第十九話 アサシン、教会の決闘。
聖ボニファティウス教会はカンパリノ一裕福な教会だった。
天昇記の第三十二章第九十八節の場面を描いたステンドグラス。カンパリノ市庁舎の二倍以上の広さがある信者席。聖人が刻まれた柱廊。
そして、その財産に目をつけられ、王国政府から異端崇拝の疑いをかけられ、司祭たちは火あぶり、信徒たちも流刑となり、祀るものはおろか掃除をするものもいなくなった。
亡霊たちが住む教会と呼ばれ、人が近寄らなくなったのをいいことにカンパリノで何らかの違法性のある取引をする舞台に用いられるようになったのだが、取引に使った売人や買収屋は誰もいないはずの祭壇で亡霊司祭が聖杯を掲げているのを見たとか、聖歌隊の唄がきこえたとか、まことしやかな幽霊目撃談を残しており、最近では犯罪者たちでもあまり近寄りたいとは思わなくなっていた。
ジャンケンで決勝戦、パーでヴォンモのグーを制したクレオがひとり、教会の扉を押し開け入っていくと、早速幽霊司祭が彼を出迎えた。
司祭は何か言おうとしていたが、生前、処刑される前に舌を切り落とされたため、その血まみれの口を動かして脅かすようなことをしてみたが、クレオに無視されて、消えていった。
クレオを派遣する前に来栖ミツルが調べたのだが、聖ボニファティウス教会の粛清に関与した国王、貴族、役人、聖職者のうち、呪い殺されたり、身内に不幸が起こったものは皆無だった。
つまり、その程度の亡霊なのだ。
だが、クレオにはその亡霊たちが大切なのだ。
教会に隣接する司祭館では夜な夜な亡霊司祭たちが集まって、宴をするという。
幽霊が宴で食べる料理。
これはグルメハンターとしては見逃せない。
「ひとりで来るとはいい度胸だ」
教会の信徒席を半分まで歩いたところで下品な声が響いた。
その途端、回廊からクロスボウを持った男が四人、あらわれ、自身も剣士をふたり、左右に配置した状態でボー・クラースがあらわれた。
「来栖ミツルはどうした? 来る約束だっただろうが」
「僕が代理だよ。ククク。それより、そっちもひとりで来るはずだったよね?」
「そんなもん信じてんのかよ、バーカ。まあ、いい。お前を血祭りに上げて、おれから来栖ミツルへのメッセージにしてやる。ヤクは持ってきたんだろうな? ヤクを渡せば、おれも鬼じゃない。ひと思いに殺してやる」
クレオは手に持った鞄を置き、錠を解こうとした。
「待て。お前が開けるな」
「どうして? 別に僕が開けてもいいじゃないか?」
「ダメだ。おい、フランツ。お前が開けてこい」
クレオは渋る素振りを見せたが、結局、肩を落としてため息をし、やってきた大柄な剣士に鞄を渡した。
フランツの手が錠に触れたとき、
「ボウッ!」
と、クレオが声を上げた。
びくりと震える肩を見て、笑いながら、やっぱり僕が開けようか?とたずねるが、回廊の連射式クロスボウの装填音が立て続けにきこえたのだ、肩をすくめて、引き下がることにした。
ボー・クラースは鞄のなかに武器が入っていて、それをクレオが取り出して使ってくると思ったのだろう。
だが、鞄のなかにはもっといいものが入っていた。
ヴォンモが闇魔法で作り上げた小さな悪鬼だ。
夜の闇よりも濃い肌に赤い目、牙、爪、飢餓のように異様に脹らんだ腹とへこんだ胸の持ち主で、それが狭いところに閉じ込められて、相当カリカリ来ている。
クレオが予想した通り、鞄の蓋が開くや否や、悪鬼は飛び出して、フランツの腹に爪と牙で革の防具ごと切り裂いた。
そのまま悪鬼はフランツを食い破って背中から飛び出そうとしたが、すぐ十本二十本の矢に体じゅうを射抜かれてどろりと溶け、もとの闇の波動へと戻っていった。
そのあいだ、クレオは短剣を抜きながら、右手の柱廊に走り込んでいた。
そこから顔を出したクロスボウの男がギャッ!と叫んで、武器を取り落とし、顔を押さえながら倒れた。
教会のなかを吹き荒れる豆スープよりも濃い矢の嵐がかろうじて形を残していた聖人像から鼻をもぎ取り、礼拝者が幾度も膝を屈した石の床にL字状の裂け目を残し、亡霊たちはパニックを起こして逃げ惑った。
使われた矢じりを集めて、鉄クズ屋に売れば、ひと財産になるくらいの連射があったにもかかわらず、ボー・クラースの手下たちはクレオにかすり傷ひとつどころか、タイツに伝線させることすらできなかった。
側廊の柱から二階へ続く階段室へ飛び込んだとき、警吏のような恰好の殺し屋に出くわした。
使い込んだバフコートに灰色のフェルト帽、それに背丈と同じくらいの短い槍を持っていたので、クルス・ファミリーの警吏殺しに関する複雑怪奇な掟を思い出そうとして、相手に槍の一突きをする時間が与えられた。
幸い、槍の穂先が胸を貫く前に相手のブーツが一介の警吏がはくには高級すぎることに気づき、短剣でスパッと相手の喉を一撃で切り裂いた。
このとき使ったのはグラン・バザールの武器屋で見つけたバルブーフ風の短剣だった。
彼の母親がフラマー村で摘んでいるベリーのように青みがかったその刀身の切れ味は凄まじく、いまだって人間の喉を気管ごとバターのように易々と切り裂いた。
そのくせ羽根のように軽く、初心者でも扱えそうだ。
買ってすぐ、間違いなく名のある刀工のものに違いないと思っていい買い物をしたとうっとり見惚れて、頸動脈百本斬れるかなと楽しみにしていたが、ディアナはむしろその短剣は飾りもの向きだと失敬なことを言ってきたので、クレオは自身の誇りをかけて、バルブーフ風の短剣がいかに素晴らしいかを説くことにした。
落ちていく一枚の羽根をさらさらと切り裂く様や、トマトを切ってピタリと合わさって元に戻して切れ味の素晴らしさを説いた。我ながらオーソドックスだと思ったが、実際問題、この短剣は軽く、切れ味が癖になりそうなくらい良いのだから、船に積んでいる大砲を除けば、世界で最も強力で素晴らしい剣だと言っても過言ではない。
「切れ味がよすぎるゆえに実戦に向かないのだ」
ディアナは気の進まない口調でクレオに、一番実戦向きな剣は刃の中頃から鍔のあたりまで刃をそぎ落としたロングソードなのだと説明した。
相手が鉄製の鎧などの重装備でかかってきた場合、斬るのはあきらめて、鎧の継ぎ目目がけて刺すことにしなければいけないが、両手で柄を握っている状態で突くと思い通りの場所に刺さらないものなのだ。だが、刃の下半分を削り落として切れ味を殺した剣であれば、その切れない半ばを握って、相手の弱点にしっかり刺すことができる。
そもそも相手が鎧を着ているからこそ、戦争は剣ではなく、槍で、そして魔法を使うことになるから、剣など意味を持たない。
戦乱が巻き起こるたび、戦を知らぬ若き騎士たちが切れ味自慢の剣を携えていくが、半年もしないうちに剣は槌に変わる。
鉄の棒に鉄の塊をくっつけたこの不細工で若き騎士に似つかわしくない武器なら、鎧の隙間を狙うなどという小細工をせずとも相手を鎧ごと、ぺちゃんこにできる。
技が力に負けた瞬間である。
「それでも僕は、使う刃物の切れ味を重視していきたいんだけど、きみはどう思うかな?」
殺し屋の死体がごろごろ転がり、最後のひとりとなったボー・クラースはステンドグラスをぶち破って、それでも落ちまいと窓枠にしがみついている。
「た、たたた、助けてくれ!」
「切れ味と重量、どっちが重要だと思う?」
「ど、どっちでもいい、そんなもの! 助けてくれたら、金貨一万枚やる!」
クレオは窓枠に短剣をつけると、必死にしがみついているボー・クラースの手の上へ刃を滑らせた。
指がポロポロ離れて、叫び声を上げながら、ボー・クラースは落ちていった。
背中から地面に打ちつけられたが、それでもまだ生きていた。
「くそったれ。みな殺しにしてやる」
指を失っても命があれば希望は捨てないというのは素晴らしいことだが、ステンドグラスがピキピキと音を立てて、亀裂を走らせ、やがてガラス同士をつないでいる鉛が白旗を上げると、天昇記の第三十二章第九十八節がガラスの刃の雨となり、悲鳴を上げるボー・クラースの上に降り注いだ。




