第十四話 ラケッティア、中立の男たち。
噛むとポキッといい音がする。
この刑務所の購買もようやく購買としての使命が分かってきた。
懐かしいなあ。高校の購買。
カスみたいなパン屋が独占してて、ぺっしゃんこのサンドイッチか、なんか水に濡れたクロワッサンしかつくれなくて、あとまともなものというと焼きそばパンだが、おれは同じものが別のパン屋で半値で売ってるのを見たことがある。
パン屋にリベンジポルノでも撮られて、校長が言いなりになっていたのだろう。
なんつったって、女子高生とマジでホテルに入っていくような男だ。
おれはそんな校長にトトカルチョの胴元したことを散々叱られたのだから、倫理もへちまもありゃしない。
バドミントンのラケットで武装した生徒会が年に何度か購買のパン屋を変えろと革命を起こそうとしたこともあったが、たいていは鎮圧された。
「昨日、せがれと話した」
ベッドの上の段に寝転んでいるネギーニョが言った。
「せがれって?」
「あんた、自分の入ってる刑務所の所長のことくらいは覚えておいたほうがよかないか?」
「わかった、わかった。それで?」
おれは半身を起こして、下段ベッドから煙草を勧めるようにポッキーを勧める。
ちらっと見上げると、ネギーニョは葉巻の香りを嗅ぐようおに上品なキャキャオの香りを嗅ぐと、剣飲み芸人みたいに上を向いて、するするとポッキーが一本消えていった。
「あんたと話がしたいそうだ」
「わしと話がしたいという人間は大勢いるが、みな友だちだ。だが、あんたのせがれはわしの友情を必要としているとは思えないな」
「そうでもないぞ。あいつがこの刑務所を支配下に置けていないとみなされると、やつは職を失う。職を失った黒んぼがどうなるか、あんた、知ってるか?」
「人間狩りの獲物にされるんだろう?」
「なんだ、知ってんじゃねえか」
「話だけはきいたことがある」
「あんたら白人は肌が白いってだけで黒んぼを消す許可証をもらったみたいなもんだと思ってるからな」
「別に黒人を殺したことも、殺そうと思ったこともないがね」
「これからは分からんぜ。ここを出た白人の囚人が最初にやることは何だと思う? 上等なステーキを食うか? 酒か? それとも女を抱くか? どれも違う。正解は黒んぼを殺すのさ。あわれなそいつはせがれの身代わりなわけだ」
「あんたの息子が厄介な立場に追い込まれていることはなんとなく分かった。だが、ベラスケスはひざまずいて生きるより立って死ぬほうを選びそうだがな」
「あいつの目を見たことがあるか? いつも血走ってる。あいつにとって、生きることは戦いだ。昨日まで味方だと思ってたやつに背中を刺されることだってある」
「カンパニーとかな」
「あんたとそれにあんたのお友だちたちがノヴァ・オルディアーレスのルールをひっくり返しちまった。看守がボコボコにされてから、看守に対する暴行が増えたし、盗みも増える。そして、刑務所で盗みが増えることは殺人が増えるということだ。昨日も厨房でひとりやられたらしい。そいつは全身ズタズタの全裸死体で発見されたもんだから、顔も刺青も残ってない」
「だから、昨日の夜、急に点呼をしたのか?」
「出てこなかったやつが死人ってわけよ。この四日間で十二人目。確かに以前も殺人はあったが年に一度、あるかないかだ。せがれの管理がうまくいっていた。それがこの体たらく。今度、カンパニーに呼ばれたら、せがれは森のなかをケモノみたいに走って逃げるハメになる。で、会うかね?」
「会わない」
「じゃあ、そう伝えておこう」
ピリオドがわりにポキッといい音。
ん? あ、だから、ポッキーなのか。いま、気づいた。
――†――†――†――
昼の運動でまたあの井戸の底に連れていかれる。
そして、ヴォルガの舟歌でも口ずさみながら、ぐるぐるぐーるぐると歩いてまわる。
ここにいるのはダウンにもメツガーにも属していないいわゆる中立な囚人が集められている。
実はふたつのプリズン・ギャングは殺し合いの真っ最中で、ダウンがポッキーが好きで、メツガーがトッポが好きだから、ポッキー=トッポ戦争と呼ばれている。もちろんメツガー相手に話すときはトッポ=ポッキー戦争と言わないといけない。
しかし、この運動、頭悪くなりそうだな。
と、そのとき、井戸の底が少し暗くなった。
見上げると、誰かが井戸を覗き込んでいた。
そして、ちらりと火のようなものが見えたかと思ったら、鉄の玉が落ちてきて、井戸の底にガーンと不吉な音を響かせた。
だが、それ以上に不吉なのはパチパチ火花を散らせている導火線だ。
井戸の底は大パニックになった。
鉄格子の扉に飛びつき開けろと騒ぐやつもいれば、壁を上ろうとするやつもいる。
リサークがつかつかと爆弾に歩み寄ると、隠し持っていたナイフで導火線を切った。
ヨシュアはというと、爆発した際におれの盾になろうとして、すぐそばに立っている。
ヨシュアやリサークを危機的状況ではない状態で見つめるのは久しぶりだが、こいつら、本当にイケメンだよなあ。ロン毛だけど。
黙ってれば女がキャアキャア寄ってくるし、男性からのお誘いもあるはず。
そして、そのなかには三白眼のやつもいるんじゃないかなあ。
「クソ野郎!」
そう怒鳴ったのはフェリペ・デル・ロゴスだ。
井戸の上を睨んでいる。その怨念は貞子のごとく。
爆弾に近寄って調べてみた。
攻城戦で守備側が敵の頭目がけて投げたり、モグラみたいに地下道を掘って、相手の防壁を真下から吹き飛ばすのに使う高性能な爆弾だ。
持ってみると、ずしりと重い。
爆発すれば、このずしりと重い金属が四方八方に飛び散って、おれたちをバラバラにするわけだ。
囚人たちはすっかり泡を食っていたが、そのうち怒りの感情が沸々と湧いてきた。
殺す殺せ殺さばの三段殺法が口にされたところで、おれはコホンと咳をした。
ヨシュアが頷き、癇癪玉をひとつ床に叩きつけた。
破裂音に驚いて、全員が黙る。
「ここで殺す殺すと言っても、仕方あるまい。そんなふうに殺気立っていては看守どもはいつまで経ってもわしらをここから外には出さない。爆弾魔の爆弾がひとつと限らないのだから、まずは冷静になることが大切だ。特に大切なのはダウンの仕業だとかメツガーの差し金だとか不確かなことを言って、動揺を大きくしないことだ。わしらはわしらでできることをせねばならない」
「できることってなんだよ?」
おれから見て後ろのほうにいる、元ガラス職人の男が言った。付き合っていた女を炉のなかに突っ込んで燃やして、女神像をつくったという男だ。
「団結だ。さっきのことで分かるのは、犯人はわしら中立派を狙っているということだ。わしらはそれぞれが一匹狼を決めてきたが、その趣向を少し堪えて、わしらはひとつの集団にまとまるのだ」
「それであんたがそのボスになるってのか?」
フェリペ・デル・ロゴスが不満げな顔で言ってきた。
「ボスなんてものはいない、ドン・フェリペ。これはあくまで対等な同盟だ。ルールはひとつ。わしらのうちの誰かが襲われたら、全員で血の報復をする。賛成するものは手を挙げてくれ」
バラバラとだが、全員の手が挙がった。




