第十話 ラケッティア、もふもふ近衛師団。
「左、右、左、右! ぐずぐずするな! 口で毛玉吐く前と後ろにマムをつけろ!」
「マム! イエスでち、マム!」
カジノに着いたら、フレイがもふもふ相手に『フルメタル・ジャケット』のリメイクをやっていた。
もふもふたちは庭園入り口の中央を走る緑樹と水の美しい石畳の広場で短い槍を肩に担って、五×五の方陣、二列縦隊、二列横隊と一つの意志を持つ大きな生き物のようにきびきびと隊列を変え続けた。
「次! 対機動兵器方陣隊形! うまくやれたら、わたしのアーカイブでデータをハックさせてやる!」
「マム! イエスでち、マム!」
「ぐずぐずするな! ジジイのネット検索のほうがまだ気合が入っ、て……え?……調練モードを終了します。司令、ご命令を」
「いやいやいや! 見ちゃったからね? もろに見ちゃったからね?」
「見た、とは調練モードのことでしょうか? 陸軍にも採用された、ごく普通の調練です」
えー、だって、フレイ、耳まで真っ赤よ? めっちゃ恥ずかしがってるじゃん、見られたくないとこ見られたー、って顔してるじゃん。
いや、でも、男たるもの、女の子のプライバシーは守らねばならぬ。
「そ、そうですね。ごく普通の調練です。なあ?」
と、おれがふると、フストが、
「ありえねー。だって、どうみても笑かしてくれる出来事が――ぎゃあ!」
ディアナとギル・ローがフストの左右のわき腹に肘鉄をぶち込む。
「ぜんぜん普通だよ、フレイ。うん、普通。これが普通じゃないってんなら、サアベドラの目の前で子どもにヤク売ってもいい。そのくらい普通。それにもふもふたちも喜んでるし」
もふもふたちはおれが襲われたと知って、王さまを守るでち! と、フレイに訓練を依頼したらしい。
泣けるー。もふもふしたかわいい生き物が健気すぎるー。
確かにこんなかわいい生き物に危害を加えられるやつはいない。
そんなもふもふがおれのまわりにいれば、鉄壁の要塞と化す……と思う。
――†――†――†――
もふもふ要塞の欠点。それはかわいすぎることだ。
もふもふたちに周囲を守らせてカジノを出ると、カルリエドと石切り魔族たちが「うわー、かわいいんよー」と七匹のもふもふをさらっていき、デモン通りからケルベロス通りへ出るあいだにも、もふもふのかわいさにキュン死に魔族たちに一匹、また一匹とさらわれて、門を出て、デ・ラ・フエンサ通りへ出るころにはあんなにたくさんいたもふもふも最後の一匹になっていた。
「王さまと最後までご一緒できるなんて感無量でち。全力でお守りするでち」
最後の一匹は非常に短い槍を上にぐいぐい持ち上げて、志半ばでさらわれた仲間たちの遺志を継ぐ。
文字面で見ると悲壮なシーンが思い浮かび、『義に飢えるものは幸いなり。彼は満ち足りるを知るであろう』なんて言葉も思い浮かぶ。
が、視覚的に見ると、かわいい以外の何者でもない。
本人は気づいていないが、ずいぶん前から小さな口から舌がちょっとだけ出っ放しになっている。
このもふもふと遊べるというだけでも、カジノの集客効果が見込めるくらいかわいいし、いい子たちだ。
そんないい子をエロ・カード印刷の現場に連れていくのは気が引けるが、あのカードを取り戻し、原版も一緒に取戻し、全部きっちり焼却処分するまでは心の安寧は手に入らない。
「待て」
ギル・ローが扉の取っ手に触れたとき、ディアナが鋭く言った。
「なかから気配がする」
「手入れの待ち伏せかな?」
「じゃあ、今日はもう帰るか」
「いや、ダメだからね? あのカードがサツの手に渡るなんて、想像しうる最悪の事態だから」
よし、分かった、とディアナは剣の柄に手を添えながら、扉を蹴り開け、なかへ飛び込む。
なかにいたのはトキマルだった。
印刷所の厨房のドアのそばに古いベッドがあり、そこに寝転がって、すーすー、寝息を立てていた。
「なんだ、脱力忍者か。おどかしやがって。それにしても、よくもまあ、油断しきってグースカ寝てくれちゃって。まあ、いい。フスト、すぐに例のブツを」
「ほい、きた」
フストはトキマルの寝ているベッドのそばで膝をつき、ベッドの下に手を突っ込んだ。
「そこが隠し場所か」
「そのはずなんだけどな」
「なんだよ、そのはず、って」
「ないんだよ。おっかしいなー」
フストは四つん這いになって、ベッドの下を覗き込み、あちこち手を伸ばすが、腕が綿くずみたいなホコリまみれる一方で、カード百枚の包みがない。
空き巣に入られたか。
いや、いくら熟睡モードのトキマルでも盗人が入ってくれば目を覚ます。
ひょっとして、いや、まさか、そんなことはありえない。
確率でいえば、宝くじクラスのクソ悪運だ。
でも、やっぱり……もし、そうなら……。
「起きろ!」
ベッドの足を思い切り蹴飛ばす。
「なんだよ、うるせえなあ――ああ、頭領か。おはよーさん」
「お前、働いたか?」
「はあ?」
「だから、お前、働いたかってきいてんだ?」
「カードの包みを渡すのが働くうちに入るんなら、働いたことになるな」
ガシャン――おれのなかで一番割れてはいけないものが割れた音。
「そいつが新しい売り物をくれってしつこくて、寝かせてくれなくてさ。だから、どこかにエロ札の在庫がないか探したら、さっぱり見つからない。で、売人のガキがぎゃあぎゃあうるさくせっつくから、仕方なく探してたら、このベッドの下にあった。ま、おれだって、たまには自発的に動くこともあるってことだ」
だから、なんで、それが、いま、なんですねん?
いや、だめだ、叫ぶな。わめくな。発狂するな。
今のおれに必要なのは『相棒』の杉下右京みたいにクールにふるまうことだ。
「いやあ、感心な心構えですな。トキマルくん。ところで、カードはみんな売人に渡したのですか?」
表面はおだやか。
でも、見る人がみれば、おれのこめかみで青筋が死を想起させる痙攣を起こしているのが分かるはずだ。
「一つだけ残ってる」
その最後の一つを受け取る。
「中身見てみようと思ったことは?」
「どーでも」
深呼吸をして、頭のなかで五大ファミリーの名前を唱え、手の震えを静めながら、青い包み紙を丁寧に破かないように解く。
そして、中身がよく見える状態でトキマルにカードを返す。
「これでも、まだどーでもって言えるか?」
顔の形をまったく変えなかったことは評価しよう。
だが、顔色が赤くなり、青くなり、最後はうっすら紫になり、冷や汗がポタリとカードに落ちたのを見れば、動揺のほどは明らかだ。
そんなトキマルの両肩に優しく、でも、しっかりと両手を置き、
「いいか、カードを全部回収してこい。お前の全存在を賭けて回収してこい。巨大な隕石が降ってきて、あと一時間で世界が滅びるとしても、ほっとけ、全部回収してこい。神を名乗る白いローブのじいさんがお前の前に現れて、お前をわしの後継者にしようと言ってきても、知るか、全部回収してこい。生き別れの母ちゃんが現れて、幼子だったお前を捨てたことを涙ながらに謝り、これからは一緒に暮らそうと言ってきても、蹴っ飛ばせ、全部回収してこい。わかったな? わかったら、全部回収してこい!」




