第二十二話 ラケッティア、ソロッツォとマクラスキー警部が殺られた手。
時計の鳩が壊れていたので、ヴォンモが代わりにポッポーと午後七時を教えてくれた。
ミミちゃんは無事死亡。
バカふたりの乗った馬車が〈ちびのニコラス〉の前に止まったのもそのときだ。
「じゃあ、行きますか」
おれはというと、お気に入りの帽子にクラヴァット、夏用の軽い外套。
手筈はもう尽くしたので後は会うだけだ。
四人乗り二頭立ての箱馬車が止まっていて、お仕着せの馭者が扉を開ける。
なかにいたのはデカい図体のふたり、レンディックとダウンだ。
レンディックは大きなシルクハットみたいなものをかぶっていて、ダウンは縁なしのフェルト帽。どちらも帽子を基準にそれなりにめかし込んでいるが、オーガみたいな悪党面のせいでそれが滑稽に見える。どちらもふくれた顔に白い無精ひげが散っている。
コトレットはそれなりのレストランだが、こいつらはヒゲをきちんと剃ろうという気も起きなかったらしい。
「フランソワ・ダウンだ。あんたの叔父からきいてるか?」
「ああ」
「悪いがちょっと調べさせてもらうぞ」
おれが軽く両腕を上げると、ダウンが触り出した。
脇腹、腰、腕。伊達に触ってるわけではなく、かなり用心深く武器の類がないかを調べていた。
「丸腰だ」
レンディックが馭者台と仕切る板を叩き、馬車が動き出した。
「お互いちょっとした誤解があった。あんたの叔父を逮捕しろって命令は出したが、おれは嫌々だったんだよ」
おれは軽くうなずいた。
レンディックの声は低くてガラガラしていて、たとえ神に選ばれてこの世の真理を全て見せられてから人間界に帰されても誰ひとり、こいつの語る真理を信じたりしないだろう。
不幸にもそういう声の持ち主なのだ。
ついでにこいつは治安裁判所の長官で、カンパニーにケツを持ってもらってるわけだから、たとえ世界一の美声と演説の才能を持っていたとしても、やっぱり信じてもらえないだろう。少なくともこのカラヴァルヴァでは。
馬車は雨が止んだ街をガタガタと走っている。
カラヴァルヴァの道路事情は悪くなる一方だ。
普通、石を敷いた道というのは人が歩き風雨にさらされるうちにだんたんすり減って、滑らかになっていくのに、カラヴァルヴァの道は舗道の石まで根性曲がってて、時間が経てば経つほどガタガタになる。
「メツガーのことは残念でしたね」
おれは死ぬほど殺したがっていたが最後はダウンの盟友になった男の死を悼んだ。メツガーは人間ボーリングの犠牲となったのだ。
「やつのことはどうでもいい」
ダウンが言った。メツガーは結局、地面に深く刺さったボウリングのピン以上の存在にはなれないらしい。
「おれが大切にしたいのはクルス・ファミリーとの縁だ」
ふざけんな、このヤロー。
ムショで散々脅しかけてきたくせに。
どの面下げて、んなこと抜かす、って、ああ、この面か。
治安裁判所長官と凶悪なプリズン・ギャングが双子みたいにそっくりな顔をしているというのは、もはやお笑いでしかない。
おれは今夜、このふたりを撃ち殺すのだと思っても、何の感慨も湧かない。
こいつらにだって家族はいるだろうとか、生まれたときは無垢な赤ちゃんだったのだとか、そういうことを考えても、全く心に響かない。
マイケルはソロッツォとマクラスキー警部を撃ち殺す直前、目が泳ぎまくっていたが、果たしておれの目は泳ぐだろうか。
気になるのはそこだな。
馬車はロデリク・デ・レオン街を北に走り続けている。
「市街に出るのか?」
おれがたずねると、レンディックは、
「かもな」
とだけこたえた。
そして、街道をだいぶ北に走ってから、馭者は急にUターンをした。
なかのおれたちが全員左側へと寄せられるほどの方向転換だ。
これで尾行をまいたつもりらしい。
ここまではシチュエーション通りだ。
馬車は散々寄り道して、サン・イグレシア大通りに入り、戦車競技場のほうへと走り、レストラン〈コトレット〉の前で止まった。
馭者が開ける前にレンディックが扉を開き、馬車を降りる。
そのとき、競技場の門が開いて、巨鳥に曳かれた美々しい競技用戦車が何十台とあらわれて、サン・イグレシア大通りに蹴爪と車輪の音を響かせた。
もうじき大きなレースがあるのだ。
コトレットはテーブル席が八つ、そのどれもきちんと白い蝋引きのクロスを敷いた店だ。
客は四人いた。壁際の席にいる上品な老夫婦。
それに若い紳士がひとり。
給仕はひとりで店の風格を重んじてパリッとしたシャツとベスト姿だ。
出口からも裏口からも離れた、ちょうど店の真ん中の席にすでに食器が用意され、おれたちが座ると、〈予約席〉と打たれた真鍮の札が取り除かれ、給仕がワインを持ってきた。
ポン!とコルクが抜ける音が店内に響き、三つのグラスが赤ワインで満たされる。
それをレンディックがおれとダウンに取り分けると、ダウンがナプキンを襟に突っ込みながらたずねた。
「ここのオススメはなんだ?」
「子牛のカツレツだ。うまいぞ」
「前菜とかはどうでもいいから、カツレツを先に出してくれ。こっちはムショから出たばかりで腹が減ってるんだ」
よく叩いて柔らかくした極上のカツレツが出ると、ダウンは黙々とカツレツを切り、口に運んだ。
「今日がお互いにとって、いい日になればと思う」
レンディックが言った。
「というと?」
「おれたちの同盟が持つ可能性についてだ」
「あんたは叔父を逮捕した」
「さっきも言ったが、おれは強制されたんだ」
「カンパニーに?」
「そうだ、カンパニーにだ。あんたの叔父が仕組んだ大暴落でおれはカンパニーの信任を失った。だが、どうということはない。今度のことで分かったのは、カンパニーの力をもってしてもクルス・ファミリーを止めることはできないということだ。おれはあんたの叔父を、ドン・ヴィンチェンゾを尊敬してるんだよ」
「それは買いかぶり過ぎだよ。ムショにぶち込まれてから、叔父は大人しくしてたし」
「連中が暴れることはある程度予測できたが、あんたの叔父は他の商会を統制下においた」
「統制なんかしてない。ただ、中立者の同盟をつくっただけだ」
「それが手腕というものだ。そして、刑務所の実権を外から握った。たったふたつの菓子だけで」
「ベラスケスは? 監獄の長官はあいつだ」
「あんな黒んぼのことは忘れろ。早晩、もとの奴隷身分に戻される」
「それはあんたも同じことでは?」
「そうだな。だが、おれはまだ治安裁判所の長官だ。この街の司法を握っている。カンパニーがおれを解任する前におれと手を組めば、クルス・ファミリーは、このダウンとふたりでカラヴァルヴァを牛耳られる」
「他の商会は? 連中も相当の縄張りを持っている」
「やつらはまたぶち込む。あんたは大株主だ。やつらを死ぬまでノヴァ・オルディアーレスに閉じ込めることも可能だ」
「長年、いい関係を結んだ商会との同盟を捨てて、あんたと組めと?」
「それが間違いない、唯一の方法だ」
「どうだろう。まず、こっちとしては叔父さんの身柄を保証してほしい。また、ムショにぶち込まれるのはごめんだし」
「それこそ買いかぶりだ。おれはもうカンパニーから見放されてる。こっちが保証を欲しいくらいだ」
おれはちょっと黙った。
こいつら、本当にこんな条件をおれが呑むと思ってるんだろうか?
ドン・ヴィンチェンゾ釈放おめでとうプレゼントのなかにはレンディックに寝返った判事や警吏からのプレゼントもたくさんあった。プレゼントの数だけ、こいつは見限られている。
「――ちょっと、失礼。トイレに行ってくる」
立ち上がるとき、レンディックの片目のまぶたがひくっと動いた。
で、おれが通りかかると、手で止めて、おれの股と太腿の内側をまた念入りに調べた。
「そいつは丸腰だよ」
ダウンが言った。
「すぐ戻ってこい」
おれはトイレのある裏口に歩いていった。
足はしっかりしている。
心臓もバクバク言っていない。
これまでふたり、自分で殺したことがあるが、どちらも相当、こっちの命がやばい状況だった。
いまは――どうなんだろう。
まあ、こいつらがおれと本気で手を組むつもりはないことだけは確かだ。
あんな条件、おれが呑むとは本気で思ってないだろう。
やっぱりあいつらはおれの生首にパセリを詰め込んで銀の皿にのせて、カンパニーに差し出す気だ。
トイレは裏庭にある。
雨でぐちゃぐちゃになった土を踏まないで済むよう、板が置いてあり、その先に小さなトイレ小屋がある。
〈ちびのニコラス〉ではおれはわがままを言ってカネに糸目をつけず、地下水脈を無理やり魔法の力で捻じ曲げてつくった水洗トイレを採用しているが、ほとんどのトイレはここのと同じ。庭の小屋。丸い穴のあいだ木の板があって、そこにズボン下げて座って、クソをする。これがファンタジー異世界のごく普通のトイレだ。スタンダードなのだ。
さて、ケツ拭く紙だが、クソをする板のすぐ横に箱が打ちつけてあって、そこに入っている。
そして、替えの紙が上の棚にある。
クソ板の穴に足を踏み込まないよう注意して立ち上がり、棚の奥へ手を伸ばす。
すぐに固いものにぶつかった。
固いがなめらかでひんやりしている。
引っ張り出すと銃身短めのパーカッション式リヴォルヴァーがおれの手に握られていた。
それをズボンのベルトに差し、上着をかけるときれいに隠れた。
その後、井戸の水で念入りに手を洗い、支柱の釘で打ってあった金属片を覗き込み、髪を両手で軽く撫でつけた。
戻ると、レンディックとダウンがこっちを肩越しに振り向いた。
銃を持っていると、このふたりの背中がとても小さく見える。
おれが座ると、レンディックが話を再開した。ダウンは相変わらずカツレツを食っている。
レンディックの言っていることはほとんど耳に入らなかった。
しきりに保証と保護の話をしていたが、それが何の意味があるのかさっぱり分からなかった。
そして、レンディックの言葉が意味のないことを言えば言うほど、腰に差した銃がどんどん重くなっていった。
このまま横にぶっ倒れて、地面にめり込んでしまうのではないかというくらい重い。
レンディックの言葉の上に外の騒音がかぶさった。
巨鳥の爪が石をひっかく音。車輪の転がる音。
まるで耳のそばで鳴っているようだ。
おれは立ち上がり、撃鉄を上げながら銃を抜いた。
レンディックの、髪が後退した灰色の額に一発ぶち込む。頭の後ろから脳漿をスプレーみたいにぶちまけながら、ガクッとのけぞった。
ダウンはカツレツの刺さったフォークを手にしたまま、ポカンとしていた。
まるで自分は関係ないと思っているみたいに。
撃鉄を上げて、撃つ。
弾はダウンの喉をぶち抜いた。
まるで肉が詰まったみたいに嗚咽を漏らし、襟に指を突っ込もうとしているのが、まるで弾の入った穴からカツレツを取り出そうとしているみたいに見える。
二発目は額にぶち込んだ。弾は貫通して、後ろの壁の漆喰を削る。
吹っ飛んだ残り少ない脳みそがダウンに生前の行動を継続するように命ずる。
額のど真ん中から血をだらだら流しながら、この男は口を開けてカツレツを噛んでいた。
だが、それも長く続かず、テーブルに突っ伏した。
大きな音が鳴ってテーブルが倒れ、ダウンの死体の上にカツレツとワイン、そして蝋引きのクロスが重なるように落ちる。
給仕は手にサラダを持ったまま硬直していた。
老夫婦も体が止まっていたが、ハッとするとおれから目をそらし、夫婦ともども店の奥へと逃げていく。
そして、若い紳士は信じられないといった顔だ。
おれはこいつがやつらの仲間だと思っていたが、実際どうなんだろうな。
とにかく、おれは馬鹿ふたり片づけると、銃をその場に捨てて、入り口へ歩く。帽子掛けからお気に入りの帽子を取り上げながら。
店の外に出ると、ジャックが手綱を握り、ジルヴァとロムノスが乗っていた馬車が待っていたので、それに乗り込み、馬車は店を離れた。




