をどこまで抱えるべきなのか悩んでしまった。

 愛は持てるなら持つべきだ。しかし、不必要な愛は安定を失わせてしまうのではないだろうか?


 将来、国を背負う者として俺は揺るがない者であらなければならない。

 国に根を張り、民の命を預かり、営みの基盤となる大樹のようにあらなければならない。

 そこに愛はいるのか? 時として我が身を滅ぼしかねない、愛という感情はどこまで必要だ?


 ひとまずの結論として、俺は伴侶に愛を求めずにいようと考えた。

 まず第一に優先すべきは国をどう導くか。王妃とは、その責務を共に背負うパートナーだ。俺が求める王妃の理想像と言えば、一番近いのはエルリアーナなのだろうと。


 父上とエルリアーナの間に愛情はあれども、あくまで二人はお互いの立場上で手を取り合わなければならないという前提があっての関係だと思っている。

 どちらかと言えば同志なのだろう。だが、それこそが俺が王妃に求めている理想なのかもしれないと思った。

 必要以上の愛は要らず、共に手を取り合って国を支えてくれる。それが理想の人である、と。


 この話をすると、打ち明けられた者は揃って渋い表情を浮かべるのだから、あまり口にしないようにはなったのだが。

 何せ、理想の対象であるエルリアーナにさえ何とも言えない表情をされてしまっている程だ。


 俺とて、わからん訳ではないのだ。

 彼等は俺個人の幸せも求めて欲しい、その幸せの一つとして愛があるのだと言いたいのだと思っている。

 だが、それでも俺は愛などという不確かなものに自分がのめり込めるとは思えなかった。


 愛は尊い。しかし、愛は誰かを傷つけるかもしれない。

 そんなの本末転倒だろう? 愛している筈なのに、その愛が誰かを傷つけるなどと矛盾している。

 心底、俺はそう思っていた筈だったのだ。



 ――それなのに、俺はあっさりと一目惚れという圧倒的な感情の暴力の前に屈した。



 最初は訳が分からなかった。自分で制御出来ない感情に混乱すらしかけた。

 アネーシャ・キュルケ。アイオライト王国で出会った人に俺は目を奪われてしまった。

 彼女の挙動一つであっさりと振り回されて、感情を乱している自分に理解が追い付かない。


 なんなのだ、これは? こんなもの、どうすれば良いというのだ!?

 内心で混乱を抱えながらも、グランアゲート王国の使者として、国王である父の代理として恥を晒すことは出来ないと力を振り絞った。ただひたすらに王子としての責務を果たすために意識を集中させて、この難局を乗り切ろうとしたのだ。


 しかし、理解に苦しむのだが、俺自身よりも周囲の者たちの方が火に油を注ごうとしてくる。

 ただでさえ持て余して火事になっている俺の感情を煽るな! と怒鳴りたくもなった。特にニヤニヤと鬱陶しい表情で俺を見てくるカテナには思わず殺意すら向けたくなった程だ。


 そこまで弄られれば否定するのも億劫になってきた。あぁ、そうだとも。確かに一目惚れで、今もアネーシャ殿に惹かれているとも!

 だが、俺は公務で来ているのだ。浮ついた感情で自分の使命を蔑ろにする訳にはいかない。だから毅然と振る舞わなければならないのだ。



 ――そう思っていた筈なのに、何故こうも自分が制御出来ないのか。



 見ているだけで穏やかな気持ちを抱いてしまうアネーシャ殿。明るくて、それでいて落ち着いている。同年代でここまで話がしやすい女性というのも珍しくて。

 そんな彼女が時折見せる陰りと憂いを帯びた表情。その表情を見るたびに俺は胸を引っ掻き回したくなるようなもどかしさに襲われる。


 その諦めたような表情は、かつて俺が抱いた諦めを思い出してしまうから。

 愛なんて求めてはいけない、とかつての俺は思った。

 夢なんて求めてはいけない、と彼女は思ったのだろう。

 あぁ、成る程。かつての俺は周りから見ればこのように見えたのかもしれない。

 まだ自覚もなかった頃の俺にラッセルが悲しげな視線を向けていたのも理解出来てしまった。


 王子として背負うものがある以上、その責務を果たさなければならない。だから俺は揺らいではいけない。

 しかし、王子として揺らがないために人としての情動を捨てるのは……それは良くないことなのだろう。


 もどかしい話だ。役目を果たすために揺らいではいけず、しかしまったく揺らがなければ逆に不安を抱かせてしまう。

 やはり、愛に正解などないのだ。愛はその都度で出した結果で正しさが問われるのだ。

 その過程がどれだけ間違ったものであっても、愛によって導き出された結果が良ければ清算は可能なのかもしれない。


(……あぁ、もしそうだと言うのなら)


 ――俺は、愛を恐れずにいていいのだろうか。

 俺は、ただ愛したかったんだ。誰かを愛することが出来る人たちを尊いを思っていたからこそ。

 だから恐れてしまった。母上を泣かせてしまった時、自分が間違いを犯してしまったのだと思ったから。

 愛に正解はなく、間違いは誰かを傷つける。それならば愛など求めない。誰かを傷つけるかもしれないなら、間違いを引き起こす愛は遠ざけなければならないと。


 そうやって遠ざけるのなら、今度はアネーシャ殿への思いすらも捨てられるのか?

 自問自答の果てに、俺は長く息を吐き出した。


「……父上と母上が、別れない訳だ」


 どれだけ自問自答して正しさを求めようとしても、意味がないのだ。

 正解がないなら、出た結果が全てだ。その結果すらも出そうとせず、何事もなかったことにするのが望みなのか?


「それは……出来ないな」


 俺は多くの人に見守られ、気付かされて、今ここに立っている。

 王子として正しくありたいと願い、それを支えてくれる人がいる。

 かつての俺の態度で傷つけられた人も多かっただろう。それでも俺を慕ってくれる人がいる。

 間違いは犯すべきものではない。しかし、間違うことを恐れて全てを諦めてしまうのも違う。

 なら、どうするべきだ。俺は、何を望んでいる?


 自分の思考に没頭するのを止め、俺は現実へと意識を集中させる。

 今、目の前ではアネーシャ殿がカテナたちに本の区分けや、オススメの本について熱心に説明している。

 心から活き活きとしていることが伝わる姿に目を奪われながら、俺は飲み込めずにいた感情を飲み込んだ。



 ――俺は、アネーシャ殿を縛る諦めの鎖を砕いてしまいたい。



 彼女の笑顔に見惚れてしまう。その笑顔が翳るなんて我慢が出来なくなってしまう。

 どうかずっと笑って欲しいと願う。諦める必要はないのだと、その手を引きたくて堪らない。

 そこまで考えて、俺は片手で顔を覆った。



「……参った」



 どうやら俺は、心底アネーシャ殿に惚れ抜いてしまっているみたいだ。


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