第二十話 ラケッティア/戦記、リッツ会戦。
きれいに跳ねた口髭と白いスペード型の顎髭を整えたデルレイド侯爵が二人の息子とともに一万五千の兵で王都ディンメルを出発して三日。
沿道の村や小都市では親帝国派の住人たちが礼を尽くして、ガルムディア軍を出迎え、兵士の分宿にも協力し、無償の食料提供までがなされた。
もっともいくつかの町では物資を円滑に集めるために住人の絞首刑をしなければならなかったが。
三日目、午前七時。
マーシュタウンを出発した第一旅団は進軍予定地へ走らせた偵察騎兵から思わぬ情報を得た。
アレクサンダル・スヴァリスその人が湖沼地帯で解放軍を率いているというのだ。
「それは確かか?」
「間違いありません」
偵察騎兵にはスヴァリスの顔を知っているものを選んで飛ばしておいたのが、功を奏した。
「父上。すぐにでも捕捉し撃滅しましょう。スヴァリスは神出鬼没の機動戦を得意とします。ここで補足しなければ、見失うことになりかねません」
デルレイド侯爵は果たしてスヴァリスがそんな分かりやすいミスを犯すか気になっていた。
スヴァリスがいる湖沼地帯はリッツ地方によくみられる森と池が入り乱れた地形であり、湖のあいだの隘路で戦うことになると、数の優勢を生かせない。
しかし、第二の偵察騎兵がスヴァリスの兵がたったの五百しかないことを報告すると、デルレイド侯爵の腹は決まった。
「ロベール。精鋭二千で先遣し、スヴァリスを逃がすな。きっと地形を使って、巧妙な戦を見せるだろうが、こちらは数で上だ。部隊を入れ替え、敵の疲弊を狙い、スヴァリス得意の機動を封じるのだ」
「カスパールの旅団は?」
「湖沼地帯東部の平野に移動させ、側面からの攻撃に備えさせろ」
「ハッ」
――†――†――†――
「おー、いやがった、いやがった」
マグナス・ハルトルドが手をひさしみたいにして、第二旅団二千を眺める。
「あのくらいなら簡単に崩せるぞ」
ハーラル・トスティグも同意見だ。
マリウスもヘイルゼンも、アサシン娘たちですら、第二旅団を追っ払うつもりでいる。
そうでないことを知っているのはおれだけ。
兵力差はこちらに有利でマスケット銃に加え、小さいながらも大砲もある。
負ける気がしないのだろう。
でも、そうならない。
くそー、あのジジイ。
おれに一番面倒な役目を押しつけた。
――†――†――†――
ロベール率いる第一旅団はさっそく頑強な抵抗にあった。
二つの湖に挟まれたわずか三十メートルの隘路に木の柵が立てられていて、その後ろからクロスボウで仕掛けてくる。
湿地帯ということもあって、騎兵は速度が落ち、重装備の騎士たちもぬかるみにはまって前進できない。
「くそっ!」
たった五百の民兵が二千の帝国騎士を足止めするなどあっていいことではない。
だが、左右は湖。
正面から当たるしかない。
歩兵隊がなんとか柵に飛びつき引き倒したころにはスヴァリスは手早く撤退していた。
――†――†――†――
「そら逃げろ、逃げろ!」
スヴァリスは馬にまたがって、退却する部下を面白そうにはやしていた。
「クロスボウなど持っていかんでいい。捨ててしまえ!」
「でも、勿体ないのでは?」
「戦争において金銭は尊い。だが、人命のほうはもっと尊い。そして、それにもまして時間はもっと尊いのだ。だから、捨てろ。身軽になれ! でも、いくら捨てたところで合唱団には入れないぞ。きみたちはカエルではないからな。アハハハ!」
――†――†――†――
「は? 今、なんと?」
「だから、スヴァリス元帥に言われたんだ。ちょっとぶつかったら、銃と大砲を全部捨てて逃げろって」
マリウスは信じられないといった顔をしている。
おれだって信じられない。
第二旅団とのぶつかり合いは明らかにこっちのほうが優位だ。
数。武装。そして指揮官の質。
マスケット銃で散々撃ちまくってビビらせ、氏族歩兵が切り込んではずらかるヒットアンドアウェイで散々苦しめてるのに退却しろというのだ。
しかも、解放軍の最高の財産であるマスケット銃を捨てて。
「本当にスヴァリス元帥はそうおっしゃられたのか?」
「信じられないのはおれも同じだけど、そうなんだ。銃全部と大砲を捨てて逃げろって」
「しかし、氏族の二人が納得しまい」
「それなんだけど、非常に言いにくいんだけどさ、マグナスとハーラル、今、おれの小娘たちが人質にとってるんだ」
「なっ!?」
マリウスは戦場を見回すが、確かに人一倍活躍する二人の姿がなかった。
「もし、氏族歩兵たちが撤退しなかったら軍律違反で二人を処刑しろって、あのじいさんマジで言うんだ。だから、氏族もへったくれもなくて、とにかく逃げなきゃいけないんだよ」
――†――†――†――
「見ろ、敵が逃げていくぞ!」
カスパールは目を疑った。
だが、斬り込んできた氏族歩兵たちが敵の本隊に合流すると、敵の本隊はそのまま総崩れになって逃げだしたのだ。
それだけではない。
敵の主力武器であるマスケット銃が戦場にごろごろと転がっていた。
「なんだ、敵勢は斬り込みで損害を得ていたのか。ふ、ふはは! これなら恐れるに足りず! 追撃するぞ!」
従軍していたメダルの騎士が待ったをかける。
「閣下、お待ちください! 今、間者から報告が上がりました。あれは敵の罠です。このまま我々をおびき寄せて、撃滅するつもりです!」
「間者ぁ? あの生意気なガキか。見よ。あの銃を。あれだけの銃を失って敵はどうやって我々に反撃するつもりだ?」
「それも策のうちだと報告が上がっています。ただ退くのではかからないとみて、わざと銃を置いて――」
大砲だあ! 大砲を鹵獲したぞ!
兵士の声にカスパールは手を叩いた。
「見よ、メダルの騎士よ。敵は大砲を置いていったぞ! 我が国ですらほんの数門所有しているだけの大砲をやつらは置いていったのだ! 敵は策のつもりが我々の攻撃で本当に崩れたのだ!」
「敵の待ち伏せの危険は?」
「そんなに心配であるなら、兄上の部隊からこちらに割くよう、父上に伝令を送れ! こちらにはユリウスがいる。これを叩けば、解放軍は終わるのだ!」
――†――†――†――
デルレイド侯爵は迷っていた。
ロベールの苦戦とカスパールの善戦。
ロベールは柵の前にてこずっていた。
ただの柵だ。立てた木に横木を結びつけたものだが、スヴァリスは湖沼地帯に木柵を主体とする短い防衛線をいくつも仕掛けていた。
どうやら住民を動員して突貫工事でつくらせたらしい。
ロベールが柵に飛びつくころにはスヴァリスは寝かせておいた次の柵を立てて、その後ろに篭り、クロスボウ、そしてそれすら捨てて身軽になってからは投石で抵抗してくる。
ロベール配下の精鋭騎士たちは被害こそ出していないが、敵を捕捉できていない。
もちろん、柵の数にも限度がある。
南へ行き過ぎれば、リッツ地方の湖沼を抜け、開けた地へと出る。
ロベールは優秀だ。
なんとかそこまで進むだろう。そこで会戦を仕掛ければ、いかにスヴァリスといえどひとたまりもない。
だが――、
カスパールの進撃も速かった。
それに戦果もあがっている。
つい今さっき、送られてきた荷馬車には大砲が乗っていた。
敵は銃や弾薬だけでなく、大砲までも捨てている。
偽りの退却でここまで物資を放棄するだろうか?
所詮、解放軍は寄り合い所帯の烏合の衆だということだろうか?
カスパールが当たっている解放軍は本隊であり、そこにユリウスがいる。
ユリウスの首級を上げれば、この抵抗戦争に決着がつく。
デルレイド侯爵は決断した。
第一旅団の兵一万を第二旅団の応援に向かわせる。
カスパールは計一万二千の兵を麾下に置き、解放軍を一気に潰すのだ。
――†――†――†――
第一旅団の兵が陸続と第二旅団の隊列に参加すると、もはや功名稼ぎと化した。
カスパールは新たに来た一万の応援を走らせ、逃げる解放軍を追った。
「追え、追え! もはややつらには銃も大砲もないぞ! ひとひねりにしてやれ! ハハハッ!」
マスケット銃は一丁金貨二十枚から三十枚はする。
兵士たちはより価値のある戦利品を求めて、がむしゃらに解放軍を追った。
解放軍は丘を登っている。
丘を越えたところから帝国軍が一気に坂を駆け下りる。
これから待ち受ける殺戮に帝国兵たちは武者震いした。
――†――†――†――
ロベール指揮下にいたころはきちんと隊伍を整えて毅然としていた部隊がカスパールの麾下に入るや否や、解放軍追撃のために、その隊列を崩していく。
バラバラになって攻め上がる帝国軍は足の遅い荷馬車隊を置き去りにしていた。
リッツの森が尽きかけた平野でスヴァリスは手を叩いて喜んだ。
「戦争において金銭は尊い。だが、人命のほうはもっと尊い。そして、それにもまして時間はもっと尊い。だが、最大に尊いのは敵の過ちよ!」
スヴァリスは馬を駆って、湖沼地帯から出た。
その先には功を焦ってカスパールが置いていった荷馬車部隊があった。
そして、その荷馬車には解放軍が捨てたマスケット銃と弾薬が積んであった。
――†――†――†――
解放軍の上る丘の頂上では怒りに震えるマグナス・ハルトルドとハーラル・トスティグがいた。
戦場から誘拐され、小娘たちに縛り上げられ、この丘の裏手に転がされた怒りをどう発散すべきか。
二人は坂を上ってくる部下たちとそれを追う帝国兵を見てから、お互いを見やり、強くうなずいた。
二人は逃げる氏族歩兵の前に立ち塞がると、反撃を知らせるケダモノ地味た咆哮を上げ、目についた帝国兵を斬って斬って斬りまくることにした。
氏族歩兵たちも氏族長が戻ってくると、屈辱の退却が終わったことを悟った。
二人の族長を先頭に氏族歩兵が逆落としに帝国軍の先方にぶつかった。
相手が逃げるものだと思っていた帝国兵たちは突然の反撃に戸惑い、走り降りてくる氏族歩兵の剣や斧で頭を叩き割られながら坂を転がり落ちた。
「叩き殺せ!」
「一人も逃がすな!」
氏族歩兵の勇戦に励まされた義勇兵たちもそれに続く。
大きな髭を生やした帝国の高級士官が必死になって叫んだ。
「隊伍を整えろ!」
だが、もう手遅れだった。
一万の兵たちは上官を見失い、伝令は自分の隊がどれだけ散らばったのかも知らず、槍兵は組むべき同僚がおらず、各個に討ち取られ、降伏を叫んで剣を捨てた兵は運が良ければ志願兵に捕らえられたが、運がないものは氏族歩兵によりあっという間に斬り伏せられるか、踏み殺されるかした。
「隊伍を整えろ!」
そのうち、解放軍兵士たちは自分たちが背中ばかりを斬っていることに気づいた。
カスパール指揮下の兵士は全員背を見せて逃げようとしていたのだ。
そして、解放軍のなかにそれを容赦しようという者はいなかった。
水路利用禁止令と一人の勇敢な洗濯女の最期は既にディルランド全土に知れ渡っていた。
「隊伍を――ギャッ!」
一人、奮戦していた高級士官もまた槍を受けて落馬すると、降り注ぐ刃の下で肉が裂け、骨が砕け、四肢が斬り飛ばされた。
そして逃げた先で帝国兵たちは自分たちが拾い集めたはずのマスケット銃の一斉射撃を受けた。
荷馬車で簡単な防御陣地をつくったスヴァリスは安全な位置から容赦ない射撃を帝国兵に撃ち込んだ
最も安全と思われた逃走の最前で兵士たちが薙ぎ倒されると、戦意を失った兵士たちは武器を捨て、森に逃げるか、湖で溺れるかした。
帝国軍の精鋭一万が敗残兵となった瞬間だった。
デルレイド侯爵は判断を誤ったことを悟り、ロベールとともに北へ逃げた。
メダルの騎士はなんとか戦線を離脱できたが、カスパールはそこまで幸運に恵まれなかった。
二人の副官とともに捕らえられると、マグナスが大剣の一振りで三人の首を一度に刎ねられるかどうか、ハーラルにたずねた。
「賭けるか、トスティグの」
「できないほうに金貨十枚」
カスパールの命を救ったのは来栖の一言だった。
「待った待った!」
マグナスの剣は二人の副官の首を飛ばし、カスパールの皮を浅く斬ったところで止まった。
「なんだ!? せっかくいいところなのに!」
「そいつは総司令官の息子だ」
「じゃあ、敬意を払おう。安心しろ、めっちゃうまく首刎ねてやる」
「そいつは人質にして身代金にする」
「また、身代金か!」
「ちょっと考えがあるんだ。引き渡してくれ」
「まあ、いいさ」
マグヌスはカスパールの肩をつかみ、乱暴に立たせた。
「気をつけろよ。こいつ、漏らしてやがる」
――†――†――†――
リッツ会戦での帝国軍の被害は戦死、負傷、捕虜、行方不明全部合わせて八千以上。
それに加えて、荷馬車隊が運んでいた武器と食料のほとんどを置いていった。
捕虜のなかには総司令官デルレイド侯爵の次男カスパールがいて、解放軍側は身代金に金貨五千枚を要求した。
リッツ会戦での解放軍の勝利によってディルランド王国南部の解放軍による支配が確立され、解放軍は規模を拡大し、都市を次々と支配下に置いていった。
ただ、一つ。解放軍が見落としていたのは、その支配地域に潜む間者――一人の忍びの存在だった……。




