第三十七話 ラケッティア、男だらけのウェットスーツ回。
「ヘンデル・メンゲル博士。樹海大学水中錬金術学博士課程修了。水を征服せんとするものは勇躍、門を叩くべし……。カラヴァルヴァにはこんな名札を掲げたインチキ博士が大勢いるんだけど」
まあ、信じるしかない。
この広大な海で唯一の陸地に立つ唯一の家。
とはいっても、一階は水没、お魚さんに間借りさせてる状況で、ふたつに切った植木鉢みたいな瓦の屋根をよろよろ歩きながら、研究所とやらに入る。
「ん? お客さんかな?」
なかにいたのはとてもダンディーな樹人だった。
他の樹人みたいに葉っぱで出来た服を着ずに、きちんとした開襟シャツに折り目がパリッとしたズボン、靴はテカテカした革靴でクラーク・ゲーブルみたいんだ。
ますます怪しい。
カラヴァルヴァの詐欺博士たちのほとんどはダンディーだ。
この人なら、三十年コツコツ貯金したお金を任せられるって気にさせる外見だ。
とりあえず、おれたちの目的、つまり水のなかで自由に動きたいと伝えると、ダンディーはまあ、お猿のおもちゃみたいに手を打たんばかり喜び、おれたちのことを「実験体――じゃなくて勇躍者たち」と呼んだ。
「水のなかを自由に動く方法はふたつあるんだ。ひとつはわたしが開発したこの潜水スーツで、これがあれば、魚のように自由に動けるんだよ」
そういって、博士は壁のクランクをぐるぐるまわすと、潜水ヘルメットとウェットスーツがぶらさがった棚があらわれた。
重たい酸素ボンベなんか背負わずにこいつで自由に水中を動けるらしい。
「ちなみにもうひとつの方法は?」
すると、クラーク・ゲーブルもどきは錬金術の進化の秘術がなせる技、と前置きをしたうえで言った。
「魚そのものになる方法だ。この青のエリクシルを飲めば――」
「魚みたいな潜水セットを人数分オナシャス」
「いや、おれは進化の秘術を試すぜ」
「なあ、ギル・ロー。人間にはいろんな欠点があるけど、その程度は様々。笑ってかわして、後日ひと口噺になるやつと、サガフロンティアの生命科学研究所の化け物みたいに人間に戻りたいようってしくしく泣きながら、人間を食うハメになる過ちまでいろいろだ」
「でも、おれは進化の秘術を試したいんだよ」
「カルリエドも試したいんよ~。お魚、どんなんか楽しみなんよ~。フィッシュ・アンド・チップスなんよ~」
「いやあ、実験体――じゃなくて、勇躍せし者が一日にふたりも! 長生きはしてみるもんだ」
「おれはどうなっても知らないぞ。止めたからな」
――†――†――†――
よい子のパンダのみんなに謝ろう。
本来ならタイトルが『海だ! 水着回! ポロリもあるよ!』になるはずだったが、全員野郎で、しかも水着ではなくてウェットスーツ回。
しかも、そのうちふたりは怪しげな進化の秘術を試して、海産物になってしまった。
しかし、ウェットスーツというものは初めて着るのだが、まるでタイヤ人間になるみたいだ、と言うところだが、おれの場合、まるでアサシンになるみたいだ、と言っておく。
暗殺者や秘密工作員なんかが黒のぴったりとした全身タイツみたいなスーツを着るのって誰が考えたんだろうね。
ガールたちのアサシンウェア然り、ヨシュア然り、ジャックだって本気の仕事のときはそれっぽいものを着る。
よそのアサシンギルドなんかではもう頭まですっぽり覆われて、殺気に血走った両目しか見えないってのもある。
ああいうの、普通の仕立て屋じゃ作らないよなと思ったけど、そのためにリサークがいるわけだ。
まあ、衣擦れの音すらさせたくないんだろうけど、イタリア系マフィアの世界に黒いぴったりとしたスーツを着るやつはいない。
これについてはシカゴ・マフィアのサム・ジアンカーナの話があるのだが、誰か殺すとき、普通にスリーピースのいいスーツを着ていく。
殺す相手は知らないやつで、別に恨みもないし、かといって親しくもない。
今日初めて会うやつだ。
で、そいつの頭を後ろから撃つ。
そうすると血や脳みそが自分のスーツに飛び散って、お気に入りのスーツがオシャカになる。
そこで初めて、殺した相手に殺意が芽生える。
じゃあ、汚れてもいい服装で行けばいいじゃん、と思うかもしれないが、下手を打って現行犯逮捕されたとき、ヘナチョコな服でパクられたくない、というのがあるらしい。
確かにゴッドファーザーの最後の洗礼式で敵対ファミリーが殺されまくるとき、警官に化けたアル・ネリ以外はおしゃれに決めてたな。
でも、ソプラノズになると、殺し屋たちは野球帽に安物のジャンパー姿になる。
まあ、これは服装をみな同じにして、そこにばかり目撃者の目をいかせて、顔つきなどを覚えさせないためのものだろう。
手には外科手術用の手袋をして、銃は現場に置いていく。あれは銃が工場のラインから抜き取られたもので、どこの卸売業者も小売業者も通してない銃だから、警察は出元を追うことができない銃なのだろう。
――†――†――†――
スキューバダイビングというのは初めてやったが、人によっては人生観が変わる体験だというのもあながち嘘じゃない。
どこまでも透明で澄んだ水のなかにざぶんと入ると、まるで宙を飛んでいるようだ。
海底の砂は白く波打っていて、そこに海面の光のゆらめきが映る。
よーく見ると、顎の骨がない古代ヒラメが、その砂のなかに隠れている。
それに小さな魚たち――頭に固い殻をもち、あまり泳ぎが得意ではなさそうな小さな尾ひれの可愛らしい魚が――。
ばくん!と目の前で食われる。
「よっしゃ、餌ゲット!」
「カルリエドもゲットなんよ~」
紹介しよう。
こちらの攻撃的なお魚がギル・ロー、そして、ウミガメのほうがカルリエドだ。




