第三十一話 騎士判事補、風の影。
ガンヴィルとその郊外でブノワン辺境伯、セビアノ司教、帝国宮廷顧問官サラディナ伯爵、そしてメダルの騎士があいついで殺されると、アストリットはダンジョン近辺で一番脚の速い馬でガンヴィルに行き、土地の騎士団と町人からなる自警団を聖院騎士権限で動員した。
ロランドはというと、〈ちびのニコラス〉へ駆けつけたが、クルスとその甥、四人の少女、それにエルネスト・サンタンジェリは逃げた後だった。
クルスという男の底知れなさは深まる一方だ。
それも危険なほうへと深まっている。
ウェストエンドで菓子職人ギルドをつかった脱税はまさに知能犯の仕業だったし、こうしてダンジョンに経済を寄生させて、一つの都市に築き上げた手腕もすごい。
だが、今回の事件でロランドはクルスの本性を見た気がした。
友人に祝福を。敵に破滅を。
そんな言葉がふと思い浮かぶ。
本性と言えば、自分も本性を隠していた。
「しっかし、ロランドが聖院騎士だったなんて驚きだよなあ。エレットの兄貴がダンジョンのヌシだってことよりも驚いたぜ」
「そんなに驚いたか?」
「そりゃあ、もう」
そこはダンジョン地方へとつながる谷の入り口だ。
街道から分かれた道は緑樹のせり出した森のすそをかすっていて、ダンジョンへ向かう冒険者向けに回復薬や魔物除けのまじない札を売る小さな店が数軒並んでいる。
その屋並びの街道側に近いあたりに樫の若い樹がある。
ロランドを見送りに来たエレットとグレヴェザはその木陰で立ち止まった。
「ロランドさんはそのクルスという方を追われるんですね」
エレットの問いに、ロランドはうなずく。
「ロランドさまのおかげでわたしはお兄さまと会うことができました。本当なら、今度はわたしが恩返ししなければいけないのに――」
「それについては前も言った通りだ。これはおれとあいつの問題。それにせっかく会えたんだ。お兄さんとたっぷり楽しい時間を過ごしてくれ」
「ああ、ロランドさま。わたしは幸せ者です。だって、ロランドさまはお兄さまと楽しい時間を過ごせとおっしゃられるのに、わたしはお兄さまに見つめられると、頭がぽっとなって――」
「ストップ。それ以上は勘弁してやれ」
「あら。まあ、わたしったら」
誰ともなしに、ぷっ、と噴き出した。
短いあいだだったが、命を預けあった仲間だ。別れるときは笑顔で別れたい。
「パーティに残るのはおれと婆さんだけか。エレットは兄貴と暮らすし、アストリットとロランドは聖院騎士の仕事に戻るんだもんなあ」
「グレヴェザはダンジョン探索を続けるのか?」
「あのダンジョン、まだ深くなっていってるんだぜ。攻略のし甲斐がある」
「二人だけで無茶はするなよ。まだ、カレンさんの腕だって治ってないんだし」
「わあってるよ、無理はしないって――おい、ロランド。あれ、見ろ」
カレンだ。青い三角巾で腕を吊った女剣士はまるで太陽に当たると不機嫌になるバンパイアみたいに顔をしかめながら、三人のほうへとやってきた。
意外だった。カレンは来ないのが当然だと思っていたからだ。
ロランドのそばまで黙ってやってくると、機嫌がいいのだか悪いのだか分からない常咲きの仏頂面で、手を出せ、と言い、ロランドの手に鋼づくりの短剣を置いた。
「これは?」
「餞別だ。やる」
ロランドがいつも太ももの鞘に入れていた短剣はデビルゴートとの戦いでなくしていた。
それっきり毎日の癖で空っぽの鞘をつけたままにしておいたのだが――。
短剣を鞘に差し込むと、計ってみたようにぴたりと納まった。
もうカレンは三人に背を向けて、足早に帰ろうとしていたので、ロランドは大声で礼を言わなければいけなかった。
きこえたかどうか、微妙だったが、少し顔を動かして振り返ったから、たぶんきこえているんだろう。
「これってツンデレの一種か? 相変わらず、何考えてんだか分からねえなあ」
「あら、わたくしは分かりますわ。こうして、わざわざ来てくれたことが雄弁に語ってくれていますもの」
「そんなもんかねえ。で、ロランド。その短剣、いいものか?」
「ああ。無骨だが厚金造り。カレンさんになんとなく似てるな」
「せいぜい大切にな」
「もちろんだ」
「じゃあ、婆さんも渡すもの渡したみたいだし、壮行会もここまでにするか。でなきゃ、おれたち、ここで日が暮れるまでだらだら駄弁っちまうからな」
「ああ。見送りありがとう」
「ロランドさま。どうかお気をつけて」
「ありがとう。エレット。お兄さんによろしく」
「じゃあな、騎士どの。縁があれば、また会える」
「ああ。また、な」
ロランドは背を向けて、街道へつながる小道を歩いた。
木立に差しかかって、グレヴェザとエレットの姿が見えなくなり、エレットと二人でこの道を歩いたときのことを思い出した。
あのときはここにクルスがいるなどとは思ってもおらず、クルス探しを遅らせるつもりで、エレットの兄を探すつもりだった。
それが創造の女神の思し召しで、エレットの兄もクルスも見つけたのだ。
突然、緑樹が左右に引っ込んで、道が開けた。
それと同時にこれから自分が歩むであろう旅の道が見えた。
青く冴え渡った風の道がどこまでも地平の彼方へ続いている。
その末にあるものが何であるのか見ることができないのは、運命を固めるだけの経験がないからだ。
これから、いくつもの出会いと別れがある。
その一つ一つがどんなふうに自分を成長させるのか。
その全てが過去のものとなったとき、旅の結末は自ずから現れるのだろう。
若いロランドはそれが待ちきれず、風の影を踏むように走り出した




