第二十五話 ラケッティア/騎士判事補、ほんの小手調べ。
「クルス氏と話がしたい」
厨房の入り口の柱にもたれながら、テンション高いバージョンのセバスチャン・グローシアス相手にどうしてこんなうまいカノーリがつくれるのか、くっちゃべっていたら、騎士を名乗る男が現れた。
「伯父は出かけてていないんだ」
正確に言うと、クルスに変身できる薬を調合できるツィーヌが出かけている。ストックもないので、ゴッドファーザー・モードで相手ができない。
こういうとき、対処に困る。
おれがかわりにききましょうかとたずねると、相手は必ずナメられたと勘違いして、いやあな顔をする。
こんなガキ相手に大切な用件は話せないというわけだ。
どのみち、おれがきくことになるのはかわりないのに。
見たところ、立派な風采だ。大きなフェルト帽に銀の拍車がついた真新しい革のブーツ。品のある髭を整えた美男子で、全身から高貴な方の代理人をしてるんですよオーラを発している。
「では、クルス氏に伝言を伝えていただきたい」
おっと。伝言ときたか。
いいっスよ。ききましょう。
「ブノワン辺境伯がこちらの土地の買戻しを希望しておられる。辺境伯の従兄にして高名な白魔術師であり異端審問官でもあられるセビアノ司教猊下も、この魔物の地を聖化するのにそれが最適であり、辺境伯閣下を応援するつもりである」
「買戻し金額は?」
「王国金貨で千枚。あなたの伯父御は賢い方と評判だ。きっとこの取引に興味を持つ」
「どうだろう? ああ見えて、伯父さん、結構気難しいから。気が乗らないかもしれない。何分、年寄りだからね。もし、伯父が嫌だと言ったら?」
「お互いに望ましくない状況だな。最近、ダンジョンではモンスターが強化されて大変なそうだが、ウェストエンドから撤退するようにうまくはいかない」
「んー。そうかもね。で、伯父さんにあなたのことはなんと伝えたらいいかな?」
「メダルの騎士が来た。そう言えば分かる」
いや、分かんねえよ。なんだよ、メダルの騎士って?
メダルの騎士は手近にあったコップの酒を飲み干すと、うまい、と言って一枚銀貨を置いていった。
盾に何かよく分からん細かい模様が刻まれた銀貨だ。
この世界の貨幣について勉強したので分かるが、これはガルムディア帝国で使われている銀貨だ。
ガルムディア帝国というのは大陸の東部にある大きな帝国で、ゲームやアニメでよくある帝国だ。
つまり、領土にがめつくて、あちこちの国にちょっかいを出す悪者。
かといって、アルデミル王国が正義の味方なわけでもないのだが。
それにしても大した偶然じゃねえか。
ダンジョンにおれもレイルクも知らないところから出たモンスターが冒険者たちをフルボッコにし始めたところで、おれにこの土地を売ったブノワンとかいう貴族が金貨千枚で買い取るとほざく。
金貨千枚なんて一月で稼げるくらいに成長したこのダンジョンを買いたたくために、貴族と異端審問官の権威に帝国の権威もおまけにつけて、おれに恐喝をくらわせるつもりらしい。
いい度胸だ。実にいい度胸だ。
ウェストエンドから逃げたのはあの土地に嫌気が差したからだ。
あんな儲かんねえ戦争のためにうちのアサシン娘を使えるかってんだ。
それにしてもメダルの騎士ってのはなんなんだろうな。
こんなときこそ相談役の出番だ。
エルネストにあてた仕事部屋が〈ちびのニコラス〉の二階奥にある。
ノックして入ると、エルネストが書き物をする手を止めて、その金髪がふわっとするくらいにいい笑顔で、今、偽造している書類の悪魔的企みを説明した。
「退屈しのぎでつくった趣味の子なんだけどね、この子を王国司法の正規の命令ルートに流せば、紋章裁判所の裁判長から下働きの小僧まで、みな逆立ちして裁判所に通うようになる。逆立ちできない場合は死罪だから、たぶんアルデミルじゅうで逆立ち教室が流行るだろう。そんなものあればの話だけどね」
「メダルの騎士、って何か分かるか?」
「もちろん。ガルムディア帝国の諜報機関だ。何か欲しい書類があるのかい?」
「いや、さっき店先にそいつが現れて、ここら一帯を金貨千枚で譲れと言ってきた。やつらについて教えてくれないか?」
「〈メダルの騎士団〉。正式な名称は皇帝直属官房第十部。表向きは皇帝の個人的な秘書事務局だけど、実際は皇帝子飼いのスパイの集まりだ。長は秘書長官で、国内外の諜報活動を握っている。メダルの騎士とは秘書長官の部下である高位諜報員のことだ」
「じゃあ、メダルのドン・キホーテがいて、メダルのサンチョ・パンサもいるな」
「なんだい、それは?」
「気にしないでくれ。おれがいた世界で史上二番目に最も多く読まれた本の登場人物たちだ」
「一番目は?」
「聖書。こっちの世界でいう聖典だ」
「どこの世界も信心第一なわけだね」
「メダル野郎どもはどのくらいいるのかな?」
「幹部クラスが三十人。その三十人の下にそれぞれの子飼いの部下。彼らが一体となって、皇帝が知りたいと思うことをすぐに知らせ、皇帝がある国をかきまわしてレンズ豆のスープみたいにしてやりたいと思ったら撹乱工作に励み、皇帝がある人物が明日も元気に歩くことに我慢ならないと言ったら、暗殺する。ところで、彼らには秘密のメダルが与えられている。お互いの顔を知らないメダルの騎士が仲間である確認のために使うメダルで、その意匠を知るものは皇帝と〈メダルの騎士〉だけだ」
「ひょっとして偽造したものがあるのか?」
「もちろんあるとも」
エルネストは立ち上がると、ベッドの下から大きな革のケースを引っぱりだした。
真鍮の留め金を外してみせたそのなかにはあらゆる国の贋金と偽勲章がビロードで内張りした窪みにピタリとはまり込んでいた。
そのうち一つを取り出して、手のひらに乗せる。
メダルは青銅製での聖職者らしき横顔が打ってある。
どことなく古代っぽくて、古の都ローマでマンホールの蓋にされていてもおかしくないデザインだ。
「これがメダルの騎士のメダル。なんかややこしいね。ちなみに、この顔は初代皇帝の間者頭であった司祭マオロレンケの横顔だ」
「これもあんたがつくったのか?」
「恥ずかしながら贋金づくりにハマっていた時期があってね。鋳物屋の真似事をしたときにつくったんだ。でも、結局、ぼくの天職は書類偽造屋だと分かって、贋金からはきれいに足を洗った」
「人に技あり歴史ありだな。しかし、そんなワルモン帝国のスパイ野郎がたかだか金貨千枚の土地取引に出張ってくるとは思えない。こりゃ裏があるな」
「それについては簡単に知れる。彼らがメダルの騎士を動かすとしたら、領地を広げるためだ」
「やることが単純すぎて、目的が隠せないわけだ」
「こういう悪事、きみとしてはどうなんだい?」
「政治家のやることだな。マフィアのやることじゃない」
「じゃあ――」
「全面戦争だ。まずはダンジョンで暴れてる馬鹿どもを潰す。といっても、アサシン娘たちが帰ってこないと何もできねえけど、まあ、帰ってきたらできるだけはやく問題に片をつけて、相手の出方を待つ」
――†――†――†――
最初に天井が見えた。
石造りの天井に灯のないランプが底を見せている。
必要ないのだ。
光は窓から差し込んでいて、盥に張った水の影が天井で踊っているから。
はぁ、とため息がきこえた。
ロランドが首を動かすと、そこにはアストリットが腕を組み、仕上げがない真新しい木の椅子に背を押しつけて座っている。
表情は不機嫌にも見えるが、彼女はそこそこ機嫌がいいときだって、難しい神学上の葛藤にぶつかっているような顔をしていることを思い出した。
「……みんなは?」
「無傷、というわけではないが無事だ。お前が一番の重傷だ」
「そうですか……それであのモンスターたちは?」
「倒せるわけがないだろう。死にもの狂いで逃げたよ。お前もよくあれだけ長い時間生き残れたものだ」
「即座にやられたと思ってました」
「ん?」
「覚えてないんです。どんなふうに戦ったか。だから、最初の一撃でやられたんだと――」
「覚えていないほうがいい。あんな捨て身の戦い方、次は必ず失敗する」
「はい……」
「だが、助かった」
そこで初めてアストリットの顔に微笑みの、継子か継母のようなものがよぎった。
「あの、アストリットさん」
「なんだ?」
「ここに来た目的、教えてもらえますか」
「ああ」
アストリットが懐から小さな細工品を見せる。
黒い鋼でできた双頭の鷲だ。
「お前をつぶしかけた例の機械にこれがついていた」
「これは――」
「双頭の黒鷲。ガルムディア帝国の国章だ。つまり、こうだ。最近、ガルムディア帝国の侵攻主義が宮廷を席巻し、いくつかの侵攻計画を立てた。デビルゴートたちの装備と訓練のあとが見える統率の高さ、そして、あの機械。ガルムディアはここでなんらかの騒ぎを惹き起こして侵攻の口実を手に入れるつもりらしい。それに新型の魔法生物、つまり、あの機械だが、あれの性能試験もここで済まそうとしたわけだ。知っての通り、ガルムディアは精霊の女神教会を受け入れず、皇帝を頂点とするガルムディア国教会を信仰しているから、聖院騎士団の支部を置くことができない。そのため、敵が動きを見せたら、即対応し、情報を収集することになった。だが、アルデミル王国はガルムディアと積極的に事を起こすほどの気迫もない。さらにブノワン辺境伯はダンジョン地域を奪い返すという目先の利益に釣られて帝国を後ろ盾にしたので、下手に動けば内戦だ。それで教会からは話が小さいうちにガルムディアの策動を抑えるよう命令が出た」
「――クルスは今回のことにどう関わっているんでしょう?」
「変な言い方だが、被害者だな。崩れた旅籠一つのこの地域をここまで広げたのはクルスだ。それを二束三文で買いたたくというのだから、クルスも黙ってはいないだろう。お前がクルスの追跡に入れ込んでいるのは知っている。だが、帝国を後ろ盾につけたブノワン辺境伯相手にはできないだろう。仮にクルスが辺境伯とガルムディアを向こうにまわして、戦争をするのなら――そして、万が一、勝つようなことがあったら、脅威はむしろガルムディアよりもクルスのほうなのかもしれない」
アストリットが言葉を切る。
エレットが現れたからだ。
意識を取り戻したロランドを見たエレットは摘んできた花籠を落として、ロランドに抱きついた。
「いたたっ!」
「あっ! す、すみません……でも、無事でよかった」
アストリットは椅子から立ち上がり、部屋を出た。
そのうち、エレットが病院食の卵黄入りクリームをさじですくって、ロランドに食べさせたりするのだろう。
アストリットは人情の機微に通じたほうではない。
だが、そのくらいのことは分かるのだ。




