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ラケッティア! ~異世界ゴッドファーザー繁盛記~  作者: 実茂 譲
カラヴァルヴァ ジャック・ザ・リッパー編
170/1369

第四話 ラケッティア、アンチョビ王になりたい。

 イヴェスが出した硬貨は集めて袋に入れて、カウンターに隠させた。

 あとでやっぱり取りにくるかもしれない。


 まあ、そんなことするくらいなら、始めから賄賂もらって、もっとマシなところに住むだろうけど。


 おれはせっかくのゴッドファーザー・モードなので、このままツィーヌを連れ立って、リーロ通りを出る道を歩いた。


「なあ、ツィーヌ。ジャックのこと、どう思う?」


「わたしがどう思うかって? そりゃ、怪しいと思うし、なんでマスターは追い出さないんだろうって思う」


「フレイがうちに来たときはそんなに追い出す追い出す言わなかったな」


「うん」


「でも、ジャックは追い出したい」


「そうね」


「なあ、ツィーヌ。これはおれのカンだが、ジャックは誰も殺さない生き方を選んで、誰かに追われてるとおれは思ってる。だから、ツィーヌ、お前に頼む暗殺がジャックのほうに流れることはない」


「……ほんと?」


「ほんともほんと。魔族風にいうと、マジでサタンな話」


「そ。まあ、それなら、もう少しくらいなら居させてやってもいいかな」


「なあ、ツィーヌ。これはツィーヌの誇りにも関わる問題だからさ。おれもこうあれこれ言えないけど、ツィーヌはおれにあげられる一番は自分の暗殺の腕だと思ってる。でも、おれが本当にツィーヌから受け取ってる一番は元気に笑って無事な姿のツィーヌなんだよ」


「な、なに言ってんのよ!」


 と、背中をバンと叩かれる。


「ツィーヌ、今のおれ、ジジイだから! そんな叩かれると腰やっちゃうから!」


「ご、ごめん。でも、でも、マスターがヘンなこと言ったから、その……」


「やっぱり嫌だった?」


「嫌だなんて言ってないじゃない。その、嬉しかった」


 ツンデレのデレ全開ですよ、よい子のみなさん。

 さっきの背中バン!で腰が逝きかけたけど。


     ――†――†――†――


「で、マスター。これから何しに行くの?」


「合法企業に投資しようと思ってる」


「???」


「ほら、あれ見てみ」


 リーロ通りを北上する荷馬車にカタクチイワシが山と積まれている。


「市場の売れ残りだ。あれを畑の肥料に使うらしい」


「さぞかし立派な野菜が育つでしょうね」


「でも、イワシ数十匹をぶちこんでキャベツが一つじゃ効率が悪い。カラヴァルヴァは明らかにイワシの供給が過剰だ。だから、そのイワシを別の需要を生み出して、ちょいと儲けようと思ったわけ」


「でも、それ、マスター的にはいいの?」


「ベイエリアの魚市場に水産会社を通じて食い込むのって、すごくイタリア系マフィアっぽいからOK。それにおれ、この水産会社にはアンチョビをつくらせるつもりでいる。幸い、ここにはアンチョビと相性抜群のスパゲッティ文化がある。イワシとして食べ切れなかった分を、アンチョビという一種の調味料にし世の食卓を狙うには絶好の環境だ。ピザにのせてもうまいし、細かく刻んでからゆでたじゃがいもにまぶすのもいい」


 アンチョビ工場の立地としてはまず新鮮なイワシが欲しいので、イワシの水揚げ場から近いこと。

 それに缶に詰めて塩水をかけながら発酵させるとき、缶を四メートルくらいの高さまで積み上げるから、天井が低い建物はペケ。

 荷の出し入れの利便を考えて、あまりごちゃごちゃしてるところは良くない。

 荷馬車が一度に三台は入れる出荷口が欲しい。


 そうやってあちこち見てまわり、望みの物件が見つかったころには日が暮れかけていた。


 カラヴァルヴァの三月は基本的に温かい。夜も然り。

 ときどき冬を思わせる冷たい雨が降ることもあることはあるが。


 日暮れ時の魚市場は人気がない。

 空は薔薇色なのにあたりは建物の陰に入ったように暗い。


 朝から昼にかけて、屋台がぎゅうぎゅう詰めになる広場も今はがらんとしている。

 靴底が敷石を踏む音がどこまでも響き、そして跳ね返ってくる。


 だが、まったく無人というわけではない。

『暗い』と『人気がない』という二つの条件が重なって出てくる連中もいる。


「黄色い煙は嬉しい煙、赤い煙は怒りっぽい煙、青い煙は悲しい煙、緑の煙は楽しい煙。どれか吸いたい煙はあるかい? イーヒッヒッヒ!」


 虹色の煙がもくもく湧き上がる半地下の酒場の前で老婆がケタケタ笑っている。

 日中、ここは通路なのだが、日が暮れると粗末なテーブルが持ち込まれ、アタマがクルクルパーになる煙の愛好家たちが集まって、お望みどおりクルクルパーになる。


 呼び込み役の老婆はもう煙を吸わなくても、ラリっていられる安上がりの境地に達したらしい。

 これは全てのヤク中が夢見る段階で、その境地に達するのが先か、内臓が全部ダメになってくたばるのが先か、あるいはサアベドラに見つかって死ぬほど痛めつけられるのが先かと手に汗握るデッドレースとなっている。


 さて、来た道を帰るにはこのクルクルパーたちを蹴散らしながら、半地下の通路を進まねばならない。

 しかし、煙っぽいその通路ではヴェルサイユ条約も真っ青の化学戦争の真っ最中で、入り口に立っただけで吐き気がしてくる。


「マスター。他の道にしない?」


「うん。これ、無理」


「それと、マスター。元の姿に戻って」


「えー」


「はやく」


「はいはい」


 魚市場となると、生もの扱っての歴史も十年二十年ではないので、魚がいなくても生臭い。

 そんななか、こそこそ動きまわるのはろくなやつではない。

 昼間に下宿屋のおかみがサバを買う場所では市政にかかわるお偉方が顔を覆面で隠して若い男娼を買い、ルール不明の独自な符丁でシタビラメを競売する小さな煉瓦堂ではルールどころか賭け方すら分からないゲームが進行中。

 おれとツィーヌはまもなく閉まった魚屋がつくる迷路のなかに迷い込んだ。


「ここ、どこなの?」


「さあ?」


 崩れかけの煉瓦の平屋に囲まれ、ランドマークのようなものを空に見出すことができない。


 だが、水が流れる音がきこえた。

 きっとどこかに流れっぱなしの水汲み場があるに違いない。

 その手の便利な水汲み場は大勢の人間が使うから、大きな道がそばにある。

 大きな道をとにかく北にあるけば、北河岸通りに出られるはずだ。


「ほら、水が流れてる。しかし、金臭い水だな。この市場の食品に対する安全管理を疑うね。何か悪さする金属が溶けてるんじゃないか?」


 ツィーヌはクンクンと空気を嗅ぐと、血流しに毒が塗られたナイフを抜いた。


「マスター、下がって。これ、血の臭いよ」


 誰かが遠ざかる足音がきこえた。

 ツィーヌはナイフを手にゆっくり角から様子を見て、一気に走った。


 おれも慌ててついていく。


「マスター、ストップ」


「え?」


 ボルトが飛んできて、おれのすぐそばの壁で火花が散った。


「待て!」


 ツィーヌの鋭い叫び声。


 足音は遠ざかっていく。

 おれはというと、クロスボウの的になるのを覚悟で灯のついたランタンを持ちながら、ツィーヌを追って走った。


 いや、走ったというには足の進みはのろい。

 芯を切りそろえるのを後回しにしたランタンが照らしてくれるのはせいぜい五十センチくらい。


 そっちに建物があるか通路になってるかくらいは分かるが、娼婦を切り刻んた連続殺人鬼が宗旨変えをして、男も殺っちまおうと秘かに決めて身を潜めているかどうかは分からない。


 あんまり暗いもんだから、よく分からないうちに大きな建物に入ってしまった。

 大きな桶のようなものがいくつもあって、塩っ辛い匂いがする。

 床は水びたしで歩くと、ぴちゃぴちゃ音がした。


 その塩臭さに金臭さが混じり始めたのが分かったときだった。


「マスター、ストップ」


「ツィーヌか? やつは?」


「逃げられた。それより動かないほうがいいわよ」


「どうして?」


「こっちには、たぶん見ないほうがいいと思うものがあるの」


「そ、それって死体?」


「うん。それもかなりひどい」


     ――†――†――†――


「だから、ここには工場にする物件を見に来ただけなんだって」


 一時間後には治安裁判所の警吏たちが殺到し、魚屋の鎧戸に数十のランタンが引っかけられ、証拠探しが始まった。


 おれはというと、大きな桶が並んだ建物――魚の塩漬け場にてイヴェスの尋問を食らってる。


「今日の午前、お前の叔父から娼婦殺人が連続殺人鬼の仕業だと言われ、その日の夜に死体が出た。同じ手口でな。無関係だと見逃すほど馬鹿じゃないぞ」


「今日の午前に娼婦殺人のこと話して、自分でその日の午後に犯行を犯す? おれ、そんなに馬鹿じゃないよ」


「誰か逃げたものは見てないのか?」


「ツィーヌが追いかけた。逃げられたってさ。顔は見てない」


「お前の叔父が渡した二つの名前も同じ犯人によるものなら、そいつはこの二週間で四人の娼婦を手にかけたことになる」


「言っとくけど、おれたちは犯人に捕まって欲しいと思ってるんだよ」


「そんなことは分かっている」


「身元は?」


「まだ不明だ」


     ――†――†――†――


 ツィーヌとおれが治安裁判所から解放されたのは真夜中のことだった。


〈ちびのニコラス〉に戻ると、ジャックに出くわした。


「あ……」


「よお。そっちも外出か?」


「ああ」


 ジャックが階段を上っていくのを見ながら、ツィーヌにたずねた。


「犯人の顔はちらっとも見てないんだな?」


「見てないけど、消え方はうまい」


「ツィーヌと同じくらい?」


「そう。わたしと同じくらい」


 ツィーヌも追いつけない身体能力の持ち主。

 切り裂きジャックの人物像に一つ追加された特徴だ。


「ジャックはどのくらいの暗殺者アサシンだ?」


「……疑っているの?」


「かもしれない」


「……腕はいいと思う」


「ツィーヌに追っかけられても逃げられるくらい?」


 少しの間。一秒……二秒……三秒……。


「そうね。そのくらいはできると思う」


「そうか」


 階段に座って、ジャックが切り裂きジャックと考える理由と考えられない理由を頭のなかにぶつけてみた。

 どうも、情勢は芳しくない。


「もし、マスターが望むんなら……わたしたち、交代でジャックを見張ってみるけど」


「え、どういうかぜの吹き回し?」


「どうせ犯人探しするんでしょ? マスター、結構、変なことに首を突っ込みたがるから」


「たはは。おっしゃる通り」


「で、見張りはどうする?」


 ふと、ジャックの悲しげな顔が脳みその裏にセピア色に甦った。


「ああ。頼む。ジャックを見張ってくれ」

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