第十五話 ラケッティア、貸し装備業を始める。
施療院のベッドで一日を過ごしたのはそれなりに有益だった。
考えてみると、おれはこの施設での治療行為の全部一切をシスターたちに丸投げしていて、きちんと出来上がった施療院のなかをゆっくり見ることもなかった。
患者一人につき、清潔なシーツと木製のベッド、陽の差す窓、洗面器、尿瓶、それに呼び出し紐があって、それを引くと、宿直室のベルが鳴りだす仕組みになっていた。
他にも薬草園や治療魔法の使えるシスターたちの簡素な修練場があり、手厚い看護を受けた男たちがよくやる看護婦への一目ぼれと失恋の絶え間ないサイクルもまた健在だ。
おれはというと、怪我をした冒険者たちの会話に耳を傾けていた。
お客さまの声をきくのはマーケティングの基礎。
特にここで寝込んでる連中はダンジョン探索に失敗した連中だから、その発言はクレームに傾きがちだ。
もちろん、トチ狂ったモンスタークレーマーもいる。モンスターを倒したらすぐその場で現金収入が得られるようにしろとか、町にある箪笥を全部漁らせろとか、ドラクエでおなじみのシステムだが、ここでは一顧だにする価値のないふざけたクレームに過ぎない。
ただ、そんな馬鹿どもはほんのわずか。
多かったクレームは自分たちの装備の貧弱さを嘆く声だった。
「虫野郎にきりかかったら剣が弾き返された」
「鎧が重いばかりで衝撃に全然耐性がなくて困ってる」
「もっといい素材の杖があれば、魔法ももっとよくなるのに」
で、つくってみました装備貸出業。
〈ちびのニコラス〉に使っていない広めの地下室があったので、そこにガンヴィルで金貨二千枚使って、中古だが非常に性能の優れる武器と防具を買い集めて、保管した。
貸し出すにあたっては装備に等級をつけて基本料金と冒険家から跳ねる上前を細かく設定し、選択の幅をひろげて、様々なニーズに対応。
跳ねる上前はけっこう高めにしたのでどうだろうかと思ったが、これが当たった。
なにせこれまでモンスターにぶちのめされてばかりの駆け出し冒険者のパーティがなんとか現金収入を得られるようになったのだ。
もちろん、こっちは取り分から半分をいただくから恨みがましいことの一つや二つ言ってくるやつもいるが、でも収入ゼロよりはマシかと思って引き下がる。
さて、この商売のリスクは二つある。
一つはダンジョン内での貸し装備の損傷や喪失だが、これについてはうちのダンジョンはなし。
モンスターのちょっとやそっとの攻撃で傷だらけになるようなやわなものは買ってこなかったし、また装備を借りた連中がダンジョンに入ったきり死んでしまって消息を絶つというのもうちのダンジョンではない。半殺しとはいえ、必ず帰ってくるのだ。
むしろ、問題なのは借りた装備をつけたまま逃げることだ。
貸し装備屋を開店する前、ツィーヌとアレンカを呼んで、そういう不心得者が出たときにけちょんけちょんにする何かうまい魔法はないかとたずねてみた。
「この地形全部を囲む結界をつくって、装備をつけたまま外に出ようとしたら、半端じゃない頭痛に見舞われる魔法があるにはあるけど」
「いいねえ、万力で頭締め付けるクラスの痛みを頼むよ。スコセッシの『カジノ』のワンシーンみたいに」
「でも、呪いがきくのは装備をつけていた場合だけなのです。外して持ち運んだり、馬車に乗せたりしたら、どうしようもないのです」
「問題はそれよねえ――あ、アレンカ。あなた、魔法契約書、つくれるでしょ?」
「なんだ、その魔法契約書ってのは?」
「アレンカが説明するのです。えーと、うー……」
「普通の契約書と同じよ。ただし、破ったら、魔法が呪いの形で降りかかる」
「へー。そんなことができるのか」
「もし、契約を破ったら、わたしのつくった毒が生き物みたいに動き出して契約違反者を追っかけて、その違反者の食べ物に忍び込む。それで一発あの世行き」
「いや、そこは制裁のグレードをもうちょっと下げてもいいかな」
「じゃあ、吐き気と下痢が止まらなくなる」
「いいねえ。じゃあ、それで行こう」
開店初日、分不相応にいい剣やいい鎧をつけた馬鹿どもが十一人、谷の出入り口で頭を抱えてギャーギャーわめきちらしながら、のたうちまわり、ノロウィルスばりの上と下からのカーニバルに苦しめられた知能犯気取りが二人盗んだ装備を返しに来た。
世に盗人の種は尽きまじ。
魔法がもたらす激痛の数々はいい見せしめになり、初日以降、借りた装備を外に持ち出そうとする馬鹿はいなくなった。
と、思って油断していたのは開店から二週間後。
話は現在に戻る。
わたくし、何をしているかと言いますと、ただいまガンヴィルのオークション・ハウスにて、例の気取ったオーナー、ルックウェル氏の執務室にゴッドファーザーの見た目で座っています。
ちなみにジルヴァも同じ部屋にいますが、そこはクルス・ファミリーの隠密番長。
まだお昼ですが、カーテン閉じて、灯りを消したら、気配まで完全に消えて、闇のなかに見事に溶けてます。
さて、おれとジルヴァがなんでガンヴィルのオークション・ハウスくんだりまで出かけたかというと、なんと貸し装備を頭痛や腹痛に悩まされることなく持ち出しやがった野郎がいやがったので、そいつの討伐のために繰り出しました。
その不届き者、なんと魔法契約書を隙を見て、偽物とすり替えて、まんまと契約書の呪縛を避けてしまったわけです。
そいつが盗んだのは虹の胸甲と呼ばれる金貨百五十枚相当の胸当てで、名前の由来は魔法を跳ね返すと言われるタゴバーン貝の真珠層を表面にあしらっているから。
貸し装備のなかでは一番高価で、それを一日だけ借りたいといって、金貨三枚の基本料金を払ったのだが、こいつがまんまと逃げやがったのだ。
顔は覚えているが、髭もじゃだったので、たぶんもうそり落としているだろう。
偽の契約書にかかれたのだって、偽名だろうし。
あきらめて金貨百五十枚を貸倒損失として帳簿の借方につけた。
ところが、このド阿呆。逃走から三日と経たずに尻尾をつかんでやりました。
順を追って説明するとですね、敵の魔法を跳ね返せる装備は虹の胸甲だけだったので、何かそれに代わる防具なりアクセサリーなりがなければラインナップに華がない、ときたので、オークション・ハウスまで片道五時間の道をジルヴァが手綱を取る馬車でゆられるはめに。
あの敵対的だったルックウェル氏も今ではとってもとっても友好的になり(貸し装備のほとんどはここから買い取ったのだから、そりゃ機嫌もよくならぁな)、こっちの探しているものについて、教えるとすぐにいいものが出ている、と言った。
「まさにお客さまのご要望を叶える、それは素晴らしい防具です」
「それ、いくら?」
「本来でしたら、オークションにかける品ですが、他ならぬクルスさまがお求めともなれば、金貨百五十枚でどうでしょう?」
「……それ、まさか、虹の胸甲じゃないよね?」
「どんぴしゃ、その通り。虹の胸甲でございます」
ジルヴァにインク壷と羊皮紙を使ってルックウェル氏を文字通り締め上げさせ(インク壷と羊皮紙にあんな恐ろしい使い道があったとは知らなかった)、ルックウェル氏がグルかどうかを確かめた。
ルックウェル氏はすっかり怯えて、全部ゲロした。
自分はただワケありの品をさばいてほしいと言われただけで、その品がクルスの貸し装備屋から盗まれたものだなんて知らなかったのだそうな。
「いつから高尚なオークション主催者は盗品売買に手をつけるようになったんだ?」
「こ、これが初めてです」
「信じられないな」
「あんまりにも旨みのある手数料を提示されて」
「ほう。いくらかきいても?」
「ほんの金貨八十枚です」
「半分以上じゃねえか!」
「ひっ」
「で、これを持ち込んだ盗人野郎はいつカネを受け取りに来るんだ?」
「もうじき、たぶん二時間後――」
「じゃあ、ここで待たせてもらうか」
「も、もちろん虹の胸甲はお返しします。それも無償で!」
「それで恩に着ろってか? もともとおれのもんだろーが! ジルヴァ、こいつを縛って、そこの長持ちのなかに閉じ込めろ。盗人野郎と感動のご対面と行こうじゃないか」
で、普段から携行するようになったツィーヌの例のお薬でゴッドファーザー・モードに。
発光石が入ったアラバスターの室内ランタンにルックウェルのきていた上っ張りをかぶせると、部屋は真っ暗になった。
で、執務室の椅子に座って待つこと、二時間。
ようやく盗人野郎がやってきた。
「おい、ルックウェル。カネは用意できたか――って、なんだ、こりゃ? なんで、真っ昼間から、こんなに真っ暗なんだよ? 下らねえ冗談に付き合ってるヒマはねえんだ。こっちは次のヤマが控えてるんだぞ」
盗人野郎が真っ暗な部屋へ三歩踏み込んだところでランタンにかぶせたジャケットを外して放り投げる。
部屋が白い光で薄ぼんやりと照らし出され、盗人野郎とご対面。
予想通り髭を全部そり落としてやがった。
ダンジョンで見かけたときよりもずっと小洒落た格好だ。サテンの飾り襟つきのシャツに繻子のベスト、大きな白い羽がついた帽子を手に下げ、剣は銀のバックル付きのベルトで下げている。
おれの顔を見たときの盗人野郎の顔。
その顔を見て、久々にゴッドファーザーらしいことができたことに感謝したくなった。
ピュルン。
ワイヤーが空を切って、盗人野郎の首に巻きつくと、ジルヴァがどうやったか知らんがウィンチでも使ったみたいに、盗人野郎の体が引っぱり上げられた。
ゲーゲー言いながら宙ぶらりんになっているあいだ、剣吊りベルトにしてあるのと同じバックルをはめた靴が求婚するミツバチみたいにブンブンジタバタしていた。
そして顔色はリトマス試験紙みたいな七変化を見せ始め、まずトマトやプラムとしては非常に魅力的な赤へと変じ、あじさいの花としては非常に魅力的な紫へと落ち着きつつあった。
そして顔色が海苔としては非常に魅力的な江戸紫へと変じかけたところで、おれは手を鷹揚に上げた。
「そこまで」
ワイヤーが少し下がり、盗人が必死に爪先立ちになってなんとか息ができるようになったところで、おれは話を始めた。
「どうしてここにわしがいるか、分かってるな? 分かったら二度瞬きをしろ。分からなければ固く目をつぶれ」
ぱちぱち。妙に睫毛の長いまぶたが二度ほど、お目目をふさいだ。
「胸甲はもう取り戻した。だから、お前に取引材料はない、と言いたいところだが、一つだけ売り物が残っている」
おれは例の偽の魔法契約書を取り出して、灯りの近くで軽くふった。
「これをつくったやつの名前と居場所を教えろ。いやなら、この街で一番高い塔からお前を吊るしてやる。わかったか?」
一度は使ってみたかったイタリア語の決め台詞だ。
盗人野郎に通じたかどうかは分からない。でも――、
ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち。
高速二連瞬きを繰り返しているところからすると、意味は通じたようだ。




