第二十三話 ラケッティア、8ビットのマボロシ。
「さんざん逃げ回ったけど、ここはどこなんだ?」
シップの舷窓から見えるのは灰色の嵐で雪がちらついている。
宇宙空間にも雲があるが、これがイスラントの剣がホッカイロに思えるほどの雪雲で、生き物の気配がない。
「ここは棄却宙域ですね」
「棄却? 捨てられたってこと? ここには何にもないってこと?」
「そのようです。でも、あの巨鳥型メガリスは追ってきませんね。しばらくはここでやり過ごすしかないでしょう」
「〈水の星〉が常夏のハワイみたいなとこであることを祈ろう」
見えるのはどれもこれも白と黒の瓦礫の塊で星として非常に不安定だった。
不安定ってことはお盆みたいな星の一端に着地したら、その重さで星が傾き、そのまま宇宙の底まで落っこちるということだった。
この宇宙吹雪のなかをずっと飛んでいるのもあまりいい感じはしないし、例の爆撃機に見つかる危険があるから、どこかの星に着地したいが、それが不安定で使い物にならないときてる。
「なあ、ギル・ロー。寒くないのか?」
「寒いよ」
「ちゃんと服着ろよ」
「でも、見てくれよ。この刻印」
グリホルツヴァイの刻印は胸と腹の象形文字群だった。
迷路みたいな模様で、これが風の元素を司る。
ギル・ロー曰く、これで錬金術士としての自分の力が大きく強められるらしい。
「じゃあ、アンチョビ用の塩がグレードアップするのか?」
「アンチョビの星に行って、アンチョビの守護神にあって、アンチョビの元素の刻印もらえたらな」
「ヘイ、シップ。〈アンチョビの星〉ってある?」
「存在しませんね」
「じゃあ〈水の星〉が別名〈イワシの星〉って呼ばれてたりしない?」
「言われてません」
「うーん。ちなみに百年前のフレイアにはアンチョビってあった?」
「ちょっと検索しますね――検索中です――えーと、あ、ありますね。スモーク・アンチョビ、熟成アンチョビ、お祭りのアンチョビ、アンチョビ風酢漬けニシン」
「星ひとつ丸ごと、アンチョビ工場とかになってればいいのに。ところで、シップ。そのアンチョビって――」
外の景色が黄金色に光って、シップが局地地震に襲われたみたいに縦揺れした。
「敵襲! 巨鳥型メガリスです!」
「まだ、あきらめてねえのか。しつこい連中だ」
「ブリザードに突っ込んで、回避します。しっかりつかまっていてください」
まだ爆風の衝撃があり、決着をつけると言って体育室に行っていたジャックとイスラントが階段から転がり落ちてきた。
おれはというと、何とか窓枠にしがみついて、シップがこれから突っ込もうとしているブリザードを見たが、これがラピュタの竜の巣を千倍根性悪にしたみたいな嵐の塊で、こんななかに突っ込んで、ほんとに助かるのか、シップが自棄になってないか心配になった。
雲本体に突っ込む前から三角帆がギシギシミシミシ鳴り始め、ブリザードに突っ込んだ瞬間にはポップコーンみたいに飛び回り、目が回って、すっ飛んできたイスラントの頭がおれの頭に見事命中して――。
――†――†――†――
気づいたら、また場末のバーにいた。
ここは地獄の一丁目か何かなのだろうか?
薄暗い照明のなか、ハスキーボイスの女シンガーソングライターがどうあっても修復しようのない男女の関係を唄い、ジム・ビームのホワイトラベルは半分ほど空になり、退職警官は逃げる黒人少年を背中から撃つ悪夢に人差し指をひくつかせている。
空気は埃っぽくて舌にざらつき、ネルシャツに野球帽のトラック運転手が飲酒運転待ったなしの血中アルコール濃度でハイウェイに挑もうとしている。
ひとつ変わったことと言うと、ピンボール台がゲームになっていること。
緑の筐体に『マジカル・スペース・キャノン』とポップな文字。
デモ画面を見ると、8ビットのドット絵のヴォンモとミミちゃんがフェリスを連れて、夜中にこっそりカルリエドの石切り場へ向かう。
そこには古代の大砲が。
『コレデ ますたーヲ タスケニイクンデス』
8ビット考古学的アーケードにおいても泣かせてくれる。
しかも、おれのことを心配するのはヴォンモだけじゃなくて、マリスもアレンカもツィーヌもジルヴァもこっそり大砲のもとを訪れていた。
昼間はそんなヤバい大砲ごめんだぜ、とみんな言っていたけど、大好きなマスターだもん、リスクは承知だ、とますます泣かせてくれる展開。
え、これ、エンディング。
エンディング見るまで泣くな、ってキャッチフレーズは何のゲームだったっけ。
あー、もー、アーケードゲームで泣かされたの『プロギアの嵐』のオープニング以来だよ。
よしよし、ガールたち。おっちゃん、待ってるからね。
そして、みんなで行こうと決まった瞬間、大砲が発射された。
まだ誰も装填されていないのに。
いや、8ビットのドット絵でも見えた。
炸薬にウェティア、そして飛んでいったのはヨシュアとリサークだ……。
いや、宇宙空間のシップ目がけて大砲が当たる確率は太平洋に逃げたシラスウナギに石を投げて当てるより難しいはずだと、自分を納得させながら、フレイのいるテーブル席へ。
「通常時よりも活発指数二十パーセント低下を確認」
「ヨシュアとリサークがウェティアを火薬がわりに宇宙にすっ飛んだ。たぶん、こっちに向かっている」
「司令。考え直していただけましたか?」
「このままカラヴァルヴァに帰る話?」
「はい」
「その前に注文していい?」
頼んだのはトリス・ウィスキー。
ここはアメリカの場末だから、アンクル・トリスが置いてある可能性は限りなくゼロに近いが、まあ、おれの夢のなかだ。夢のなかなら下戸なおれも酒が飲める。
で、飲んでみた。
まずい。いや、酒がお子さまの口に合わないとかそういうのじゃない。
たとえ下戸でもおれには来栖一族の血が流れている。そして、その血が叫ぶのだ。純粋にマズい、と。
カウンターの後ろの棚を見れば、トリスはプラスチックの業務用十リットル入りペットボトルでたぷたぷしていた。
おれの体を流れる来栖の血が叫ぶ。ゲロマズでも安いならよし。
これは夢だが、夢ではない。
おれは酒を飲めるが、さっき見たドット絵の予言は嘘ではないのだ。
そして、ここでフレイと話すことも。
「司令。ご返答を」
「このあいだと同じだ。あきらめない」
「司令。わたしは自分の意思でフレイアに戻ったのです。だから、このまま戻ってください。それが我々のあいだで導きうる最良の選択肢です」
「戻らない。なぜならフレイに自分の意思はないからだ」
「……」
「フレイはいつだって司令のいうことをきいてくれるいい子だからね。そんなフレイが自分の意思で滅び去った古代文明絡みのゴタゴタに戻ったなんてありえない。絶対に連れ戻す。見捨てたりしない」
――†――†――†――
追い出されるように目が覚めた。
「気がついたか、オーナー?」
「ここ、どこ?」
ジャックが舷窓を指差す。
「どれどれ」
雪とコンクリート・ビルの残骸。ハイウェイに転がる破壊された兵器。
それは白と黒のヤバめの滅亡未来。がらんどうの未来だ。




