第二十五話 アサシン、長い付き合い。
港湾都市カースルフォーンについて、来栖ミツルが最初にしたことは買い出しだった。
「ただいまだぜ、小娘どもプラスその他一名!」
と、言いながら、籠一杯の食材を持って旅籠の厨房へ駆け込み、三時間してから、
「待たせたな、小娘どもプラスその他一名!」
と、言って、テーブルに食事を広げた。
「今日のパスタはだましだましスペシャルだ。本当ならドライトマトとパルミジャーノとアンチョビを使いたいところだったが、まずドライトマトが売りきれててな。かといって普通のトマトを乾かす時間がないので、潰して種と水を取ったトマトを火であぶってつくった人呼んで『無理やりドライトマト』をつくり、あと、いいチーズに出会えなかったので、固いパンの皮を細かくすりおろしてつくったパン粉を炒めてかける人呼んで『素寒貧のパルミジャーノ』、それにアンチョビを持ってくるのを忘れたので、塩漬け鱈を塩抜きしないでペースト状にしてオリーブオイルとぶち込んだ。これぞだましだましスペシャル。ささ、食ってみ」
食べてみる。チーズのかわりのパン粉がとてもサクサクしていて、トマトの酸味と鱈の塩味がパスタに絡んでいておいしかった。
「マスター、これ、とてもうまい!」
「はっはっは。そうだろう、そうだろう」
「まあ、うまいのは間違いないんだけどさ。梅干しが食いてーな」
「こら、トキマル。マスターがせっかくつくってくれたのにわがままなのです!」
「まあ、いいよ、アレンカ。確かにこっちに来てから、梅干しのせた白い飯がすげえ恋しい」
「ほらな。頭領だって言ってるぜ」
「マスター……元いた世界、気になる?」
「まあ、気になるっちゃ気になることがある。おれがこっちに飛ばされる三日前、杉野ってめっちゃギターうまいやつがいて、そいつが学校中退してパンクバンドをつくるって言ってたんだよ。バンド名は『コンドーム・マラッカス』。あいつ、ホントに学校やめたのかなあ。ホントに『コンドーム・マラッカス』のバンド名にしたのかなあ。気になる」
「マスター、ぱんくばんど、っていうのはなんだい?」
「中指を立てながら曲を演奏し、最後には演奏につかった楽器を壊すことで完成を見る音楽の一形式だ」
「楽器を壊さないといけないのですか?」
「おれは必要ないと思うけど、でも、壊さないといけないらしい。あと、客に喧嘩売って返り討ちにあったり、ヤクでラリって全裸で道路を走ったりしなければいけない。パンクってのはそういうものに縛られた生き方をするってことなのだ」
「マスターが麻薬を禁止するのは、その〈ぱんく〉とやらと関係あるのかい?」
「うんにゃ。ドン・コルレオーネが麻薬はだめだって言ってるから、おれも麻薬はなしにしてる。それにいくら儲かるからって自分の縄張りがジャンキーだらけになるのはごめんだし――って、あれ? ツィーヌ、まだほとんど手をつけてないじゃん。やっぱりパスタをだましだましにするのはダメ? ちゃんと本物のパルミジャーノ・レッジャーノを見つけてきたほうがいい?」
ツィーヌはフォークを置いて、首をふった。
「そんなんじゃない。ちょっと食欲がないだけ」
「ツィーヌが? 食欲がない?」
ミツルは目をぱちくりさせて驚いた。
これまで四人のアサシン娘がごはんを残したことはないし、食欲がないなんて言ったことはない。
たとえ十人ぐらい殺して返り血もたっぷり浴びた後でも彼女たちは食欲を失うことはないし、むしろお腹がペコペコになっていつもよりも多くの食事を要求する。
だから、ツィーヌが食欲がない、というのは驚きなのだ。
「ごちそうさま……」
ツィーヌが立ち去るのを見て、アレンカが、
「じゃあ、ツィーヌの分のスパゲッティはアレンカが食べて――あっ、トキマル! 横取りするななのです!」
そのうちツィーヌの残したパスタをめぐる戦いが始まり、手中のフォークが食器から凶器へと変貌していくなか、巻き込まれてはたまらんと来栖ミツルはパスタの皿を持ったままテーブルの下に避難した。
――†――†――†――
旅籠のテラスからカースルフォーンを見渡せる。
塩を切り出したように白い建物で残照が息づき、水平線には燃え残った熾きのように星がまたたき始めている。
街路には酔客、屋根に猫、空に風、テラスに少女。
ツィーヌはテラスの縁の手すりに肘を置いて寄りかかり、街を見下ろした。
夜。
ツィーヌたちアサシンにとっては特別な時間だ。
日が沈むと同時に城が門を閉じるのは意味があるのだ。
夜というものに対し、人はそこに区切りを見る。人間の世界である昼が終わると、夜には魑魅魍魎があふれる。
アサシンもそうした魑魅魍魎の一つだ。
標的に確実な死を与える夜の刃。光のない世界を暗躍する煙。
自分は区切りの向こうにいる。
常にそう思って生きてきた。
愛情や友情、幸福、別れ、悲しみ。
それら全ては閉じられた城門の向こうへ去っていく。
その後の世界が自分のいるべき世界なのだ。
そう思っていたのがマスターと出会って変わった。
というより、いつでも変わることができる、変わるのに必要なのは自分の意志一つなのだと気づかされたのだ。
だからこそ――、
「マスターがボクら以外の存在を認めることが悔しい?」
ツィーヌが驚いて振り向くと、マリスが剣の鍔に手を置いてゆっくり歩いてきた。
「食事はもう終わった。ホントにお腹すいてないのか?」
「すいてない」
ぎゅううう。
「……」
「……」
「すいてるみたいだな」
「うるさいわね」
「ほら、これ」
マリスが取り出した青い紙にはサンドイッチが包んであった。
「マリスがつくったの?」
「マスターみたいにはいかないけど、このくらいならつくれる」
「……ありがと」
「うまいか?」
「まあまあ」
「可愛げのない」
「……」
「マスターはボクらみんなを平等に愛してくれる」
「なによ、急に」
「でも、もし自分だけを特別に愛してくれたら? そう考えてるんだろう?」
「……どうして、そう思うの」
「お互い長い付き合いだからな。わかるよ」
「……わたし、ときどき嫌になる。わがままなわたしに。マスターが自分だけを見てくれたらって考えただけでドキドキして、そんな欲張りな自分が嫌になる」
「そんなツィーヌもふくめて、ボクは好きだな。わがままで欲張りだけど、不器用で寂しがり屋。口は悪いけど、人一倍真面目」
「お世辞言っても何も出ないわよ」
「マスターも言ってた。女の子のわがままを叶えてこそ、男の甲斐性だと」
「……」
「これからファミリーは大きくなる。ひょっとすると、女の子も入ってくるかもね。でも、マスターとボクら四人の絆に変わりはない」
「絆?」
「家族の絆だ。絆だけじゃ満足できないなら、マスターにそう言ってみるといい。きっとマスターはしどろもどろするはずだ」
ツィーヌは以前ダンジョンの前で来栖にいきなりキスしたときのことを思い出して、ぷっと噴き出した。
「マスター、自分はエッチだスケベだって広言する割には初心だから」
「違いない。じゃ、ボクは部屋に戻る。ツィーヌは?」
「もう少しここにいる。夜景がみたいから」
「わかった。じゃ、また明日」
「あ――」
立ち去りかけたマリスが、ん? と振り向く。
「――ありがとう。いろいろ」
「どういたしまして」
ツィーヌは夜がすっかり港と海を覆いつくしたのを見る。
アサシンの跳梁する夜を。
「マスターの役に立ちたい。わがままだって言われてもいい。一番になりたい」
ツィーヌのつぶやきを潮風がさらっていく。




