第九話 アサシン、賞金首の矜持。
自警団長が紹介した宿屋は彼の従兄弟がやっている宿屋だった。
自警団本部よりもずっと立派な建物で床は板を敷き、窓のそばに花を飾り、食堂の端には調理用のテーブルがあり、パンもチーズもプディングもそこで切られて、ブリキの皿の上に載せられた。
煉瓦でつくった平らな炉台では胡桃の薪が燃えていて、丸々とした脚付き鍋のなかでカモと香辛料のスープが煮えている。
自警団長はチビだったが、この従兄弟はかなりの長身だった。
「もしかして異端審問所に捕まったことあります?」
「ああ。引き延ばしの刑を食らった」
「あう。親戚に古代遺跡を研究していて、こんなかわいい美少女が空手チョップされるのを許可した非情な人がいないのですか?」
「なんだい、そりゃあ?」
「そういう人がいたのです」
「変な親戚はアルフレドだけで十分だ。二か月に一回、あいつの頭のなかに牢屋をいっぱいにしろという神の声がきこえるんだ。そうなったら、もう外には出られない。見つかったら最後、あの狭い牢屋にぶち込まれる。女子どもも容赦しない。にもかかわらず、あいつが自警団長に選ばれてるのは結局のところ自警団長なんてのは頭のおかしいやつにしか勤まらないからだ」
「どうして引き延ばしの刑を?」
長身の従兄弟はスープ鉢をテーブルに置きながら言った。
「昔、傭兵だったんだよ。雇い主が司教でな。神の軍隊ってわけさ。カネを約束の半分しか払わないと言ったから、こっちも異端者を半分だけ捕まえておいて、後は放した。司教は怒り狂って、カネを払わないというから、残り半分も放した。そうしたら、背丈が倍になった」
「それは災難。林檎酒もらえるかな?」
「わたしも」
「アレンカもなのです」
「アレンカはりんごジュースにしておきなよ」
「アレンカも林檎酒なのです」
「どうせりんごジュースにしておけばよかったって思うのがオチよ」
「そんなことないのです。アレンカはいつも〈モビィ・ディック〉で飲んでいるのです。おじさん、アレンカに林檎酒ダブルなのです。アレンカは大人の女の人なのです」
地元で仕込んだ林檎酒がグラスでやってくる。
カンテラの光のなかではまるで朝日のように輝くそのお酒をちびちび口にして、マリスとツィーヌは気持ちがゆっくり――致命的な油断を招かない速度でほぐれていくのを感じた。よいアサシンは休むときに休み、殺すときに殺すのだ、気持ちの切り替えが大事なのだと悦に入る。
アレンカはというと、林檎酒を口にし、微妙な顔をした。
甘味のなかの渋味に戸惑っている。
アレンカの予想していた味は来栖ミツルがつくる揚げ林檎をお酒にしたようなものだと思っていた。
「そんなに甘いわけないだろう? ボクが残り飲んでおくから、素直にりんごジュース頼みなよ」
アレンカはふるふると首をふった。
「そんな無理しても、ちょっと苦いんでしょ?」
「そんなことはないのです。この苦味がたまらないのです……あう」
アレンカはなぜここの林檎酒はこんなに苦いのだろうと内心不思議に思っている。
〈モビィ・ディック〉で飲んだ林檎酒は確かに甘かったのだ。
それもそのはずでジャックはアレンカ用に林檎酒の壜にりんごジュースを入れていた。
ジャックの気遣いは他にもいろいろなところに、彼女たちの知らないあいだに施されているのだ。
林檎酒は壜を湿った砂を詰めた樽のなかに入れてあるので、とても冷たい。
夏の夜に楽しむにはいいお酒だ。
自分たちが国際的大企業の最高幹部を殺し、その暗殺組織に付け狙われていることなど忘れてしまいそうだった。
しばらくすると、これまた引き延ばしの刑を食らったみたいに背が高い男がふたりやってきた。
ひとりはトウモロコシの髭みたいな色の髪とひげを伸ばしていて、古代の戦士みたいに分厚い胸板をしていた。もうひとりは町の書記でもともと瘦せ型なせいか、体が糸みたいに細い。
ふたりは調理テーブルのそばで店主からパンとスープ、それにビールをもらうと、その日にあった馬鹿げた出来事を馬鹿げた語り口調で面白おかしく話し始めた。
そういえば――と、トウモロコシ男。
「なんだか物騒なやつらがこのへんをうろついてるぞ」
「こんなド田舎に?」
「賞金稼ぎだよ。デカい賞金首がいま国のなかを逃げ回ってるそうだ」
「賞金稼ぎねえ……盗賊や盗人のなかには紳士みたいなやつがときどきいるが、賞金稼ぎのなかにはそんなやつがいた試しがない」
「ドロテーオ・サトラマンザは紳士だったろ?」
「ただの女たらしだよ」
「あいつはいまどこにいるんだ?」
「死んだよ。知らんのか?」
「マジかよ」
「で、賞金稼ぎどもだが、どこにいるんだ?」
「ピルレ街道沿いの〈地図屋〉の酒場に集まってる」
「で、賞金首はいくらなんだ?」
「ひとり金貨千枚だとよ」
「ひとり? 全部で何人なんだ?」
「知らないが十人いたら一万枚だ」
「生きていられたらの話だがな」
「やけに否定的じゃないか。とっ捕まえても、とりっぱぐれることはないんだぜ。賞金の出元は国や教会じゃなくて、カンパニーだ」
店主が、フン、と鼻を鳴らした。
「人間の首は九柱戯のボールほどの価値もない。そんなものに金貨千枚もかけるのは、そいつらが地獄の番犬並みに厄介なやつらだってことだ。そんな相手にするような物騒な生き方したかったら、傭兵をやめてなかったさ」
その地獄の番犬はすぐそこにいる三人で、三という数字と地獄の番犬というのはケルベロスを想起させる。
だが、ケルベロスというのは大した魔物ではなく、カルリエドの石切り場で竪穴の底から石を引っぱり上げる動力源としてメスのケルベロスのにおいがついた毛皮を追いかけて、車のなかをえんえんと走り続けている。
「あう。アレンカは金貨一千枚しか価値がないのです。アレンカは落ちこぼれなのです」
「もうちょっと高くてもいいと思うんだけど」
「ふむ。まあ、待ってくれ。ボクにいいアイディアがある」
――†――†――†――
次の日、三人はやっと解放された船頭の渡し舟に乗るかわりに西へと戻った。
それから三日間、西セヴェリノの各都市にあるカンパニー系の銀行や小型金庫をのせた馬車が次々と襲われた。
被害総額は金貨五万枚で、マリス、アレンカ、ツィーヌは新しい大型の箱馬車に金貨を積めるだけ積んで六頭の馬に曳かせた。
それだけのカネをどう使うか計画はまったく立てていなかったが、一枚の金貨を指ではじくようにして弾丸みたいに飛ばす技を編み出すと、その威力と連射性能を向上させることに金貨が費やされた。
それは金銭に対して淡白であることの見本のようで、彼女たちは走る馬車から梢の先や畑の案山子目がけて惜しげもなく金貨を放ち、命中させた。
そんなふざけた無駄使いをしていたのに、サグリーヘンからヴェンヴェットの渡し場に戻ったときには馬車のなかの金貨は八万枚に増えていた。
賞金もひとり金貨一万枚に上がったところで、ついにとうとう賞金稼ぎたちがやってきた。




