第十九話 ラケッティア、フレイアのコンビニ。
蔓植物が垂れ下がった壁のあいだに百万年前のコンビニ。
しかも、日本のコンビニっぽいコンビニだ。
店内の棚は空っぽ、空っぽの段ボール箱――チュウオウブツリュウセンターとある――が積み上がってスペースを塞いでいる。
だが、レジの隣におでんを売る機械があるし、番号付けをした煙草の棚、肉まん保温箱もある。有料スマホ充電器もある。壁にはポスターが一枚――アニメが原作のミュージカル。
ここに書いてあるのは日本語ではない。
だが、よーく見ると、なんとなくだが意味がつかめる。
「あんた、これ、読めるのか?」
「なんかカタカナとひらがなが混ぜ合わさったみたいな文字だが、意味は何とかつかめる」
「じゃあ、これはなんだ? そこのラックに一冊だけ残ってた」
「これは――って、グラビア雑誌じゃんか。こんなもん読まずとも分かる。つーか、百万年もよく存在できたな、この紙」
色は褪せてて、ところどころ背景の海や空と溶け合ったグラビアアイドルがカメラマンの注文を受けて、とびっきりの営業スマイルをしている。
百万年前の人類もグラビア好きなのか。
「分かったのは百万年前のフレイア人も人並みにスケベだったってことか。ああ、あと、もうひとつ分かったことがある。ここ、たぶん研究所」
「なぜ、そう言い切れる?」と、イスラント。
「言い切ってはいない。たぶん、って言っただろ? なんとなく店の感じが普通のコンビニって感じがしない。限られた客を相手にしていたっぽい気がするんだよ」
「でも、それなら辻褄があいますね」
と、シップが言う。
「フレイア文明にとって〈剣〉によるエネルギー創出は研究対象だった。ひょっとすると、〈剣〉はフレイア文明がつくったものではなく、さらに古い時代、気の遠くなるような昔につくられたものなのかもしれません」
「罪づくりなカッターナイフだ。百万年前に文明ひとつ滅亡させて、さらにいま、いろいろ面倒かけやがる。おれだったら、そんな面倒なもんはスタテン・アイランドに埋めて忘れるけれど、世界とか宇宙とか体育館とかアフリカ大陸とか、広い場所を見つけると全部自分のものにしたがるやつが必ずあらわれて、善良なラケッティアに迷惑かけやがる。フレイとカッターナイフがどう関わっているのか分からんちん。分からんちんだが、こっちでカッターナイフを全部抑えておけば、いざというときの交渉材料になる」
その後、研究所の存在をにおわせるものが次々とあらわれた。
まず、フードコート。
百万年以上、人間のケツで温められたことのない椅子がずらっと並んでいて、案内板を見る限り、蕎麦屋、ラーメン、とさかのある鳥をキャラクターにしたハンバーガーショップ、タコ焼き屋があったようだが、どのテナントも目玉をえぐり出された眼窩みたいに空っぽだ。
毎日、栄養ドリンク漬けで昼夜を問わず働く研究員たちの、白衣よりも蒼褪めたツラが見えてくるようだ。
どいつもこいつも死にくさった声で呻いている――「無限のエネルギー、これはすごい!」「論文だ、論文を提出せねば」「これでフレイアは救われる」「最高だ。空を飛んでいるようだ」「あれは吸い取っているのではない。発散しているのだ」「力だ、あれは力を与えてくれる!」「論文、論文を提出せねば」「若返ってる、若返ってるわ」「限界に意味はない。あれはそれを教えてくれた」「死ぬことのない体、どこまでも明晰な頭脳、倫理などという下らぬ檻を破った精神」「素晴らしい、素晴らしい」「論文を書かねば」「アハハ、腕が三本、足が五本も生えてきた、アハハハハ」「新人類だ。我々は新人類だ!」「きみもはやく、我々の仲間になるんだ」「アハハハハ! 頭! アタマが生えてきたよう!」「頼む、誰か止めてくれ!」「違う! おれが望んだのはこんな――」「論文、論文」「家に帰って、妻と娘を抱きしめたい。でも、こんな腕でどうやって――」「なんて気持ちいいんだろう。体が溶けていく」「ただ世界を救いたかった。それだけだったんだ」「足が六本、翼が四つ、頭が五つ、尻尾が一本。なあんだ? アハハハハ!」「助けてくれえ! 助けてくれえ!」「家に帰って、妻と娘を抱きしめたい。そして融合したい。吸収したい。ヒヒヒ」「お願い……助けテ……」「おい、きみ! きみはきこえているのか? このカード・キーをやるから、ラボに入って、わたしの論文をエネルギー学会に提出してくれ! そうしたら、共同研究者のところにきみの名を記載してやる。だから、わたしの論文、論文、ろ、んぶん、ろんぶ、んろんブ、ン、ろぶ、ろろ、ろぶ、ん、ろぶ、ろろろ、ろ、ん、ろぶ、ろぶ、ぶ――お、ぐぇ」
……吐き気がするな。まったく。
スロットマシン以外の方法で世界を征服しようとするとこうなるのだ。
「オーナー、どうかしたのか?」
「なんでもない。たぶん、おれの勝手な想像」
そうつぶやき、手のなかのカード・キーに目を落とす。
――†――†――†――
カード・キーが使える〈ダイサンラボ〉に到着するまでに骸骨の詰まったエレベーターや吸い殻が詰まった休憩室の灰皿、それに手に銃を持ちこめかみに穴、下半身がムカデみたいな骸骨も見つけた。人間の尊厳があるうちにカタをつけたのだろう。
みんなのなかでは古代文字が読めるやつとして、おれの株が上がっていて、何の苦労もしていないのにこんなふうにチヤホヤされるとはいよいよおれもチートかと思ってきたが、論文や学術書みたいなものを持ってきて、これの意味分かるだろ?と言われても困る。
確かにここの文字は読めるが、句読点なしでカタカナのみの日本語みたいになっているから、意味を把握するのに時間がかかる。
コチトラカガクニノキョウカショダッテロクニヨメナカッタノニコダイブンメイノエネルギイニカンスルセンモンノケンキュウショナンテヨメルワケナイダロウガコンチクショウメ
こんな感じですよ。
まあ、ダイサンラボくらいの文字なら分かるけどさ。
それと暗殺部隊にはしょっちゅう襲われた。こいつらいたるところで待ち伏せしてやがる。
ロタロタが暗殺者ふたりまとめて串刺しにするところをもろに見たのと、咄嗟に自分で凍らせ足りない斬撃を放ったのとでイスラントが二度泡を吹いたことを除けば、損害はない。
あと『足が六本、翼が四つ、頭が五つ、尻尾が一本。なあんだ?』を見つけた。
まあ、グロいから詳細は省くが、百万年ぶりに生き物を口にした興奮で舞い上がっていた。
すでに食前酒として暗殺部隊がたらふく飲まれていたのだが――この化け物、ふたつの頭は普通の人間サイズだが、顎が外せて皮が物凄く伸びる――、そいつの胃袋が深海魚みたいに半透明に伸びるので、あのキキキって笑う暗殺者たちが生きながら溶けるのが見えた。
こいつはイスラントが目をつむったまま、速攻ヘル・ブリザードを五発ぶち込んで、なかの哀れな犠牲者もろともかき氷にした。
ロタロタなんかは、目をつむったままでも勝てるか、なかなかやるな!と褒めたたえたが、むしろ目をつむってないと勝てないのは内緒の話。
さて、おれの手にカード・キーがあらわれたことを説明するのに苦労したけど、全部フレイア文明と言えば、それでカタがついた。
この宇宙ではフレイアと言えば何でも説明がつくのだ。
夏休みの宿題忘れました。フレイア文明のせいです。
駐禁しました。フレイアのせいです。
選挙運動中にお金配りました。フレイアのせいです。
フレイア文明が滅びた理由は案外これが原因かもしれない。
いや、だが〈剣〉と呼ばれるもののえぐさは十分すぎるほど分かった。
ただのカッターナイフとなめていたが、考えてみれば、カッターナイフは学校に合法的に持ち込める唯一の刃物だし、これだって腕の内側の柔らかいところにさされて、そのまま縦に切り裂かれれば大変なことになる。
〈ダイサンラボ〉というのはドームだった。
何本もの配線やパイプが床や壁を埋め尽くし、そして、その中央に巨大な円柱型のガラス培養水槽がある。
〈剣〉はそのなかだ。
「イース」
「ああ。わかっている」
ジャックとイスラントがそれぞれ武器を鞘におさめて、手ぶらで培養水槽へ近づく。
水槽からはカッターナイフもどきの淡い光が発せられていて、ふたりの影が床の上の配線の迷路の上に長く伸びた。
一瞬だが、イスラントの影だけが形を崩した。
剣を持った黒衣の男が影のなかから起き上がり、袈裟懸けにイスラントの首を落とそうと斬りかかる。
「ぐっ!」
黒衣の男の動きが止まり、頭巾が落ちて、長い髪がばさりと流れ出す。
見れば、その足は凍りついていた。
冷気はイスラントが自分の影に突き刺した氷の剣から発せられていた。
黒衣の男が剣を投げるが、ジャックの短剣が手早く叩き落とす。
「相手が虚をつくと分かっていれば、背中からの奇襲を防ぐ方法はいくらでもある」
「所詮、将官クラスが手真似で覚えた暗殺術に過ぎん。本物のアサシンには通用しない」
「おい、ヨハネ。アサシンじゃない。暗殺者だ。何でもかんでも横文字を使うな」
「わかった。で、お前はどうする? このまま、全部氷漬けになるか?」
たぶん、こいつが総司令官のルハミさまってやつだろう。
なかなかの色男で自分でもそれが分かっているらしく、フ、と笑うと両手を上げた。
「いいでしょう。この場は降りましょう。無様な真似は好みませんのでね」
ジャックはおれを見た。
こいつ何言ってるんだって顔だ。
うん。その気持ち分かる。こいつ、何を相手にしてるか全く分かってない。
「無様な真似、ねえ」
おれのなかのイケナイ来栖くんがぐぐっと頭をもたげてきた。
「正直、お前の好みなんて知ったこっちゃないんだ。これは戦争じゃない。抗争だ。マフィアと帝国のな」




