第十二話 ラケッティア、本拠地にこだわる。
マフィアの本拠地。
これについて、実像とイメージがかけ離れているので論じてみよう。
アニメや漫画で仕入れた情報ではマフィアの本拠地は豪邸やナイトクラブ、カジノ、果てはヘロイン工場だったりするのだが、実際のところ、マフィアが本拠地にするのは小さなレストラン、コーヒーショップ、食料雑貨店、精肉店、床屋、ガソリンスタンドの事務所だったりする。
マフィアだって一年三百六十五日、ビシッとかっこつけて、ナイトクラブできれいなおねーちゃんはべらしたり、高額ポーカーしたり、ヘロインを精製したりしているわけではない。
一年中入り浸る場所として、気楽な場所を好むのだ。
それに本拠地が小さいほうがFBIの盗聴器を探すのが比較的楽だし、正直なところ、マフィア以外の人間が軽々しく来るような場所を本拠地にしたくもない。
マンマの手料理食べて、気心知れた連中とカードをするときは政治家やジャンキーのような社会のクズを見ないで済ませたいのだ。
なるほど、マフィアが本拠地を選ぶにあたって地域密着型であるのはよく分かった。
だけど、お菓子屋を本拠地にするのはどうなのか?
マフィアとしてファンシー過ぎやしないのか?
これについては殺人株式会社の本部がブルックリンのキャンディ・ストアであったということを挙げればいいだろう。
ペロペロキャンディが並んだ店の奥では名うての人殺したちが殺人の注文を取っていたのだ。
だから、クルス・ファミリーが本拠地にお菓子屋を選んでも、まったく問題はないのだ。
どこかにめぼしい売りに出されてるお菓子屋はないかなと市街を見てまわっていたら、ガルッチ商会のごろつき二人がお菓子屋を荒らしているのを見つけた。
そこは双子のじいさんがやっている店で、おさめるショバ代が足りないせいでチンピラにタルトだのクッキーだのを床に放り出され、踏みにじられ、平手打ちを食らっていたのだが、四人が襲いかかってごろつきたちを半殺しにし(おれが半分でやめとけと念を押した。殺したらガルッチに飼われている警吏隊に手入れの口実を与えてしまう)、そのまま、用心棒的なやり方でまんまと本拠地を手に入れた。
「わしらは用心棒代など払えんが」
おれは金貨が百枚入った袋をカウンターに置いた。
双子は驚き、まったく同じ慌て方で眼鏡を落としかけ、声をそろえて女神の名を口にするということで、おれのなかでずっと前からくすぶっていた『双子テレパシー説』を裏づけた。
「当座の家賃だ。あんたがたは二人とも今まで通り商売ができる。しかも、わしの保護下でだ。かわりに奥の使っていない部屋と裏庭、それにときどき厨房を貸してくれればいい」
「ガルッチが怒りはせんかね?」
「心配しないでも、ガルッチはもうじき消える」
本拠地を確保したら、また街を出歩く。
たぶん来るだろうなと思っていたら、街路のど真ん中でガルッチの殺し屋剣士が六人かかってきて、返り討ちに遭う。
ぶち殺したてホヤホヤの死体を六つ残して、その足でローバン市の公示人ギルドに行き、最も声が大きくて、どんな内容でも恐れず知らせてまわれる公示人を雇う。
公示させる内容は『ガルッチ商会に関する情報には金貨一枚、特に役に立つものには金貨十枚!』
もちろんガセネタやガルッチの待ち伏せ場所にわざと誘い込むような偽情報をつかませたときはカネを返してもらうだけでは済まないのだが、それは言わせないでおいた。
そのくらい暗黙の了解で分かるだろうし、ペナルティというのは明白にするよりも、不明瞭にしてあとは各人の想像力にお任せしたほうが効き目がある。
おれは元の姿に戻って(お菓子作りというのはジジイの体のままでやるのは辛いものだ)双子から窯を借りて、四人が望むドルチェをせっせとつくることにした。
「なにが食べたい?」
「テスタ・ディ・トゥルコに一票!」
「アーモンド・ビスコッティがいいのです!」
「ジェノヴェーゼが食べたい!」
「ジェノヴェーゼ……」
「じゃあ、民主主義の原則にのっとって、ジェノヴェーゼに決定」
ぱちぱちぱちぱち。
マリスとアレンカは自陣営の負けを認め、相手の健闘と称えた。
そもそも、こいつらに嫌いなお菓子などないのだから、つくられるお菓子はなんでもいいのだ。
さて、ジェノヴェーゼだが、もちろんニューヨーク五大ファミリーのジェノヴェーゼではない。
丸くて平たい焼き菓子でなかにカスタードクリームが入っている。
レモンピールをすりおろしたものをクリームに混ぜておくと、なんというか、普通のカスタードクリームではなく、こう、しちりあーっ、って感じになる。
まあ、なんでもレモンの風味を加えると、しちりあーっ、って感じになる。
丸いタルト生地でクリームを挟むので、どことなくどら焼きに似ている。
でも、それを言い出すと、カッサテッレ・フリッテは餃子そっくりなのだが、この世界には餃子はないらしい。
いつか餃子パーティを開くのも悪くない。
ジェノヴェーゼが焼き上がり(電気をつかったオーブンなんてないので、この世界に来てから窯の使い方がうまくなった)、陽が傾き、城門が閉じられるくらいの時間になった。
情報提供者は現れない。
ガルッチの報復を恐れているのだろう。
だが、こっちは城門でピンはねデブの喉を掻っ切って、ガルッチの送ってきた殺し屋六人を逆に墓場送りにしている。
暗黒街の権力地図が大きく塗り替えられつつあるのをひしひしと感じ、新しい支配者に媚を売るのも悪くないと思っている抜け目のないやつもいるはずだ。
アサシン娘が奥の厨房でおれがしこたまつくったジェノヴェーゼをせっせと平らげているあいだ、おれは菓子屋の店先に三本足の腰かけを置き、情報屋が来ないかと待っていた。
店はもう閉まっていて、おれのすぐ横では双子が自分たちで仕込んだ果実酒を錫のコップでやりながら、夕暮れ時の薄暗い街路を歩く知り合いに声をかけている。
双子は天使の羽根が降ってくるほど昔から(※ すごい昔というこの世界の慣用句)、ここで焼き菓子を売り、日が暮れると、店先に座って、果実酒をすすってきたらしい。
「坊主。お前さんの叔父さんは恐ろしい人だなあ」
「ただの商売人だよ」
「わしらだって、ここで天使の羽根が降ってくるほど昔から商売をしているが、あんなおっかない商売は見たことがないな。ガルッチの後ろにはガルムディアがついてる。ガルムディアが怖くないんかな」
「ガルムディアだって無敵なわけじゃないでしょ?」
「だが、今じゃディルランドはやつらのものだ。そりゃ、表向きはディルランド貴族を数人立ててディルランド共和国なんて言っているが、そのうち帝国に併合される」
「名城も小さなアリの一噛みからじわじわ崩すことができる」
「きいたことのない言い回しだな」
「おれが住んでたところのことわざ」
「ほんとにそうなるかねえ」
なるともさ。
事実、ほら、さっそく情報提供者がやってきた。
――†――†――†――
「まずはっきりさせておきたいのだが、わしは代言人だ。密告屋ではない」
「わかった。あんたは密告屋じゃない。代言人だ」
代言人。
法律の知識がなく、口下手な人間のかわりに法廷で弁論を行い、依頼人を勝たせる。
簡単に言えば、弁護士だ。
大きな灰色の顎髭に丸い眼鏡をかけた姿は知的で話好きしそうな好々爺に見えるが、目にはこれでもかと野心をくべた炎が燃え上がっていて、このタレコミでもう一段、いや五段か六段上の人間になってやるんだという気迫に満ちていた。
代言人ストラフォードは爪の先から顎髭の形までめかしこみ、胸に絹、肩に毛皮、首に貴金属、指に宝石と配置を誤らず、高価な衣類と装飾品を一分の隙もなく着こなしている。
身なりに気を使うのは弁護士にしろ代言人にしろ第一の鉄則だ。
もし、大物麻薬ディーラーが弁護を頼もうとして、その弁護士がスーパーマーケットの二階で買った安っぽい皺だらけのよれよれのスーツを着ていたら、そいつに弁護を頼む気になるだろうか?
弁護士たるもの、食費を減らしてでも依頼人よりもいいものを着ていなければいけない。
「ちょっと叔父が出かけているんで、おれがかわりにきくけど、どんな情報をもってきたんです?」
「ガルッチの行きつけの床屋がある。子分どもは外で見張っているから、裏口から入れば、気づかれない」
「それはまた重大な情報ですねえ」
「わしとガルッチは三十年来の付き合いで、あいつが騎士団や警吏ともめ事を起こすたびにわしが出張って、騎士団長や判事に金貨がずっしり入った袋を渡して、やつのもめ事を塵芥と一緒にゴミ箱に叩き込んできた。法律顧問をしてきたんだ。わかるか?」
「ああ。分かるよ。でも、三十年来のパートナーの行きつけの床屋を教えるとなると、相当なもんだ。それを知って、おれたちがガルッチの髪にシャンプーしてやるだけで済まないのは分かってると思うけど――」
「マスター! マスター! ジェノヴェーゼがなくなった!」
ストラフォードは裏庭の出口からきこえたツィーヌの声に怪訝な顔をした。
「気にしないでくれ。話の続きを」
「あ、ああ。わしとガルッチはうまくやってきた。ところが、ガルムディアが攻めてきて、この街を支配すると、あいつはわしを法律顧問から外して、ガルムディア人の代言人を法律顧問にした。離婚訴訟一つだって、ろくにさばけない無能をだ。帝国軍にすり寄るためにだ。三十年だぞ! わしがいなければ、今ごろ牢屋で白骨死体になっているはずの男が街の顔役としてのさばれるようにした恩人をちり紙か何かのように捨てたんだ。だから、こっちも捨てることにした。そして、新しい雇い主につく」
「それって、つまり、叔父さんのために働くってこと――」
「マスター! おなかがすいたのです!」
「そうとってもらって構わない。わしは暴力沙汰は不得手で、法律と司法官の買収が専門だ」
「マスターに告ぐ、マスターに告ぐ! 今すぐ戻ってきてボクらのためにマグロをグリルせよ! 繰り返す! マグロをグリルせよ!」
「つまり、叔父さんがカネを用意すれば、叔父はこの街の判事と騎士をポケットのなかに入れて、小銭みたいに使うことができるってこと?」
「はやい話がそういうことだ」
「きっと叔父さんも興味を――」
「マスター! マスター! マスター! マスター! マスター!」
「すんません。ちょっと席を外します」
厨房に戻ると、四人がナイフとフォークをもって、メーデーのデモ隊みたいに声をそろえて、マグロをグリルしろ、オレガノと一緒にグリルしろ、と要求してきた。
「うるせえぞ、お前ら! いま、ネズミと話してんだよ!」
「知っているさ、マスター。でも、おなかがすいて死にそうなんだ」
「あんだけジェノヴェーゼ食べたのに? どういう胃袋してるんだ、お前ら」
「甘いものは別腹って言うでしょ。本腹はすきっぱなしよ」
甘いものの別腹に対し、ご飯を入れる部分を本腹と呼ぶ概念は今初めて知った。
ひょっとして、この世界の人間の胃袋は本当に二つに分かれて、片方がお菓子専用、もう片方がご飯専用になっているのだろうか?
ンなわけあるか。あほらし。
「とにかく、今、敵のボスの居所が分かるか否かの瀬戸際なんだ。これが終わったら、マグロでもクジラでもグリルしちゃる。だから、いい子にして待ってろ」
ストラフォードが待っている裏庭へ戻る。
「あの少女たちはなんです?」
窓からひょっこりアレンカが顔を出す。
「アレンカはマスターのお嫁さんなのです!」
「あーっ、アレンカ、ずるいぞ!」
「アレンカは罰として、明日の暗殺あみだくじから外すことに賛成の人、手挙げて」
「はい」
「……はい」
「はい。過半数」
「うー。かわいそうなアレンカ。小姑たちにいじめられるのです」
「誰が小姑よ、誰が!」
おれはとびっきりの笑顔で言った。
「あいつらは無視してください」
「無視?」
以前、ファストフード店でスマイルくださいと言ったら、女性店員にギェーッと泣きわめかれたおれだけど、スマイルをもらえないからといって、おれ自身がスマイルできないという法はない。
「で、ガルッチ行きつけの床屋なんスけど」
「セント・グラフ広場にある床屋だ。やつは朝、必ずそこで髭を整える」
「三十年一緒にやってきたパートナーへ伝言はありますか?」
「わしがよろしく言っていたと伝えてくれ」




