第二十一話 ラケッティア、久々のシャバ。
ふう、久々のシャバの空気はまずいぜ。
なにせ地べたには油でものを炒めたり、窓からおまるの中身をぶちまけたり、獣脂を燃やしたりと嫌なにおいのもとがたくさんある。
それに比べると、ノヴァ・オルディアーレスは高い空の上にあって、空気はうまかった。
「大丈夫だった? 変なことされてない?」
「ヨシュアとリサークはもう一生閉じ込めておくのです」
「まあ、そうしたいのはやまやまだけど、それはフェアじゃないから、後でちゃんと釈放させるよ」
「……マスター……そういうとこ、好き」
「ああ、無口無表情冷酷系美少女暗殺者の口からきく好きは体にいい。明日を生きる活力になる」
ジルヴァが、しゅん、とした。
「大丈夫だよ、冷酷って言っても、ジルヴァの心はポカポカあったかいことはちゃんと知ってるから。さあ、美少女たちよ。思う存分、おれに向かって好きとか超好きとか言っていいんだよ」
「調子乗り過ぎ」
「すいません」
そのとき、ぐわああ、と間延びした断末魔がきこえてきた。
トキマルの部屋からだ。
このニンジャ・マンはぷりぷりしながら一階に降りてくる。
「頭領! おれの部屋、物置に使うなって――え? なにこれ?」
「ヴィンチェンゾ・クルス釈放おめでとうの贈り物だよ」
そう、いま〈ちびのニコラス〉は街じゅうの人間から送られたプレゼントでいっぱいである。一階のラウンジと〈モビィ・ディック〉だけでは収まりきらなかったので、各人の部屋まで小包や宝箱の類がぶち込んである。
これだけあれば羽柴秀吉の水攻めを食らっても三年は籠城できるでござる。
冶金ギルドの幹部、医学校の教頭、他の商会から、〈ラ・シウダデーリャ〉の店子たちやナンバーズの集金人まで、いろんな人たちがプレゼントをくれる。
おどろくべきことにイヴェスを除く治安判事たちからもプレゼントが届いている。
カンパニーが送ったレンディックに尻尾を振ったド腐れ判事どもはおれがシャバに出ると、こっちに尻尾を振ってきた。
たぶん、レンディックの立場は株の暴落で難しいものになったんだろう。
カンパニーの経理部長の叫び声がきこえそうだ。
でも、まあ、ともかく、プレゼントいーっぱい。
一週間ムショにぶち込まれて、釈放されるだけの簡単なお仕事です。
いや、簡単じゃなかった。
菓子屋ギルドはポッキーとトッポをすぐにも売りに出したがって泣きついてくるし、ムショのなかじゃ敵よりも味方が騒ぎを起こして、殺したり、突き落としたりしてたし。
そして、ムショで変身がとけたら、ヨシュアとリサークにどんな目にあわされたか。
いやあ、まあ、ともあれ無事に出られてよかった。
――†――†――†――
いや、まだ終わってませんよ。
肝心なことが残っている。
「それで叔父に会いたいと」
釈放から三日後、レンディックの使いがやってきた。
レンディックは長官職にありながら雲隠れしていた。主要な街道はおれたちが見張っているから、市内のどこかに潜伏していると分かっていたが、場所がどうしてもつかめなかった。
「なら、ここに来てくれればいい」
「それがあなたがたの縄張りでは話せないというんです」
「命の安全は保証できる」
「場所の選定はこちらにお任せしてもらいたいのです」
「会って話がしたい。こちらのことは信用できない。そっちが指示した場所に叔父が来い、と?」
「ええ。ひとりで」
「そんな条件は飲めない」
「お互い有用な取引になると思うんですが」
「おれはあいつらみたいな野蛮人じゃないから、あんたの首を銀の皿にのせて、メッセージがわりにすることはないけど、寛容にも限度がある。叔父をぶち込んでおいて、自分の立場が不利になったら、話がしたい、場所はそっちが指定する? 叔父は絶対に会いませんよ」
とはいえ、カンパニーがまだレンディックのケツ持ちをしてるのか、実際に見て確かめたい気はする。
それにひとりでとは言うけれど、ジルヴァやジャックなら絶対に気づかれずにおれのあとをつけることができる。
「わかった。会う。ただし、条件がひとつ。叔父は直接いかない。行くのはおれ。おれが代理として話す。それがだめなら、かくれんぼの続きをしててくれ」
使いは帰り、それから次の日には使いがまたやってきて「三日後に会う。馬車で迎えに行き、会談場所へ連れていく」と言ってきた。
それでいい、とおれは条件を飲んだ。
――†――†――†――
三日後は日が暮れる少し前、午後六時くらいから雨が降り始めた。ファンタジー異世界名物、凹凸のあるガラス窓を水があみだくじみたいに乱れ切った落ち方をしている。
ゴロゴロと遠鳴りがして、雨は土の甘いにおいがする。
「今すぐ殺るべきだ」
ジンジャー・ジョヴァンニーノを出しながら、ジャックが強く主張する。
「やつらがここに来るなら、そこで殺す。オーナーがやつらの指定した店に行く必要はない」
「ククク、僕も同意見だね。どうして殺ってしまわないんだい?」
「影武者かもしれない。それを襲って、また雲隠れされても困る。だから、おれが自分で行かないといけない。レンディックはたぶん追い詰められている。一連の株価大暴落のせいでおれたちを潰しきれなかったことで見捨てられてるかもしれない。だからこそ、やつは異常に慎重になって、探し出せなかった」
「マスター、おれもジャックさんたちと同じ意見です。カンパニーに見捨てられたからこそ、マスターの首をもってカンパニーに許してもらおうとするかもしれません」
「それもあり得る。でも、これは――シチュエーションなんだよ」
「出た」
と、マリスが手を左右に広げて大袈裟に肩をすくめる。
「これが出ると、マスターは損得どころか自分の身の安全まで度外視するんだ」
「よく分かってるじゃんか」
ゴッドファーザー・パート1のソロッツォとマクラスキー警部を殺す段取りに今の状況が似てきている。
ドン・コルレオーネが撃たれ、怒ったソニーがタッタリア・ファミリーのボスの息子を殺し、抗争が膠着状態に陥ると、タッタリア側の麻薬幹部ソロッツォが平和のための話し合いをしたいと言って、コルレオーネ・ファミリーに話をもちかけ、その相手にカタギのマイケルを選ぶ。
で、マイケルはそれに応じるが、話し合いはせずにふたりとも殺そうと言う。
マフィアの世界を嫌っていたマイケルがマフィアの世界に入った印象的なシーンだ。
まあ、おれはアル・パチーノにははるかに遠い御面相だし、おれはもうとっくにカタギじゃない。
「とにかく、もうちょっと待とう。カールのとっつぁんが戻ってくるはずだ」
カールのとっつぁんが戻ってきた。
雨合羽を脱いで、近くの帽子掛けにかけると、ジャックにホット・ラムを頼み、カウンターで手をこすり合わせた。
「どうだった?」
「サン・イグレシア大通りを競技場のほうへ抜けた先の、〈コトレット〉だ」
「誰情報?」
「レンディック直属の警吏で転んだやつがいる。そいつが知らせてきた」
「誰かコトレットでメシ食ったことあるやつはいるか?」
クリストフが手を挙げた。
「何がうまい?」
「子牛のカツレツ」
「便所は?」
「裏庭にひとつ」
「銃を隠せるか?」
「たぶん隠せる。天井の高いところに尻ふき紙の束を置いた棚がある」
「フレイ。一丁頼む」
「わかりました。司令」
カールのとっつぁんが、それともうひとつ、と長い人差し指を立てる。
「フランソワ・ダウンという男が釈放されている」
「大株主として釈放を許可した覚えはないけどなあ」
「レンディックがやつの起訴状と証拠物件をうっかり喪失したらしい」
「元判事として、それはどうなの?」
「まあ、しょっちゅうある。おそらくダウンは用心棒か何かだろう」
まあ、いいや。それでやりたいってんなら、そうしましょう。
ソロッツォもマクラスキー警部もふたりいっぺんに死んだ。
ますますゴッドファーザーじゃねえか。




