第八話 ラケッティア、場末のバーの夢。
体全体に入っているギル・ローの入れ墨は実は入れ墨風ペインティングだ。
古代文明の暗号を彫ってもらおうとしたのだが、ひと刺し目ですごく痛くてペインティングに切り替えた。
ギル・ローは月に二度、グタルト通りの入れ墨屋に絵を描いてもらいに行っている。
最初は誰にもバレていないと思っていたようだが、実際はやつに最初のアンチョビ用熟成塩を発注したころから、みんな気づいていた。
そんなギル・ローだが、魔導装甲車の運転席に座る前、近くの水瓶から汲んだ水で入れ墨をおれたちが見ている前で全部落としたのだ。それというのも――
「痛くない入れ墨? あるよ」
と、ドリアードが言ったからだ。
「わたしたち守護神の力の召喚方法を術式記号に刻印化したやつがいるのよ。その方法を使えば、わたし、あんたの体、入れ墨だらけにしちゃうわよ」
「そいつはいいや。おれ、体じゅうに本物の入れ墨を入れるの夢だったんだ。それも宇宙の古代文明の知識だなんてな。フストに自慢してやろう。いや、フストはダメだ。あいつはギャンブル以外、まったく興味がないからな。おれの入れ墨が本物かどうか賭けるかもしれない。そして、負ける。やはり、師匠に自慢しよう。そのためにも師匠を助け出さないとな」
「ディアナはどうなんだ?」
「ディアナ? あいつのブラコンはどんどんすごくなっていく。やたらと死んじまった弟の絵を描くんだが、どっちのほうがいいかきいてくるんだな。でも、おれにはどっちも同じに見えるんだよ。でも、そんなふうにこたえたら、頭から肛門まで真っ二つにされちまうだろ? だからさ、頭のなかに常にあいつの弟に関する誉め言葉を三十個くらい飼っとかないといけないんだ」
「フストには自慢しないのか?」
「フストがギャンブル中毒なのは知ってるからな。下手に話しかけて弟を賭けの対象にされたくないんだと。絵が穢れるって。あいつがつくった下絵のエロカードを汚らわしいと表明する貴族夫人会がロンドネだけでも十五支部はあるってのに、あいつ、自分の弟だけは思い出はもちろん、絵だって穢れさせたくないっていうんだ」
この会話のあいだ、イスラントは両手でぎゅっと耳を塞いでいた。多少読唇術の心得もあるのか、目も閉じていた。
絞殺死体や首の骨を折られた死体は大丈夫でも入れ墨については話だけでもダメらしい。たとえ、痛くない入れ墨だとしてもだ。
「刻印だ!」
と、ギル・ローが興奮して言った。ディアナの話がまずまずのところに落ち着き、こっちはリベットだらけの鉄の床に転がって、ふわあとあくびをしたら、急にやつははしゃぎだした。
「もう入れ墨じゃない。歴史、文化、予言、数式……刻印だ!」
刻印、とギル・ローが叫ぶたびにやつの運転する装甲車、すなわちおれたちも乗っていて、おれたちの命を預かっている装甲車が冷や汗もののドリフト走行をしでかす。
ドリフト走行というのは、実際乗ってみて分かったが、ただの横滑りにしか思えない。
これでもゾッとするのに、ホントに横滑りしたら、事故で死ぬ前に心臓止まる。
ギル・ローには運転を教え、手伝うためにシップが飛んでいるが、ギル・ローというのは古代文明とかオーパーツと異常なほど相性がよくて、一をきいてアボガドロ定数を知るってな具合にこの装甲車の運転法を自分のものにしてしまった。
こいつもロン毛のイケメン枠、フレイと出会う前はメシを食うときは〈動力源の組み込み〉、新しいことを知ったら〈データ更新〉、それがフストの悪ふざけの嘘だと分かると〈ライブラリから削除。五秒間、電源を落とすことを禁じる〉、本当に秘密の話をするときは〈上級データへのアクセスを許可〉と言っていたのだ。
だが、そのうち、そういうのはフレイみたいな本物の汎用人型錬成システムが言ってこそ似合うのだと、ちょっと謙虚な気持ちになり、普通に話すようになり、錬金術士らしくくず鉄を金に変えようとしたりしていたので危険枠から外しかけていたが、ここにきて、こいつの危険度が上がった。
しかも、こいつは突然、死の呪文を唱える。
「ジャンプ台発見!」
ジャンプ台というのは、地面にしっかり固定された斜めの板と落下地点に安全確保のためのクッションが敷かれているものを言う。そして、いまギル・ローが見つけたジャンプ台はその要件を満たしていない、ジャンプ台の姿をした死刑台、闇金ウシジマくんでするジャンプ――。
「だめだ、ジャンプするな!」
「もう遅い!」
体が空気のみなしごになったみたいに、ふわっ、と浮いた。
そのうち、雷が巨大な洗濯板の上を転がり落ちるような凄まじい音がして、装甲車に光が差し込んだ。窓のない装甲車に光が差す、ということは装甲板が音を上げて、車体が真っ二つに切り裂かれようとしているということだ。
亀裂はますます大きくなり、ついにとうとう装甲車の後ろ半分をごっそり持っていった瞬間、全てが眩く輝きだした。
――†――†――†――
それはアメリカのどこにでもある場末のバーだ。
アル中の退職警官がジム・ビームのホワイトラベルをあおり、ネズミ色に塗った安普請の壁には六十年代のキャデラックの写真やカントリーの名盤が釘で止めてある。マレットヘアの失業者たちがビリヤード台に集まって、ジーンズのポケットからくしゃくしゃの一ドル札を放り出し、くしゃくしゃのマリファナと換えていた。ギター片手に歌う女のハスキーなガラガラ声。スラヴ系の名字を持つ太ったバーテンがおれを見るなり、ひげに覆われた太い顎で席のひとつを差す。
小さなボックス席にフレイがちょこんと座っていた。
いつものウェットスーツみたいなSFな服で、頭についてるケモ耳にも見えなくないアンテナが元気なく垂れている。伏せ気味の視線の先ではざらついた空気がグラスの氷をなめていた。
「よっ」
「司令……」
「えーと、元気?」
「……もう、戻れないかもしれません」
「そんなに悪いことしたっけ?」
「これからするかしれません」
「いいんじゃね? マフィアなんだし」
「いえ。もっと悪いことです」
「ロシアン・マフィアの真似してガソリン税ごまかすよりも?」
「はい」
グラスのなかで氷がカチャンと音を立てる。
女シンガーソングライターの歌は悲しげで後悔に満ち溢れている。
「いま、どこにいるんだ?」
「……」
「フレイアか」
「司令。わたしを反逆罪で軍法会議にかけ、あなたの指揮系統から外してください。欠席裁判で廃棄処分を決定していただいてかまいません」
「それが心からの望みならそうするけど、一ミクロンでも強制された事情があるなら、おれはフレイアまで迎えに行く」
「……それは、不可能です」
どんどんフレイがしゅんとしていく。
その姿を見ていると、フレイア、という言葉そのものにむかついてくる。
そのとき、カウンターで電話が鳴り、バーテンがおれ宛てだと言ってきた。
「絶対に迎えに行く。約束だ」
フレイをテーブルに残し、受話器を取り、きいた。
「もしもし、あんた、だれ?」
――†――†――†――
目を覚ます。
要塞のなか。
サイレン。
樹人たちが何かの巨大な装置から慌てて逃げだしている。よっぽどすげえことがあったんだろうと思ったら、ドリアードがもたもたする樹人を蹴り飛ばし、襟をつかんで立たせてしゃんとさせる。
うん、こりゃすげえことだ。




