第十二話 ラケッティア、宇宙食とおいしい氷。
おれたちが何をしているのかというと、甲板に並んで、欄干から手を出して、軽くお椀みたいにして、下から風を受けていた。
クラスでヘンタイの名をほしいままにした早野の言ったことが正しければ、時速百キロで走る車から手を出して、こんなふうにお椀状にすると、風の抵抗でオッパイを揉んでいるような錯覚が得られるとのことだ。
確かに〈風の星〉から吹く風は強くて、ムラがなく、お椀みたいにした手のなかには常に弾力のある何かをしっかり揉んでいるような気がする。
しかし、このメンツのなかで――おれ、ジャック、ギル・ロー、カルリエド――女のオッパイをしっかり揉んだ経験のあるものがいないので、はたしてこの感触がオッパイと同じものであるかどうかが分からない。
「なあ、イスラント。お前、女のオッパイ揉んだことある? あるんだろ? そんなイケメンなんだから。なあ、この風、オッパイみたいかどうか判定してくれよ」
「お前ら、他にすることはないのか」
「あるに決まってんだろ。これからこの星の帝国軍に喧嘩を売るんだから、やること盛りだくさんだよ。でも、いま、おれたちがやってることはそれより重要なんだよ」
「付き合いきれないな。だいたい、ヨハネ。お前まで何をしている?」
「やってみると分かるが、なかなか興味深い問題だぞ、イース」
「フン。馬鹿馬鹿しい」
シップがあらわれ、おれがちょっと前に頼んだジャックのための簡単なバー・カウンターをつくってみたというので、それを見に行くことにした。
「……」
おれたちが甲板から出て、ひとりイスラントが残った。
おれはドアをほんの少しだけ開けて、様子を見たが、イスラントはきょろきょろまわりを確認してから、お椀状にした手を欄干から伸ばした。
――†――†――†――
〈風の星〉というのは、星というよりは小さな浮遊島の集合体だ。
この星の人間はみな翼を持っていて、翼人と呼ばれている。
樹人はだらけの極みだが、翼人は働き者らしい。
なにせ、のんびり飛んでいたら、変な風にさらわれて、宇宙に放り出されるかもしれないのだ。
この星では魚料理が盛んらしい。
翼人のほとんどが漁業か養殖業を営んでいる。
逆に鶏料理は全く食べられない。共食い的な観点から遠慮があるのだろう。
人間がチンパンジーを食べないみたいな。
さて、この星では平らな土地はみな養魚池になっていて、肝心の翼人は崖に穿った穴に住んでいる。
完全な肉食性で野菜は食べないらしい。
ここにいるあいだは壊血病に気をつけないといかん。やばくなったら、そのへんの葉っぱを食うハメになる。
いや、でも地球が平らなお盆の世界だ。壊血病どころか、ビタミンというものが存在しないかもしれない。
「しかし……」
現在、シップは浮遊島の群れのあいだを飛んでいるが、ほとんどの島の地表部分にアバンギャルドな女神の絵が描かれた青い旗が掲揚されている。
「こんなに占領が進んでいるなんて……予想外でした」
「あれが帝国の旗か。思ったよりも正義の味方っぽい旗だな。おれが元いた世界にはアルバニアって国があるんだが、この国の国旗は真っ赤な旗に黒い鷲の絵が描かれていて、なんか悪の秘密結社風だった。悪の帝国はやっぱり赤と黒で旗をつくらないと、こう、なんというか、士気を高められない。ここにも敵の幹部がいて、青いカッターナイフもどきを後生大事に保管してるんだろう?」
「そうだと思います」
「とりあえずおれたちが帝国に対してできる嫌がらせはやつらのシマに安くて粗悪なヘロインを流すか、カッターナイフを分捕るかだ。クルス・ファミリーはヤクは扱わないから、自然、カッターナイフを奪う方向で調整を進めていかねばならない」
「調整を進めていかねばならない、ねぇ。まるで政治家みたいな言い方だな」
「じゃあ、変更。カッターナイフをかっぱらう。あのね、ギル・ロー。マフィアに対して、お前は政治家みたいだな、って言うのは、お前はウジ虫みたいだなって言ってるのと大差ないの。分かった?」
「どうでもいい。ここの神さまはどんな刻印をくれるのかな?」
――†――†――†――
旗がなくなるまで飛んでいるうちに夜になった。
シップの自動操縦は夜間も有効で、夜目も利く、と言えばいいのか、真っ暗ななかでいきなり島にぶつかって墜落するなんてこともない。
そのあいだ、おれとジャックはバルを開店することにした。
バル、というのはスペインやイタリアにある飲み物と小料理を出す店のことだ。
スロットマシンを置いたり、ロトくじや汽車のチケットを売ったりすることもあるらしいが、ここでは小料理とカクテルを出す。
とまあ、おれとジャックで宇宙規模の戦争に痛めた精神をそっと回復する大人の隠れ家を提供するわけだが、よい子のパンダのみんなは不思議に思うだろう。
食料とリキュールはどうするんだ?、と。
シップには食料庫があり、なんつーか、よく分からんブロックみたいな培養肉みたいなものがある。
それを料理する。たぶん緑色が野菜で、青が魚、黄色は――鶏かな。で、エビはどれだ?
カクテルも同じだ。よく分からん、ひょっとすると非常用の燃料かもしれん液体をシャカシャカやる。
ジャックくらいのバーテンダーになると、いつ冒険バーテンダーさせられるか分からないから、ボストン・シェーカーとバーテンダーの制服――黒のスラックス、カマ―ベスト、シャツの襟はアイロンと水糊でパリッとしていて、それに真鍮の留め金でつけた青いクロスタイ――を持って移動するものだ。
「いや、シェーカーはともかく服は持ち歩かないぞ」
「じゃあ、その服どうしたの?」
シップが宙に姿をあらわし、スキャンした際のデータをもとにボクが亜空間リソースからつくりました、とこたえる。
「亜空間リソース。便利だよなあ。そして、久しぶりにきいた気がする。フレイは元気してるかなあ。――まあ、いますぐどうにかならないものを気にしていても仕方がない。じゃあ、バルを開店すっか」
ひと口大に切った赤いのを油とニンニクらしき風味の調味料をたっぷり入れた小さな鍋で炒めて、――できた。赤いののアヒージョ。食べてみたがぷりぷりしていて、エビっぽい気がする。
それに曲解すればパンと呼べなくもないスポンジ食品を切って、ひと口大に切った青いののカルパッチョを乗せると、青いののピンチョスが出来上がる。
これだって宇宙食だ。
そして、ジャックが製氷装置の使い方を教わり、キンキンになるまでシェイクした宇宙カクテル。
「うまうまなんよ。スリルドキドキはミニマムんだや。でも、うまうまだや」
「そりゃ〈大当たり亭〉と比べれば、っていうか、食事を使ったロシアン・ルーレットを比較対象にしないでよ」
「おれはさっきのをもう一杯ほしいな。刻印がうずくんだよ」
「わかった。それと刻印うんぬんだけど、ここでは言ってもいいけど、よそで言ったらあかんよ。中二病って言われちゃうから」
「なんだ、そのチューニビョーってのは?」
「おれの世界に存在した不治の病だ」
必要なリキュールと氷を入れて、さっそうとシェイクするジャックの姿をシップが熱心に見守っている。
「振ると冷えるんですか?」
「ああ」
そこでシップとジャックは観察対象を傷つけない水準でもって、通路の角へ視線を流した。
デリケートな絶滅危惧種の鳥みたいに観察が難しいイスラントが腕組みをして、壁によりかかっている。
関心ないふりして、ちらっ、ちらっ、としてくる。
おれはタバスコらしき調味料をシャープなシルエットの製氷装置にぶち込んだ。
「ああ、製氷装置が壊れたー。これじゃ、ジャックがシャカシャカできないぞー」
「オーナー、それなら問題ない。フロストゴーレムの破片を持っているから」
おれはジャックの手からゴーレムの破片をもぎ取り、遠くに投げた。
「誰か、氷をつくれる人はいないものかー。ああ、困ったぞー」
ちらっ、とイスラントを見る。
チッ、仕方ないな、と言って、バルにやってくるなり、札幌雪祭りだって賄えるくらいの氷をつくった。
組織内の円滑なコミュニケーションを促進するのも、上に立つものの務めですよ。




