第十六話 ラケッティア、義挙。
こういうとき野球のバットがあればいいのだが、残念ながらこの世界には野球がない。
お前が伝えればいいだろうが、異世界人に何てすごいスポーツなんだとチヤホヤしてもらえよ、というご意見もあるだろうが、野球って何人でやるんだっけ? ホームランは十点でいいんだよね?
別に野球のルール知らなくたって、生きていけるし。マフィアのボスできるし。
実際、アメリカの違法賭け屋の大物たちでは本当に野球のルールを知らないものがいた。
それでよかったのだ。
彼らは野球のルールは知らないが、四番打者の愛人が妊娠して野球どころではないとか、わざと負ける方法を秘密で鍛えている選手とかを知っている。
それさえ分かっていれば、オッズの調整ができるのだ。
野球のバットがないとなると、ツーバイフォーの角材が欲しいが、ここにはハンズみたいな便利な角材売買の店がない。
この世界の住人は自分の家を建て増しするとき、材料費をケチって、川から流木を引っぱってくるのだ。あんなきれいな角材は貴族とかの家のためにあるのだ。
角材もない、バットもない。
これでどうやって出入りをするのか。
いや、普通にみんな武器持ってるだろと思うけど、洗練され過ぎてる。
やっぱ出入りは下品な鈍器でやりたい……。
――†――†――†――
四方を建物の壁に囲まれた小さな広場でおれは近くの大きな樽の上に立ち上がり、ファミリーに演説した。
「いいか。これから我々が襲撃するのは決してクルス反物商店の仇を討つなどという私的な怨嗟の挙にあらず。現実から逃げるヤク中どもを現実に引き戻し、真っ当な道を歩ませんとする義の拳なり。諸君、ビールジョッキは持ったか?」
おーっ! と銘々が一個銀貨四枚で売っていた蓋つきの錫製ジョッキを振り上げた。
「これより諸君はヤク中を攻撃する。ヤク中はちょっとやそっとのことでは倒れないし、諸君に卑猥な言葉を浴びせたり、あるいは卑猥なものそのものを見せたりするだろうが、決して殺してはいけない。これは出入りである。我々の崇高な目的はこの近辺の不動産価値を貶めんとするタコナスたちの目を覚まさせ、社会復帰を促すことにある。社会復帰である」
おーっ! とジョッキが突きあげられる。
「よって、彼らの命は攻撃目標から外す。それがヤクのドツボにはまった彼らを救う最も確かな手段だとしてもだ。まあ、つまりはヤッパなしチャカなし、ただひたすらにビールジョッキで敵を倒すのだ」
そのヤク中のたまり場は外から見ると普通の中流階級の家に見えた。
きちんと面倒を見られた花壇があり、玄関のドアにはガラスがはまっている。
だが、今ごろ、おれからもらったカネと一緒に国境行きの馬車に乗って逃げているボン・クラの手下によれば、ここは数あるボン・クラの資金源となっているらしい。
「よっしゃ。前進」
きれいな中産階級風のドアへと進むと、ちょうどガラスのパイプでイドを吸っている痩せた男があらわれた。火口のイドを燃やすことに気を取られて、おれたちにまったく気づいていない。
ジルヴァがそのヤク中の脳天にジョッキを叩きつけ、バックハンドで真横へ殴り倒した。
口からパイプが吹き飛び、焦げたイドのいやなにおいが漂う。
ドアを開けて、なかに入ると、あちこちに置かれた長椅子でパイプから〈石鹸〉を吸っているヤク中どもがへらへらしていた。
床には食べかけのフライが転がっていて、明らかにワイン以外のものが混じっているヤバいワインをぐびぐび回し飲みしている一団がいた。
そのうち、ひとりが立ち上がると、よろよろディアナの前に歩いてきて――、
「げっぷ!」
ディアナは男の顔面にジョッキを叩きつけ、殴り倒すと、思いきり尻を蹴飛ばした。
それを合図に他の面々もジョッキでヤク中たちに襲いかかる。
陶器の割れる音、木材が裂ける音、ふぎゃあというヤク中たちの悲鳴。
どれも人間を更正させるための音だ。
たまにはあからさまな偽善に浸るのも体によい。
ジルヴァがジョッキを水甕に突っ込むと、その水を大の字に倒れているヤク中の顔にかけた。
たぶん鼻にもろに入ったのだろう。
ヤク中は空気をもとめてあえいだが、ジルヴァが脇腹を蹴飛ばした。
「ハロー、サンシャイン。ここのヤクは誰が卸してる?」
「モンケ……モンケだよ、くそったれ」
ジルヴァがまた脇腹に蹴りを入れる。
「モンケです。神さま」
「そいつはどこに?」
ヤク中が指差した先には開きっぱなしのドアがある。
そして、そこから銃声がきこえた。
「こらっ! チャカはなしって言っただろ!」
見れば、クレオが肘のショットガンに弾を込めている。
「そうしたいのは山々だけど、銃を抜こうとしてね。ククク」
モンケ、と思われる顔の吹っ飛んだ死体が懐に手を突っ込んだまま倒れている。
その手を引っぱり出すと、出てきたのは銃ではなく、一枚の、国内旅行向けの旅券らしきものが出てきた。
「お前、銃じゃないって分かってて撃っただろ?」
「さあ、どうだろうねえ。クックック」
紙を広げてみると、なるほどセヴェリノの旅券らしい体裁が整った文章が目に飛び込んだ。
ただし、旅行先が宇宙になっている。
宇宙への旅券?
ヤクで飛ぶだけでは足りず、お空も飛びたいってか?
「しかし、宇宙へのパスポート、ねえ」
ボン・クラってのはホントにボン・クラなのか?
こんなもん本気で信じてるなんて。
いや、でも、そもそもおれがこの世界にかっ飛ばされてきたことに比べれば、宇宙旅行なんてどうってことはないか。
と、肩をつつかれる。クレオが義手でメキメキバリバリねじり開けた壁はめ込み型金庫の中身をおれに見せた。
擦りガラスの栓で蓋をする大瓶に青い〈蜜〉がたんまり。それに〈石鹸〉の大きな包みが三つ。
「おやおや。クレオくん。見たまえ。これはこの近辺の売人に卸す予定のヤクじゃないかな?」
「そうだね」
「こいつをおれがぜーんぶ持って帰ったら、ボン・クラは怒るだろうなあ」
「それはすごく怒るだろうねえ。ククク」
「でも、これを持ち帰らないと新たなヤクの被害者が出てしまう。持ち帰りたくないが義のためだ。仕方がない。これ、全部パクって帰ろう。いや、まだ似たようなヤク中ハウスがあるはずだ。全部まわって、ヤクを回収してやろう。人のためになるってのは気持ちがいいなあ。ああ、気持ちいい」




