第四十一話 AI、蟹の国。
蟹の民の海域に入ったところで注意事項が。
「いいか。かに道楽の話題は禁止」
かに道楽とは有名な蟹レストランの名前だそうです。
「それと、ギル・ローは蟹食うの禁止。って言ってるそばから何を食ってる」
「こいつは蟹じゃねえよ。ロブスターだ」
「ロブスターも禁止だ」
「でも、甲殻類は体の防御殻系の進化を促すんだよ」
「蟹の民とひと悶着起こしたら、おれらだけで帝国の要塞に突っ込むハメになるんだぞ」
「そんなのおれが進化して全長三十メートルくらいになれば、問題ない」
蟹の民は珊瑚の森と同化した谷に住んでいました。
谷の崖をそのハサミで穿ってつくった住居には優雅な蟹生活には欠かせない安楽椅子やハサミ研ぎの回転砥石、アカヤガラそっくりの縦笛、海綿のスポンジ・ベッドがありました。
蟹の民は脱皮した殻を原料につくった新聞を毎月取っていて、そこに載っている蟹格攻撃をしないがピリッとした皮肉のスパイスの利いた風刺画を見るのが楽しみというとても穏やかで余裕のある暮らしをしていました。
魚人は軍事国家ですが、蟹の民は文化の民というわけです。
顔つきや体形は人間のそれでしたが、鱗のかわりに殻が体のあちこちを守っていて、両手はハサミになっています。
ハサミで操れない以上のテクノロジーはあてにせず暮らしてきた関係で鍵盤のある楽器は使えないので、簡単な笛や太鼓を使った音楽が発達したようです。
水のなかでは音楽もまた違ったきこえかたをしますが、みなさんのつけている潜水装備はその音を空気中できいた音と同じように変換してしまう機能があるので、この変わった音楽をきけない、というより、この音楽が存在することも知らないでいるのは残念な気がします。
珊瑚の街は谷底まで続き発行プランクトンが貯まっているのか、底には青い光の道が伸びていました。蟹の民たちは崖から突き出たバルコニーからボクらを見ています。
ボクらは蟹の民に戦争をしてくれと言いに行くのですから、不安な目で見られることも仕方ないことです。
でも〈メガリス〉建造が魚人に与えている負担は相当のものでしょうし、労働力確保に蟹の民をさらいにくるのも時間の問題に思えます。
しばらく泳いでいると、白く長いヒゲをたくわえた品のよい老人があらわれました。とても小柄で子どもくらいの背丈しかなく、そして、とても大きな帽子をかぶっているのですが、それでもボクの幻影よりも背が低かったのです。
ただ、その帽子はとてもきれいな海藻でつくられていて、磨いた石の玉をつないでいて、身分のある方がかぶりそうな王冠にどことなく似ていました。
蟹の民の大臣を名乗るその老人はボクらを宮殿に招待してくれました。
蒼白く光る海草が並んだ谷の道の先にある宮殿は青いタイルと金箔でその歴史を飾った大広間と天井の高い廊下と衛兵が交代で勤務する塔からなる建物群でした。
宮殿のあちこちには海洋生物を象った見事な彫刻があって、柱にはクジラ、梁には絡まって水面を漂う海草とその海草に棲む小さな魚たち、塔の外壁には大きなウミヘビが七色のタイルを皮にして螺旋を描いています。
「これを全てハサミの手で?」
と、たずねると、大臣さんが教えてくれました。
「左様です。十数年に一度、非常に細く硬質なハサミを持った子が生まれることがあります。我が国の法律ではそのようなハサミを持った子どもは彫刻家になるべく教育を受けさせなければならないことが決まっています」
すると、来栖さんがたずねました。
「じゃあ、そいつが、おれは彫刻家なんかごめんだぜ、おれはマフィアになるんだ、って言ったら?」
「マフィア、というものがどんなものが存知ませんが、我が国の法で彫刻家になることが決まっている以上、その他の職業に就くことはありません。どこも雇わないでしょうし、この事については魚人の国とも協定があり、彫刻家候補の蟹の民に職を斡旋することは禁じられています」
「うーん。職業選択の自由ってきいたことある?」
「はて? とんときいたことはありませんな」
「分かった。あんたたちの手強さはよーく分かった。分からないのはそんな手強いあんたたちが、どうしてやってきたよそ者の新参者をいきなり宮殿に招いて、しかも大臣自らお迎えって、これはなんで?」
「わたくしども、蟹の民はお客人を歓待する文化があります。それに何を考えているか分からないよそ者の新参者があらわれたら、高圧的に出るよりは下手に出てみるのが一番、相手の本性が分かりやすいですからな」
害になるか益になるか分からない異邦人はとりあえず歓待して様子を見ようという蟹の民一流の外交術が垣間見えたようです。
「率直に言えば、あなた方は合格です。わたくしもこうして出迎えること数千回。ちょっと見れば、相手に害する意志があるか分かります――と、偉そうに言ってみても、実際はほら、そこの魚人の若者は近衛兵の服をつけています。新生フレイア帝国のことは聞き及んでいます。蟹の民は争いに巻き込まれたくないので、このままヤドカリみたいに殻のなかに閉じこもっていれば、災厄は頭上を通り過ぎていくだろうと思っているようですが、わたしは違います。いずれ、この国にも彼らの手は伸びてきます。ですから、国王陛下に謁見を願って、今後のことを話すのがよいと思ったわけです」
大臣さんはアクロさんが守っている少女のことは言及しませんでした。
まあ、気づいているのでしょう。彼女がお姫さまであることを。
ただ、なぜかこのお姫さまについては〈大いなるお約束〉と言うのでしょうか、知らないフリをすることがいつの間にか当然になってしまっています。
彼女がお姫さまであることは幽霊さんだって知っているのに、それについて何も言わないのです。
たぶん、このなかで彼女がお姫さまであることを本当に知らないのはイスラントさんだけでしょう。そうなんです。イスラントさんは気づいていないんです。
〈そこにいるのに存在しないお姫さま〉
不思議な概念であり、どうしてそういう共通事項を異なる立場の異なる個人が即興で築き上げたのか、これは検証する意味のあることのように思えます。
蟹の民の国王の前に案内されながら、来栖さんはあらゆる海産物料理を話題にすることを禁じていました。
「サーモンとイクラの親子丼禁止! サワラの刺身のショウガ醤油禁止! 蟹の酢の物絶対禁止!」
ファミリーの統制はなかなか苦労するようです。
というのも禁止した途端、自分自身がそれらの料理を食べたくなってしまうからです。
こんなとき、来栖さんはニューヨーク五大ファミリーの名前を唱え続けて、精神を落ち着かせます。
この精神統一法は(来栖さんにとってのみ)非常に有効な方法です。
――†――†――†――
ボクらが通されたのは海草が森のように茂る美しい庭園でした。
明るい緑の藻のあいだから首長竜の子どもが小さな魚――来栖さんが〈ぴえん〉と名づけた魚です――を追いかけ、半分砂に埋めた壺には機嫌次第で七色に変化するタコが警戒するように身を縮ませ、面を仰げば水のなかの梢の先に細長い巨大な海棲トカゲが悠々と大きな影を落としながら宮殿の海を横切っています。
そして、フジツボひとつ見当たらない青い屋根の園亭に蟹の民の国王がいました。
ほんの子どもです。
風の民の長老もそうですが、この星域ではちょうど国家元首が子どもになった時期にあたったのでしょう。
しかし、とても聡明そうな子どもです。
いえ、聡明そう、ではなく、実際、聡明です。
貴族的な挨拶のやり取りがあった後、蟹の国王は兵を出すことはできないとはっきり伝えたからでした。
確かに負け戦は間違いありません。
こちらの戦力は蟹の民の指よりは多くとも人間の指の数よりははるかに少ないのです。
「まあ、そう言われるんじゃないかと思ってた」
来栖さんが国王に言いました。
「申し訳ないが、勝てる見込みのない戦に民を遣るわけにはいかぬのだ」
「じゃあ、逆にどんなことがあれば、そっちは勝ち目が見えてくる?」
「水の星の守護神の加護があれば――」
それをきいて、みなホッとしました。
これまで味方にした守護神のうち、手強かったのは掟の守護神だけ。
確率は三分の一です。
水の守護神の恩寵を得ることもそう難しいことではないのでしょう。
「じゃあ、話は簡単だ。水の守護神にはどこに行けば会えるんだ?」
すると、国王は首をふりました。
「会うことはできぬ。先年にみまかられたのだ」




