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ラケッティア! ~異世界ゴッドファーザー繁盛記~  作者: 実茂 譲
ディルランド王国 ラケッティア戦記編
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第三十二話 忍者、幻術返し。

「トキマル。面会だ。出ろ」


 あくる午前。

 トキマルは〈レネンドルフの斧男〉と乱戦における斧の可能性について、あれこれ論じ合っていた。トキマルの経験では片手斧は逆手持ちにした短剣と相性がよく船内のような狭い場所では非常に有効な武器だった。


 トキマルはこの老人が外にいるあいだ、いったいどんなことをしたのか、少しだけ気になっていた。

 話術からの催眠をかけてもよかったが、めんどくせーので、老人に自分で語らせようとしてみたが口が堅い。


 めんどくせーが、いよいよ忍術を使うかと思ったところで看守が現れて、面会人が来ていると告げてきた。


「やあ、よい子のトキマルくん。元気かな? プレゼントを持ってきた」


 来栖ミツルが面会室にいた。大きな包みを持っている。


「梅干し?」


「煙草だよ」


「おれは吸わない」


「お前が吸うんじゃなくて、これを囚人にばら撒くんだ。好感度が上がって、口が軽くなるかもしれない」


「どーでも」


 包みを受け取ったとき、底のほうに何か固いものが詰めてあった。


 来栖ミツルは口だけ動かした。


 苦無。


 たぶん看守を買収して荷物検査を逃れたのだろう。

 だが、助かる。一本あるだけでもいろいろ使い道がある。


「それよりな、トキマル。おれ、どーしてもききたいことがあるんだよ」


「エルネストの居所なら、まだ分からない」


「いや、そっちじゃない」


「じゃあ、なに?」


「お前、なかでカランサって〈商会マフィア〉のボスと話をしたろ?」


「なんで知ってんの?」


「ツィーヌが洗濯女として監獄に出入りしてる。そこできいた噂話を届けてもらってる」


「手抜かりはないワケだ」


「まあまあ。そこであったことを話してくれ」


 トキマルは話した。

 半ば脅されるように幻術を見せたことや自分と同じ忍びらしい男が雇われていることを。


「いや、そんなことより、もっと大切なことがある。そいつらが、そこで何をしてたか、どんなものを食べていたか知りたい」


「それって重要?」


「めちゃ重要」


 一通り話すと、来栖ミツルはかなり真面目な顔で自分も刑務所に入りたいと言い出した。


「あんた、ホントになに言ってるんだよ」


「だって、おれもマフィアたちと一緒にジョークとか言い合いたい。玉投げボッチェしたい。看守買収してロブスターとか食べたい。それってスゲー『グッドフェローズ』っぽいよね。スコセッシだよね。楽しいプリズン・ライフ」


「ロブスターなんて外でも食べられるでしょ」


「刑務所で食べるロブスターは格別だと思うんだ」


「あの元帥ってじいさんもやばいけど、頭領もちょっとアタマおかしいんじゃないの?」


「脱力忍者に言われたくない台詞だな」


「とにかく絶対来るなよ。あんたに来られると、こっちが監獄に入った意味がなくなる」


「まあ、誘惑にできるだけ抗うことは約束しよう。ただ、自慢する話ではないが、おれは誘惑に負けることに関しては人後に落ちることのない男だ」


「ホントに自慢する話じゃないな」


「じゃあ、この話はいったん置いておいて、何か他に欲しいものはあるか?」


「欲しいもの? 別に……あ、そーだ。〈レネンドルフの斧男〉について調べてくれないか?」


「それ、マフィア絡み?」


「マフィア絡みでもないし、エルネスト絡みでもない。おれの個人的な興味だ。調べようと思えば、調べられるが、めんどくせー」


「分かった。調べてツィーヌに伝えておく。一度、ツィーヌとも顔を合わせておいてくれ」


「……」


「……どした?」


「いや――」


 頭領、幻術にかけたらどうなるかなー、と考えただけ。


 アサシン娘どもは忍術幻術の類が通用するような相手ではないのは知れている。

 だが、頭領はどうなのだろう?


 カランサは魚の雨を見ても慌てなかったが、クマワカから事前に幻術というものについて知らされただけで、幻術そのものにはかかっている。


 自分の雇い主を幻術にかけて、その情けないサマを見るのも、監獄暮らしの無聊の慰めにはなるだろう。


 いっちょ、やってみるか。


 トキマルは来栖ミツルとピタリと視線を合わせると、整えた呼吸と澄ました意識を丹田にくべて、腹中より錬った裂帛の気合を思い切り浴びせた。


     ――†――†――†――


 人で込み合った街路。

 通りをまたいで張り渡された洗濯物。

 駄馬に曳かせた野菜売りの荷車。

 正面に黒い鋳鉄の非常階段をつけた不細工なレンガ造りの建物たち。

 男たちは大きな口髭をたくわえ、女たちの体は喪服のような服のなかで丸々としている。


 そこで使われる話し言葉はまるで歌うような調子で早口でまくしたくられる。

 家々の窓から母親が体を乗り出し、階下で遊ぶ子どもたちを怒鳴りつけている。


 さっきまでセント・アルバート監獄の面会室にいたはずのトキマルが今は人々が歌うように話す街の雑踏のなかにいた。


 恰幅のいい紳士が通りかかったので、ここはどこかとたずねると、


「リトル・イタリーのマルベリー通りだ」


「それはどこの国の通りだ?」


 紳士は怪訝そうな顔をしてこたえた。


「アメリカだよ」


 アメリカ?

 いったいどこの国だ?


 まったくきいたことのない国の名をきいていたのだが、すぐトキマルは異変に気づいた。


 さっきまできこえていた歌うような異国の言葉の意味が分かり始めたのだ。


「ニーノ、はやく戻ってきな! 家の手伝いをするんだよ!」

「古着だよ! シャツが一枚五セントだ!」

黒手団マーノ・ネーラから脅迫状が届いたってよ!」

「大ニュース! イタリアで国王暗殺! 犯人は無政府主義者だ!」

「おい、そこをどけ! 馬車が通れないだろうが!」


 最後の怒鳴り声は自分に向けたものだ。

 四角く切った氷を満載した馬車を横に避け、自分のいる街を見回す。


 くらわせたはずの幻術を返された。


 しかも、かけられた幻術は自分なぞ到底及ばない高度なものだ。


 のっとられた五感。ヒヤリと冷たい汗を背中に感じた。


 来栖ミツルに忍びの素養があったとは思えない。

 背丈も普通のやせ形で、何か特別な鍛錬をしているようにも見えなかった。

 トキマルの暮らしていたアズマ人と似た価値観を持っているようだったが、それだけだ。

 頭がおかしいと思うところはあっても、怪しいところはなかった。


 だが、トキマルはこうして幻術返しを食らって、相手の見せる幻に飲み込まれている。


「くそっ」


 本物の上忍はみな一目見ただけでは忍びとは分からない。

 人畜無害な人間に見せかけ、忍びであることを少しも匂わせないのだ。


 となると、来栖ミツルは相当な忍術の使い手でそれを隠していたということだ。

 ここまで見事な幻術をつかえる忍びは世に三人もいないだろう。


 まずは幻術から抜け出さなければいけない。

 自分の不甲斐無さを嘆くのはそれからだ。


 相手の術中から抜け出すには両掌を組み、指を絡めて、九つの印を立て続けに結んで、気息を充実させ、相手の妖気を跳ね返す。


 結んだ印を一度に解き放ったが、馬車馬が興奮して棹立ちになろうとしたり、風もないのに旗が暴れたりすることはあっても、トキマルはまだ見知らぬ街の幻から逃れられない。


 えい、こうなればままよ、とトキマルは幻の街を歩き始める。


 ニンニクや石炭殻が強く臭い、どこに行っても空ではシーツや肌着が紐で吊るされてバタついている。

 何万人もの通行人の靴底ですっかり角の取れた石のなめらかさ。


 どれも、とても幻とは思えない。


 通りが一本、海までまっすぐ続いているのを見つけて、そこを歩く。


 途方もなく巨大な港がそこにあり、世界中の船を集めてもまだ足りないくらいの船が錨をおろしていた。

 船はどれも巨大で船体は黒と白に塗られ、帆柱のかわりに赤い煙突が生えている。

 その船の向こうに小さな島があり、巨大な青銅の女性像が金色のたいまつを空高く掲げていた。


 見ていると気圧されて、ますます術中にはまりそうだと思い、来た道を歩いて返し、雑踏と騒音の街に戻った。

 一本違う通りへ入ると、小さな銀行や事務所が並ぶ大人しい街へと出る。

 建物も正面に鉄の階段をくっつけることをやめ、ペンとインクで生計を立てる人間が考えそうな、色を抑えた看板を安普請の建物にかけている。


 そんな通りで少し別格の建物がある。

 コの字形の大きな建物で、帽子を目深にかぶり不景気な顔をした男たちがその建物に次々と入っていく。


 トキマルはその建物が妙に気になった。

 七階建ての石造り、コの字の内側に熟すことのない果樹を植えた前庭があり、入口はその奥にある。


 トキマルは男たちの列にまじって建物に入ると、閉店したレストランや動物の毛皮そっくりの偽物がぶらさがった作業場を通り過ぎた。

 これらの細かいところに幻術のほつれはないか探したが、すべては込み合っているようで整然としていて、抜け出せそうな突破口は見当たらなかった。


 そのうち歩いているものはトキマル一人になり、ある廊下の終わりでガラスをはめた扉に突き当たった。

 ガラスには『カスレランマレーゼ社交クラブ』とあった。


 扉を押してなかに入ると、落ち着いた調度と快適な空気のなか、老人に化けた来栖ミツルがいた。

 よく来栖が言っていた、『バラキ』に出てくるサルヴァトーレ・マランツァーノの姿だ。

 もっともトキマルは『バラキ』が何なのか、いまだに知らない。呪言の一種だろうか。


 トキマルの注意は机の上の小さな石像に向いていた。

 はるか昔の英雄か何かの像らしい。


「ジュリアス・シーザーだ」


 マランツァーノ=来栖ミツルが言った。


「古代ローマの英雄。サルヴァトーレ・マランツァーノはその大ファンだった。ラテン語でガリア戦記を読めたという。シーザーは頂点を極めた後、部下の裏切りにあい、メッタ刺しにされたが、サルヴァトーレ・マランツァーノもまた〈ボスのカポ・ディ・なかのボストゥッティ・カピ〉になり頂点を極めてから、部下に裏切られてメッタ刺しにされた」


「あんたはなにもんなんだ?」


「マフィア・オタクのごく普通の高校生だよ」


「ごく普通の人間がおれの幻術を返せるはずはない。違う?」


「そんなこと調べても、めんどくせーだけでは?」


「知りたいんだよ」


「なら、教えよう。わしは来栖ミツルのなかで〈精神〉を司っている。ブルックリンには〈理性〉を司っているやつがいるし、イースト・ハーレムには〈肉体〉を司っているものがいる。そして、ここは来栖ミツルの妄想のなかだ」


「妄想?」


「その通り。妄想だ。来栖ミツルの普通じゃない点は妄想の強さだろうな。転生した異世界でも、その妄想を実現しようとしている。ファミリー、カノーリ、買収、密輸、それに刑務所。これらの奇策はみな妄想が原点だ。そして、トキマルくん、きみはその妄想に幻術をぶつけて、そのまま跳ね返された。来栖ミツルはすでに自分が創り出した幻のなかにいたのだ。幻術が逆流して、きみを呑んだのはそういうことだ」


「どうやったら出られる?」


「まあ、〈斧男〉については調べておくよ」


 セント・アルバート監獄の面会室。


「……術が解けたのか」


「おい、トキマル。きいてんのか?」


「おい、頭領。おれは、どのくらい気を失っていた?」


「は? 気絶なんてしてないぞ」


 つまり、幻にさらされた時間はほんの二、三秒ということか。


 まるで数年間、潜入任務に従事した後のように体から緊張した気息が抜けていく。


 それは目に見えるほどだったので、来栖ミツルは面白いおもちゃを手に入れた子どもみたいに目をきらきらさせながら、アドヴァイスをした。


「なんだ、なんだ、脱力忍者。パニックでも起こしたか。そんなときはニューヨーク五大ファミリーの名前を唱えるに限る。心が落ち着くぞ。それでも落ち着かなかったら、フィラデルフィア・ファミリーとニュージャージーのデカヴァルカンテ・ファミリーを加えて唱える。試してみ? ほら、ガンビーノ……ジェノヴェーゼ……ルケーゼ……」

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