第七話 ラケッティア、怒れる伯爵の口の軽さよ。
シデーリャス通りの邸宅街にはいろんなやつが住んでる。
貴族。〈商会〉の大物。一発当てた山師。軍閥の幹部。引退した大臣。エビ漁船の投資家。銀行家。伝説的なギャンブラー。王族の妾。などなど。
どいつもこいつもそれなりの悪さをして、手に入れたんだろう。
「マスターはどうして豪華なおうちをつくらないのですか?」
「あ、それ、ぼくもききたいな。前から不思議だったんだ」
アレンカとエルネストの質問におれは、あまり派手な暮らしはしたくないからだ、とこたえた。
マフィアのボスには二つのパターンがある。
一つは豪邸に住み、でかいキャデラックを乗り回すステレオタイプ。
もう一つは豪華ではないが、それなりに住みよいアパートに住み、車も一世代前のリンカーンを乗るタイプ。
おれは後者のタイプで行きたいと思っている。
そっちのほうがかっこいい。能ある鷹は爪を隠す、みたいな感じで。
それにだいたい、邸宅街のお隣さんとの付き合いは明らかにめんどくさそうだ。
どいつもこいつも、他人が自分のカネを狙ってると思い込んでるパラノイア野郎だし。
そんなおいらが、どうしてパラノイア御殿へ出かけてきたかというと、アンチョビ工場にする予定の物件を持ってるのが、ここに住んでいる金持ち――あの人間バンザイ主義者のドン・ウンベルト・デステ伯爵だからだ。
――†――†――†――
ドン・ウンベルトの屋敷はいつだって、どこかを工事している。
塔を一つ建てると、回廊が気に入らなくなり、回廊をなおすと、食堂が気に入らなくなり、食堂を二階に移すと、もう一階増やしたくなり、もう一階増やすと、西側に別の棟をつくりたくなる。
注目すべきはそれだけのカネを捻出できるということだ。
ドン・ウンベルトは妖精取引所を根城にしている。
妖精は金持ちが庭に放ちたがるフラミンゴみたいなもんで、世界じゅうの王侯貴族が自分の宮殿にかわいらしい妖精をふわふわと飛ばしたがっている。
さぞ、儲かるんだろうなと思うが、実際は大赤字らしい。
なにせ妖精は数が少ないし、羽が生えてるから、住処が気に入らなければ飛んで逃げることができる。
もちろん、呪縛の魔法もあるが、妖精は敏感な生き物だから、変に無理強いをすると死んでしまう。
妖精を死なせるというのは途方もない罪悪感を感じさせるらしいので、売った妖精が逃げたり死んだりしないよう、人間や宮殿、庭園が好きになるように優しくしつけなければいけない。
なわけで、妖精は年に一度か二度売られる程度の商売であり、高値で取引されるが費用のほうが大きい。
だから、事業としては大赤字なのだが、ドン・ウンベルトにはその赤字を屁とも思わないほどの財産がある。
ロンドネ王国内に、荘園をたくさん持っていて、全部合わせると、小さな国くらいの広さがある。
そこから途方もない収益が上がっているのだ。
だから、ドン・ウンベルトは赤字の妖精取引所を抱えていても平気な顔をしていられるし、妖精のやり取りで世界じゅうの宮廷に顔がつながっているわけだ。
これに比べれば、白騎士党の活動なんてペットにおもちゃを買ってやるようなものだが、ドン・ウンベルトはこれに心血を注いでいる。
長い長い前庭の道を歩いて、左へ大きく膨らみつつある屋敷のドアノッカーを叩くと、三秒と経たないうちに召使いが扉を開けた。
「クルスさまでございますね」
「左様でございまーす」
おれの茶目っ気にニコリともせず、召使いはプロに徹した。
「こちらへ。閣下がお会いになられます」
それから無計画に増築された廊下や部屋をいくつも通りぬけ、テニス・コートに案内された。
テニスといっても、中世のテニスで、木造の屋内にあり、ラケットがボールをぶっ叩く音が響くようにと天井を高く取り、オーディエンスにキャーワーステキって言ってもらえるために一階と二階にコートを囲むように立見席がある。
コートの真ん中にはたるんだネットがわたされていて、ドン・ウンベルトとそのテニス指南役が、でっかい木のへらをふりまわしながら、ボールをぽこんぽこんと打ち返していた。
「やあ、きみか」
スリットの下にシャツが見える運動着姿のドン・ウンベルトはなかなかの好男子に見える。
その家柄を考えれば、おれなんて虫けら同然のはずだが、実に親しげなお言葉をかけてくださった。
売買契約書は立見席みたいな回廊の角にテーブル付きで用意されていた。
変な魔法のインクが使われていないか、レトリックのなかにおれをハメるような要素がないかをアレンカとエルネストに確かめてもらい、金貨にして百枚で建物を買い付けた。
でも、考えてみると、金貨百枚なんてドン・ウンベルトにとってははしたカネであり、道に落としても拾う気すら起こらない。
売買契約が済むと、世間話が始まる。
むしろ、こっちのほうが相手の目的かもしれない。
「ドン・ヴィンチェンゾにも知っておいてほしいのだが、この街は種族の危機に陥っている」
「といいますと?」
「馬鹿な成金どもの乱交だ。もちろん、それが女神がお創りになった最高の種族である人間同士であれば、問題ないが、そこにはエルフの娼婦はおろか魔族の淫売までいるという話なのだ」
おっと。思わぬところから話が出てきた。
「それについては叔父も心配してましてね。ほら、あの娼婦の連続殺人。馬市の空き地で見つかった死体は殺される前、金持ちの馬車で連れていかれたそうなんですが、もし、その金持ちが事件にかかわっていたら、蜂の巣をつついたような大騒ぎになるって」
「ハッ! まさにわたしが言いたいのはそれなのだ。いいかね? やつらは郊外の屋敷に女たちを集めて、血の混合を行う。混血をつくろうとしているのだ。種族の純潔の危機だよ。まったく!」
「じゃあ、ドン・ウンベルト、あなたは彼らが事件にかかわっているとお考えで?」
「最高種族の純潔を穢して快楽に溺れるようなモラルの持ち主どもだ。女を切り刻むような真似をしたときいても驚かん。だが、やつらは大切なことが分かっていない。わたしはやつらがどこで何をしているのか正確に把握している。実際、警告も出した。バカな真似はよせ。地位も家族もある人間が異種族の淫売と寝るなんて言語道断だと。そんなに精力をもてあましてるなら、テニスで発散したまえとな! だが、きく耳をもたない。あざ笑いもした。やつらはわたしが場所を知らないと思っているが、わたしは知っているし、このままにはしておく気はない」
カマかけターイム!
「叔父も言ってました。彼らの選んだ場所は軽率さの表れだと」
「そのとおりだ。やつらはエスプレ川沿いの葡萄園に集まっている。それで目立ってないつもりなんだろうが、夜中にあんな町外れに二頭立ての馬車が次々やってくれば、嫌でも目立つ。思慮を失ったものはどこまでも無思慮で無謀になるものだ」
いえーい! カマかけ大成功!
――†――†――†――
カラヴァルヴァに初めてやってきたとき、川をさかのぼる船からその葡萄園を見た。
からっと乾いた丘に葡萄の木が並んでいて、農夫たちの家や小舟をもやった桟橋、打ち込まれた杭などがちらほら見えたのだが、そこに確かに小さな城があったように覚えている。
とはいっても、丘の反対側にあったので、尖塔や銃眼を刻んだ屋根くらいしか見えなかった。
三人目のイザベラ・ルーシェが連れていかれた可能性は高いし、空振りになるかもしれない。
でも、探ってみても損はない。
脱力忍者を釣るため、そしてジャックを尾行してるジルヴァとツィーヌをねぎらうためのたい焼きを焼きながら考えていると、おおっと、ジルヴァとツィーヌが帰ってきた。
ツィーヌはたい焼きをじーっと眺めてから、はあ、とため息をついた。
「面目ないけど、まかれちゃった」
「ジャックのやつ、気づいたのかな?」
「わかんない。とにかくひどく用心深いのは間違いないけど」
「昼のあいだ、ジャックはどんなところにいた?」
「ロデリク・デ・レオン街から西には行ってない。昼間からやってる酒場をいくつもまわってた」
「なかで何してるかまでは見えた?」
ジルヴァが、ふるふるっ、と首をふった。
「気づかれそうだったから……」
「うん。ここまで調べてもらえばありがたやだよ」
「で、マスター」
ツィーヌの目がきらっと光る。
「ジャックがやったと思う?」
それな。酒場をまわったってのは、昼のうちから次の娼婦を物色してた可能性がある。
「酒は?」
「わたしたちが見た限りでは飲んでない」
酒を飲む以外の目的で酒場にいくやつがいるとすれば、ガールハントくらいだろう。
ジャックの容疑はどんどん濃厚になっていくのに、おれはまだ、あいつじゃないと思いたがっている。
これは何なんだろうな。
「ともあれ」
たい焼き器を開け、ほくほくのたい焼きを二人の前に落とす。
「今夜。葡萄園だ」




