第二十三話 ラケッティア、次の獲物。
ディルランド王国の北部と中部と南部。
北部と中部は帝国に占領されていて、南部は解放軍が占領している。
首都ディンメルは中部にあるので、自然、解放軍は北上するかたちになる。
が、スヴァリスは普通ではない。
「まず、北部から解放せねばならんでしょう」
ローバン市庁舎。解放軍最高軍事会議。
ユリウスや氏族の長をはじめ、旅団指揮官クラスも顔を出すくらいに解放軍は規模が大きくなった。
このままディンメルを一気に落とすのが勝利の近道と思っていたところでこれだ。
「元帥、なぜ北部を?」
「それは殿下。勝利の味を知る兵士は多ければ多いほどいいわけで」
「勝利の味を知る兵士――あっ!」
ユリウスは何か思い立ち、すぐにスヴァリスの案を取った。
会議が終わった後、さっぱり分からないおれはユリウスにどうして北部を落とさないといけないのか、たずねてみた。
「中部へ北上し勝利すれば、どのみち敵は北部に逃げる。それよりはこちらが先に北部を解放して、ともに戦う同志として中部の帝国軍にあたるほうがいい。この戦争で活躍したのが南部のみとなると、どうしても南部の意見が強くなる。そうではなく、北部もまた解放戦争のために立ち上がれば、戦後にバランスを取ることができる」
「ああ、そっか。そうだよなあ。今のままだと、脳筋のマグナスやハーラルの意見が強くなるもんなあ。そりゃ大変だ」
「元帥は南部と北部で挟撃し、中部の民も蜂起させるつもりかもしれない」
「いろいろ考えてんだなあ。あのじいさん。――ああ、そういえばさ、おれんとこのアサシン娘が敵の総司令官を暗殺させてほしいってゴネてるんだけど」
「スヴァリス元帥はそれを禁じた。デルレイドが死んで、もっと有能な人間が総司令官につくのが嫌なようだ」
「おれもそれを言ってるんだけど、きかないんだよなあ……そうだ、北部に侵攻する前の露払いをあいつらにさせてみたら、どうだろう?」
「露払い?」
「あの忍者が仲間になって以来、うちのファミリー、情報収集能力が上がってさ、後方攪乱も結構いけると思うんだ。それに――」
「?」
「たとえ暗殺であってもさ、マスター、マスターって慕ってくれる小娘たちに活躍の場を用意したいなと思う親心もあるわけで。あ、これ、あいつらには内緒ね。つけあがるから」
ユリウスは、ふふ、と微笑んだ。
「わかった。元帥と相談して何かできないか考えよう」
「いやあ、助かる。なんかわがまま言って悪い」
「とんでもない。きみには大いに助けてもらってる。あのとき、きみと出会わなければ、今ごろわたしは死んでいた」
「やめてくれよ。こっぱずかしい」
――†――†――†――
「マスター! あいつ、全然仕事しない!」
帰ってみたら、ツィーヌが怒ってる。
どのくらい怒ってるかというと、怒った顔したキノコ雲が頭の上に飛び出し、ソフトなフォントで『ぷんすこ!』と出ているくらい怒っている。
「またかいな」
ああ、誤解されると困るので説明するけど、仕事、というのは暗殺その他諜報活動ではなく雑用のことだ。
双子の菓子屋の掃除や水汲み、買い物なのだが、ツィーヌたちは当番表をつくっている。
ところが、あの忍者、トキマルは雑用をフケる。
で、ツィーヌが怒る。
ちょっと男子ぃ、ちゃんと掃除しなさいよー、って咎める学級委員のごとく。
あ、でも、掃除だから美化委員か。
おれのいた高校では清掃委員を美化委員と呼んだ。
今更美しくしようったって手遅れのオンボロ校舎だったが、まあ、言うだけならタダだ。
それに比べると、双子の菓子屋はまさに美化するだけの価値がある。
使い込んだ高級木材の柔らかな艶。
お菓子を飾るガラス張りの箱棚。
青いタイル張りのストーブ。
花を植えた鉢やランタンを吊るせる鋳鉄細工の数々。
きちんと拭き、磨き、埃を払う価値のある店だ。
それに比べて、おれンとこの校舎ときたら、ホントに。
転生する三週間くらい前のことだが、三階のトイレの水があふれて、二階のおれたちの教室まで滴り落ちたことがあった。いったいどんだけでかいクソしたらトイレが詰まるんだよって――、
「マスター! ちゃんときいてる!」
「うんっ、昔のこと思い出してきいてなかった! ごめん!」
ツィーヌがむくれた。
どんなふうにむくれたかというと、ほっぺがふくらんで、そのすぐそばにやっぱりソフトなフォントで『ぷくう』って書いてあるほどむくれた。
ツィーヌは一番まじめだ。
ときどきちょっかい出したいくらい真面目。
アレンカやマリスはいないならいないで自分のとこだけ、さっさと掃除して済ませてしまうし、ジルヴァは最初のうちは手にハタキをもって、パタパタやっているのだが、いつの間にか煙のように消えてしまう。
ツィーヌは違う。
相手がいないといないなりに頑張ってしまう。
あれこれ文句は言いつつも、真面目に仕事をこなす、ちょっと不器用で損をしがちな女の子なのだ。
まさにツンデレ学級委員ですよ、紳士のみなさん。
で、トキマルなのだが、おれは彼に脱力忍者の称号を与えている。
おれが出会うロン毛のイケメンは何かしらの癖がある。
エルネスト然り、レイルク然り。
ユリウスはイケメンだが、ロン毛ではない。
で、トキマル。
こやつも伸ばした髪を後ろで束ねているし、中性的なイケメンだから、やっぱり癖がある。
とにかくめんどくさがるのだ。
腰を上げるのも、布団から起きるのも、歩くのも、走るのも、めんどくせー。
そのうち息をするのがめんどくせー、と言い出して窒息死するんじゃないかと心配だ。
「あの脱力忍者め。で、あいつ、どこに行ったの?」
「わかんないけど、掃除が終わったら、とっちめて――」
「あれ? でも、裏庭にいるの、トキマルじゃね?」
「え、どこ?」
「ほら、樹の枝のところ」
トキマルは幹によりかかり、枝に足を伸ばして座っていたのだが、その姿と落ち着きには猫っぽいずるさを感じる。
「あーっ! あんた、今までどこにいたのよ!」
「ずっとここにいたよ」
「うそだっ!」
「そっちが気づかなかっただけだろ」
「がるるるる」
「おっかねー」
ここでタオルを投げる。
ファミリー内で血を見るのは避けたい。
「はい、そこでストップ! いやあ、ツィーヌさん。落ち着いておくんなせえ。あんなん、怒る価値もない相手ですぜ」
と、なだめつつ、
「トキマルは怒ったツィーヌがおっかねえって分かってるなら、からかうなよな。それと掃除洗濯買い物の持ち回りは任務の一つとして考えること。わかった?」
「へーい」
「それと話があるから、みんなが来たら、裏庭に集合」
マリス、アレンカ、ジルヴァが外出から戻ると、ファミリーの今後の方針について話し合うことにした。
「ひょっとするときいているかもしれないが、解放軍はディルランド北部へ侵攻することが決まった」
マリスが小首をかしげる。
「どうして中部じゃない? さっさと首都を攻めたほうが戦も終わるのがはやいと思うが」
「首都を陥落させても、帝国軍は北に逃げる。ディンメルはディルランド人にとっては首都でも、ガルムディア人にはただの駐屯地に過ぎない。思い入れはないからな。とっとと捨てるだろう。それに今、解放軍兵士のほとんどが南部地域の出身だ。このままディルランドからガルムディアを追っ払ったら、南部人ばかりが指導的立場に役職を得るようになって、せっかく取り戻した国に火種を残しかねない。だから、ユリウスと元帥はできるだけ多くの都市と地域を解放し、軍に参加させ、解放後には、どこの住人も特別威張りくさったりしないようにする」
「なるほど、それは一理ある」
「それでマスター、暗殺の件はどうなったのですか?」
「却下された。デルレイドを殺して、もっと優秀なやつが後任にやってくるかもしれないからな」
「あうー」
「ただ、このままじゃ宝の持ち腐れというのは分かってくれてだな。解放軍の北部侵攻に先駆けて、クルス・ファミリーは露払いをすることになった。具体的に何をするのかはまだ決まっていないが、北部侵攻が始まった後、北部の占領と敵の駆逐がスムーズにいくよう、情報を集めたりガルムディアの後方を攪乱するのが主な仕事になると思う。なんか質問ある?」
トキマルが手を挙げた。
「はい、トキマル」
「後方攪乱の一環で暗殺をしてもいいの?」
これにはアサシン娘たちから、ブレーキ踏まずに正面衝突仕掛けてくるような猛抗議にぶつかった。
「ダメに決まってる! 百年はやい!」
「ちょーしに乗るななのです!」
「暗殺したら思い切りひっぱたいてやるんだから!」
「めっ……」
「うわ、おっかねー」
「分かってるなら質問しなきゃいいのに。と、気を取り直して、他の質問は?」
「はーい、なのです」
「はい、アレンカ」
「北部に先に行く人は他にはいないのですか?」
「いないと思う。あんまりぞろぞろ行っても仕方ないし。たぶん、ここにいるメンツで遠足ってことになる。こっちの世界でも言うのかどうか知らないけれど、遠足はお家に帰るまでが遠足です。各人、怪我なし死人なし懲役なしの〈三なし〉を合言葉に頑張りましょう。はいっ、解散」




