第十七話 ラケッティア、〈モビィ・ディック〉のバーテンダー。
朝起きたときは、今日はすっげえいい天気になると思って、屋根のない軽馬車でカルデロンと出かけたのだが、三号桟橋の料理屋で、上物のアルデミル・ブランデーを三十ケース、一週間以内に都合できると請け負った密輸業者とメシを食ってたら、空模様が怪しくなって、大雨がざーっ!
〈ちびのニコラス〉に戻るころには濡れて泣きます河原の乞食ってな具合で、二人してとぼとぼ〈モビィ・ディック〉に現れ、〈インターホン〉が持ってきたタオルで頭をごしごししながら、バーテンに飲み物を頼んだ。
「バターを落としたホットラムをもらおう。寒くてかなわん」
「おれはメイプルシロップを紅茶で割ったやつ。ラムなし」
紅茶を淹れた青いマグからメイプルシロップのいい香り。
飲むと胃がポカポカ温まる。
ドアにつけてたベルが鳴り、今度はアサシン娘たちが現れた。
「寒いな。春なのに、まったくよく冷える」
「ずぶぬれなのです」
「バーテンさん。何かポカポカしたもの飲みたーい」
「わたしも……ぽかぽかがいい……」
マリスには香料入りのホットワイン、アレンカにはホット・チョコレート、ツィーヌはあったかいミルク・コーヒー、ジルヴァは『ジルヴァ・スペシャル』というバーテンダーに考案させ、他のものには出させないようアサシンの誓約までさせた飲み物を頼んでいた――たぶん卵黄と砂糖入りクリームでつくったプリンみたいなリキュールにカラメルソースをかけたものだ。
「いいなあ。おれも『ジルヴァ・スペシャル』飲みたいなあ。バーテンさーん。あれと同じもの、酒抜きで」
「マスター……めっ」
めっ、てされてしまった。
悪いこととは知りながらだが、めっ、をしてくるジルヴァがかわいいので、ついつい悪いことをしてしまう。
――†――†――†――
おれが撃った弾はアーロイスの内臓を破裂させ、背骨をぶち抜いて飛び出した。
ジャックの案内で地下から脱出した後、アサシン娘たちに事情を話し、トキマルや〈インターホン〉まで連れて、アーロイスを狩りだそうと地下へ繰り出してみると、例の風が吹き上がる穴のそばで、腹を抑え、苦痛に顔をゆがめた――いや、本当はこの上なく安らかな表情のまま、死を待っていた。
そして、そのときがおとずれたとき、アーロイスは一言、
ママ。
――と、つぶやいて死んだ。
――†――†――†――
ばたん、ばたん、と大きな音を立てながら、階段を降りてくるのはトキマルだ。
たぶん寝起きで頭がはっきりしてなくて、壁にぶつかりながら階段を降りているに違いない。
ってゆーか、あいつ、まだ寝てたのかよ!
おはよーさん、と作務衣みたいな紺の寝巻のまま、端っこのお一人さま向けテーブルにつくと、わざわざ遠い位置からカウンターのバーテンへ、
「眠すぎて、朝飯食べる気分になれない。だから、昼飯まで動けるくらいの栄養があって、パリッと目の覚めるの、ない?」
そこでバーテンダーは小さなグラスに生卵の黄身を崩さないように入れて、ペッパーソースちょびっと、ビネガーちょびっと、トウガラシの粉末ちょびっとをかけて、トキマルの目の前にトンと置いた。
人呼んで〈大草原の牡蠣〉。
グラスをかたむけると、ソースをまとった太陽がトキマルの口のなかへと滑り込む。
「生卵なんて、よく飲めるな」
「兵糧丸のまずさに比べれば、このくらい、らくしょー」
――†――†――†――
アーロイスを見たとき、トキマルはすぐに葡萄畑の番人だと気づいた。
例の乱痴気騒ぎに潜入する途中で見かけたらしい。
例の検索屋に父親のフォン・クーネフ男爵であるアルマンドの資料を見せてもらったが、アーロイスの母親は娼婦としか書かれていなかった。
そこでアーロイスが葡萄畑に雇われた経緯を調べ、紹介した騎士のことが明らかになった。
カラヴァルヴァからさほど離れていない小さな領地に隠棲していた。
口がかたくてなかなかアーロイスの母親の名前は言わなかったが、アーロイスが死んだこと、しかも娼婦を憎んで殺したことを告げるとついに本当の母親の名を話した。
――†――†――†――
ディアナ、フスト、ギル・ローの印刷所軍団がどやどややってきた。
一日じゅうエロい絵ばっかし刷ってて頭がおかしくなりそうだとか、魔族の石切り場で何かが見つかりどーたらこーたらとかいろいろ言っていたが、皆が飲み物をうまそうに抱え込んでいるのを見て、どうでもよくなったのだろう、自分たちも頼もうということになり――、
「〈命の水〉。ストレートで」
「サトウキビ焼酎ある?」
「潤滑油を」
ギル・ローの潤滑油というのはかなりの難関だったが、バーテンは知識とユーモア、それに若干のファンタジーも加味して、飲めないくらい苦いコーヒーにどろりとするまで黒い糖蜜を注ぎ、コップ一杯出した。
見習い汎用人型ユニットはそれで納得し、まずそうにだが、とりあえず飲んだ。
「なぜそんなものを飲む?」
ディアナは不思議そうにギル・ローの潤滑油もどきを見た。
「それはおれが汎用人型ユニットだからだ」
フストがからかった。
「お前、まだそのビョーキなおってなかったのか?」
「ビョーキではない。おれは古代文明の叡智の結晶なんだ」
「おっ。本物の古代文明がきたぜ」
おはようございます、師匠!とギル・ローは直立不動で迎える。
――が、そこには誰もいない。
「フスト、てめえ!」
「怒んなよ、古代兵器。な、ほら、来たぞ」
おはようございます、師匠!とギル・ローは再び直立不動。
――が、そこには誰もいない。
ぎゃはははは!
笑いながら逃げるフストをギル・ローが追っかけているあいだ、フレイが店にやってきた。
「よっ、何か飲む?」
「緊急調査任務。この世界において水分補給以外の目的で飲用される液体についてのデータ量低下がアーカイブ管理システムから指摘されています」
「それって、つまり?」
「ここの飲まれている飲料全てのデータを味覚から収集します」
フレイはおれたちが飲んでたもの全部を飲んだ。〈命の水〉を一気飲みして、バター入りのラムもまた一気飲みしたが、よほどタフな酵素がいるんだろう、顔は赤くならず、酔っぱらった雰囲気もない。
ただ、〈潤滑油〉を口にしたときだけは非常にまずそうに顔をしかめた。
ギル・ローは報われない星の元に生まれたらしい。
ちなみに〈ジルヴァ・スペシャル〉は飲ませてもらえなかった。
フレイは黙って、じいっと見つめたが、ジルヴァはクーデレキャラの威信をかけ、なんとかカクテル・プライバシーを守り抜いたのだった。
カウンターに用がなかったのはエルネストだけだ。
というのも、自室にアルコールランプやらコーヒーミルやらを持ち込んで、自分で淹れたコーヒーしか飲まない。
カウンターのコーヒーは鍋に入れっぱなしの温め直しであり、コーヒー党のエルネストから言わせれば、チコリでつくった偽造コーヒーのほうがずっとマシらしい。
こうして勢ぞろいした面々に飲み物が行きわたると、バーテンと一緒にカウンターに立っていた〈インターホン〉は自分用に温めておいたエールをうまそうに飲みだした。
バーテンは長靴型のジョッキにエールを入れ、燃える泥炭を上からかぶせると効率よく熱がエール全体に伝わるとアドバイスし、実際その通りになった。
バーテンの出現で、〈モビィ・ディック〉のカウンター業務はだいぶ楽になったという。
用心棒や簡単なつまみ作り、掃除ならできるが、飲み物は各人デリケートな好みがあって難しく、手に負えなかったらしい。
このファンタジー異世界ではどろっとした荒いワインが流通していて、それを水で薄めて温めて飲む。
どれだけ水を足すか、どれだけ温めるか、香料や油は入れるか、などあれこれ客の好みを考えないといけない。
ワインの仕込一つで旅籠の成功が決まると言われるほどなのだ。
そんな難しい飲み物の注文を、それも癖の強いクルス・ファミリーの注文を、ジャックは見事にこなしてみせた。
まだ昼なのに〈モビィ・ディック〉は金曜の夜みたいに騒がしい。
フストとカルデロンが一勝負銀貨一枚で賭けビリヤードを始め、ディアナはカウンターの隅で強い酒と蝋燭の火を友に、新しいエロ絵の図柄を帳簿みたいなスケッチブックに書き散らしている。
フレイとジルヴァの『ジルヴァ・スペシャル』をめぐるにらみ合いは膠着状態、
その後ろではギル・ローがフレイの口からイカした古代オーパーツ・フレーズがこぼれるのを羽ペン片手に待っていた。
マリスとアレンカとツィーヌはトキマルとエルネストを巻き込んで、おれがこないだ教えた人狼ゲームをしている。
ルールは村人2、狼1、狂人1、占い師1。GMはおれ。
狂人エルネストが存在しない偽造人役職を宣言して狂人アピール。
占い師マリスと狼アレンカがそれぞれ占い師を宣言し、マリスはエルネストを村人、アレンカはトキマルを狼と占った。
二人の村人ツィーヌとトキマルは疑心暗鬼に陥って、お互いを処刑しようとしている。
こりゃ、狼陣営が勝つな。
プレイヤーたちが心理ゲームを繰り広げているあいだ、GMはヒマだ。
無聊を慰めるべく、〈ラケット・ベル〉の前に立ち、ポケットの小銭をまさぐった。
ちらっと、ジャックを見る。
グレーの清潔なシャツに小さなクラヴァットを結んで、カウンターに立つ姿はもう板についている。
表情は多少暗いかもしれないが、それでも少し恥ずかしそうに、嬉しそうにしている。
いい顔をしている。
もう誰も彼を切り裂きジャックとは呼ばない。
新しい名前はジャック・ザ・バーテンダーだ。
カラヴァルヴァ ジャック・ザ・リッパー編〈了〉




