第四十二話 ラケッティア、久々の空気。
「死んだって、そんなに重大なことか? 掟の守護神だって幽霊みたいなもんだったじゃんか」
すると、掟の守護神の嫁のほうグヴェンドリンのおっさんっぽいしゃべりの声がこたえた。
「失敬だな。きみは。確かに幽霊みたいなものだが、幽霊とは違う。抽出された精神体として神格を得たのだ。ただ、死んだのとは少し違うのだよ、少し」
そこは宮殿の応接の間のひとつだ。
肺呼吸の国から大使が来ても大丈夫なように、緑樹いっぱいで空気に満ちたジャングル部屋がある。
その部屋の中央が島みたいになっていて、まわりが水で囲まれている。グヴェンドリンの声はまわりの水をぐるぐる泳いでいるギル・ローからきこえてきた。
ギル・ローに刻印をかました神さまたちがギル・ローのなかで死んだ守護神をどう扱えばいいのか意見を戦わせているらしい。
こっちは久しぶりに呼吸用ヘルメットを取って、光合成の副産物を胸いっぱい吸い込み、テーブルの上の皿に盛られたフルーツ風味のおまんじゅうみたいなものを食べるのに忙しかった。
海に潜ってから腹が減ってしょうがなかったのだ。
水圧の問題とか血管のなかで血液がソーダ水みたいになるとか、そういうことがどうなっているのかは知らない。知っても怖くなるだけだ。潜れてるんだから。大丈夫。
というか、おれが住んでいるあの星が丸じゃなくて、平らなお盆だったことが、おれのなかでものすごいカルチャーショックを与えている。
だから、血液中の窒素の量なんてどうでもいいのだ――たぶん。
蟹大臣が部屋にやってきた。
蟹なので水から上がることができ、その手には平べったい海藻でつくった書物をたずさえていた。
「我が国の国情について書かれたものです。みなさんに関係があるのはこの〈海竜の墓場〉です」
大臣はページを破らないように細心の注意を払いながら、ページをめくり、〈海竜の墓場〉を教えてくれた。
〈海竜の墓場〉は神格を得た海竜たちの――そして食物連鎖の頂点者たちの――最後の死に場所であり、水の守護神は渦を巻く潮の流れに守られながら、永眠している。
その潮の流れはすさまじい代物で人間が生身でぶつかったらバラバラになるそうだ。
つまり、おれたちは死んだ守護神をよみがえらせるための方法がひとつ、それに墓場のまわりの水流バリアを抜ける道をつくるのがひとつ、そして、まだ分かっていないだけでたぶん五つか六つくらい出てくるであろう問題を解決する臨機応変さが必要。
「その高速渦巻に穴を開けるのだけど、蟹の民でも一番固いやつを借りることってできる?」
「申し訳ございませんが、提供できるのは知識まででございます」
三十ゴールドとひのきのぼう。
国民を危険にさらすことは絶対にできない。
まあ、いい王国だよな。
なんか、これまで見てきた連中のなかで一番、余裕のある文明、余暇を楽しむことを知っている文明だもん。
ただ寝っ転がって光合成したり、裂いた肉を飛びながら散らかしたり(これはルハミさまの最期だ)じゃなくて、音楽があって、庭づくりがあって、タカラガイふたつで買える家具がある。
どこか北イタリアを思わせるまったりとした時間が流れているのだ――まあ、北イタリア行ったことないから知らんけど。そもそも北イタリアにはマフィアもカモッラもンドランゲタもいないし。
「ともかく水の守護神だ。仲間にすれば蟹の民も動く」




