第十四話 騎士判事補、ダンジョンへ。
そのダンジョンのある高地へ行くには小さな谷を通る必要がある。
もともと街道からそれた小さな道で、去年までそこにはなだらかな勾配の草むらがあるだけだったのだが、今はダンジョンへつづく小さな町の入口として、宿屋が三軒、短剣専門の鍛冶屋が一軒、それにダンジョンで発見された石だの草だのを売るいかにも怪しい店が二軒あり、そこから道沿いに屋台店が数軒並んでいる。
その向こうの原っぱには宿代をケチった冒険者や行商人のテントが密集していた。
ロランドもダンジョンについては多少知っているが、そもそも魔物の棲み処なので、人は寄り付かないし、せいぜいあるとしても砦みたいな宿屋が一軒、冒険者向けに立っているくらいだ。
それに比べると、このダンジョンの盛況ぶりは異常と言える。
「なんでも、このダンジョンでは今まで一人も死者が出ていないそうです」
エレットが言う。
ようやく謝罪以外のことを口にしてくれてロランドもほっとする。
ロランドがエレットの兄探しに同行したいと申し出たとき、エレットは断った。
――ロランドさんにも旅の目的があるのに、そんなことをしてもらったら悪いです。
ロランドは目的を隠し、旅の風来坊を装って、気にする必要はないし、ダンジョンに潜るなら一人より二人のほうが安全だと説いた。
で、ガンヴィルでも最近活発なダンジョンへと二人でやってきたのだ。
「一人も死者の出ないダンジョン? 魔物は出るのに?」
「はい。倒されると、ダンジョンの外にある施療院で目が覚めるそうです。これもきっと神の思し召しなんでしょう」
ロランドは聖院騎士としての修養を積んだし、信仰心もそれなりに篤いつもりだが、それにしては出来過ぎている気がする。
神の奇跡の可能性を否定するわけではないが、このことはもっと魔法的側面や錬金術的側面、地形が魔法その他にどのような影響を及ぼすかについて論じた地術学の側面から見てみる必要がある。
とは、思うが――、
「全てを見守り給う方よ。あなたのお慈悲に感謝します」
土の道で膝を屈して、弓を脇に置き、双十字を切ってから手を組んで祈るエレットの姿を見ると、あながち神の慈悲も捨てたものではないのかもしれない、と思えてしまう。
なにせロランドのほうは旅を始めてから、双十字を切るとか、お祈りを唱えるということにはすっかりご無沙汰になってしまっている。
通りすがった気の良さそうな術士らしい男を呼び止め、このあたりのことをたずねる。
「大盛況さ。それこそ〈ちびのニコラス〉がある辺りは飲み屋もメシを食わせる店もあるし、おれたちが命がけでダンジョンからかっさらってきた素材やお宝を買い取る店もあるし、お笑い劇をかける小屋もある。めかし込みたい洒落者向けの服飾店まであるってんだから驚きだ。おれが前に冒険したダンジョンとは大違いだ。あんときゃ、こんなふうに店屋や宿屋が一軒もなくて、テント暮らししながら、一匹の焼いたリスで三日間を食いつないだことがある。炎の魔法で焼き払ったゴブリンがすげーいい匂いに思えて、危うく食いそうになったこともあったなあ」
術士はもうそれなりに金が貯まったので、パーティを一度解散し、しばらくはどこか大きな都市で遊び暮らし、金がなくなったら、またここに戻るつもりだと言った。
「ああ、それと、お二人さん。ダンジョンに潜るなら一つ警告だ。まず目薬は絶対に必要だ。目をやる毒があるから。それと、もし、自前の武器や防具に不安があるなら、貸し装備屋に行ってみるといい」
「貸し装備屋?」
「保証金を払って、それにダンジョンで得た収入の半分を払う条件で、かなりいい剣や甲冑を貸してくれる」
「珍しい商売だな」
「ああ。そんな商売ここでしかきいたことがない。でも、すげえ儲かってるらしいぜ。まったくド偉いやつだよ、クルスの旦那は」
「クルス? クルスだって!」
「おや、知らなかったのかい? そこの谷の入り口からダンジョン、それにそのあいだにある町だのなんだのは全部まとめて『クルスのダンジョン』と呼ばれている。町の名前みたいなもんさ。で、ただダンジョンといえば、ここでは潜るほうのダンジョンとして通じるんだ」
「クルスについて他に知っていることはないか? なんでもいいんだ」
「やけに食いつくねえ。まあ、おれもあまり詳しくはないが、クルスは最初、このあたりの土地をブノワン辺境伯から金貨百枚で買い取った。それが数か月前の話。それからダンジョンで金貨二千枚相当の宝石が出て、ガンヴィルのオークションにかけられた噂が流れて、何人かの物好きがやってきた。そのころにはクルスの甥っ子が〈ちびのニコラス〉で営業を始めたらしい。〈ちびのニコラス〉ってのはこの町で一番古く、一番大きい旅籠だ。ここには役場がないから、事実上、〈ちびのニコラス〉がそのかわりだ。ここで店を開いたりするやつは三十平米につき月に金貨一枚、それにみかじめ料として稼ぎの一部を納めてる。まあ、ここにゃ税金がないから、徴税請負人のクズどもに比べれば、ずっと良心的な価格設定だ。それにクルスはまだこのあたりには潰れかけた〈ちびのニコラス〉しかなかった時期、金貨にして三千枚とも四千枚とも言われる大金を女子修道院に払って、施療院を運営させてる。施療院はリュデンゲルツ地方で最も質の高い治療と看護を無償で提供し、それが冒険者を呼び寄せる鍵の一つになり、この繁栄を築いた。クルスってやつは普通じゃない。欲の皮を突っ張らかすのをちょいと我慢すれば、もっと大きなカネが転がり込むってことをきちんと理解した恐ろしく頭の切れる男なんだよ」
「あなたの話をきいていると、まるでクルスに心酔しているようだ」
「そりゃそうさ。男に生まれたら、誰だってこのくらいの大事を成してみたいと思うもんだろ?」
「クルスどこに住んでいるんだ?」
「それはみんなが知りたがってることだよ。噂じゃクルスは〈ちびのニコラス〉に住んでいるらしい。らしいんだが、やつの甥っ子やそれにやつに仕える四人のおっかない女の子は見かけるけど、肝心のクルス御大はさっぱり姿を現さない。だが、何か面倒が起きれば、必ずクルスが現れてカタをつける。たとえば、ここでも、ほら、なんつーか、サイコロ狂いとか、あと、そっちのお嬢さんにはとてもじゃないけどきかせられないような稼ぎ方をしてる女たち、そういう連中が集まった場所があるんだ。そこで暴君みたいに支配者面していた野郎を始末して、誰がボスなのかをきっちり知らしめたこともあれば、青騎士党と紅の剣士団の抗争の仲介するときも、必ずクルスが出張る」
術士が立ち去ると、ロランドは〈ちびのニコラス〉があると思われる町のあたりをみた。
「あの。ロランドさん? どうしたんですか?」
「あそこにクルスがいるんだ……」
「クルス? 先ほど魔術士の方が言っておられた人の名前ですね。お知り合いなのですか?」
「おれは――おれはクルスを追って旅をしているんだ」
「――そうだと思ってました」
「え?」
「だって、――ロランドさん、とても楽しそうに笑ってます」




