第三話 ラケッティア、バーテンの条件。
〈ラ・シウダデーリャ〉の一階には小さな酒場がある。
煉瓦と鋳鉄の火床。タイル張りのカウンター。粗野だが頑丈な丸テーブル。
端の台の上にはスロットマシン〈ラケット・ベル〉が二つ。
スロットマシン狂時代は落ち着きの収益安定時代に入りつつある。
ここに一人、バーテンを置いている。
シルヴェストロ・グラムという四十半ば過ぎのこわもてで昔は街道筋で強盗をしていたとか。
やったことはバレなかったが、やってないことで逮捕され、足を締め潰される拷問を受け、現役を引退せざるを得なくなったそうだ。
そのせいか、警吏や捕吏に対する憎悪は半端なく、もし司法の子分が自分を少しでもコケにしようなら、後先考えずにぶち殺しにかかるだろう。
一階の酒場は捕吏たちに安ワインをタダで振舞っているが、調子に乗って、店を汚したり、市場を出入りする客から直接賄賂をせびったりしないよう、このグラムを雇い入れた。
体格はがっしりしていて、首は太い。
だが、大きな口髭と後退した額のあいだには怒りの燃えた二つの目がランランと光っていて、捕吏を殺せる口実に飢えている。
おかげで捕吏たちはここでは大人しく酒を飲む。
あくまでこっちがカネを払ってるんだということをきちんと教えないと、警吏や捕吏は図に乗る。
その意味ではグラムはまさに適材だ。
そんなグラムがシチューを煮込んでいる。
今日のシチューはウサギらしい。
おれはというと、ゴッドファーザー・モードのまま、カウンターに座り、グラムと世間話をしている。
「また、街道沿いで殺しがあったそうだ。とられたのは銀貨で三十枚だと」
「下手くそ野郎が増えましたよ、ドン・ヴィンチェンゾ」
「昔はよかった、なんて言ったらふけるぞ」
「そうは言っても、それが事実なんだから仕方ありやせん。昔の街道盗賊は技を持ってた。道沿いのいくつかの宿屋に手下を送って、次に通る旅人がいくら持ってるか、きちんと知った上で襲ったもんです。そりゃ、力に物言わせたことはあったし、殺しもやったけど、銀貨三十枚のために殺したことはありやせんよ。そんなはしたカネでカルボノの斧の世話になるなんて、バカみてえじゃないですか」
「カルボノというのはこの街で罪人の首を斬って長いのかい?」
「見習いだった時期を抜いても三十年はやってるはずです、ドン・ヴィンチェンゾ。死刑人は死刑人になるしかねえんですよ。やつの親父が死刑人で祖父さんも死刑人、もちろんひい祖父さんも死刑人ってわけで、すると今度はやつのガキも死刑人で孫も死刑人になるってわけでさ。でも、あまり知られちゃいませんがね。カルボノ一族は腕のいい医者なんですぜ。そこらの床屋外科医なんて目じゃありませんや。なにせ、やつらには新鮮な死体がごろごろ手に入りますからね。それで人間の体の仕組みを知っちまうわけです。カルボノは死刑以外にも腕を切り離すとか焼き印を押しつけるといった刑もやりますがね、普通の死刑人なら腕なり足なり切った後、壊疽を起こして結局死刑とおんなじことになっちまうんですが、カルボノの体罰刑は絶対に死なないし、前より元気になるくらいなんですよ」
「手足失ってもか?」
「手足ちょん切られてもです。体を針と糸でつなぎ合わせるとか、やっこさんには軽いことなんです。まあ、もとは自分たちのために医者の勉強をしたそうです。なにせ死刑人だから、どこの医者も診てくれない。死刑人ってのは嫌われやすからね。で、仕方がないから、死体を使って医者の勉強をしたってわけで、今では、他の医者がさじ投げた病人を治したっていうんで評判なくらい」
「そんなやつがいるんだなあ。お前、警吏や捕吏は嫌っているが、死刑人はどうだ?」
「少なくとも公平なやつです。貧乏人だから容赦がなかったり、金持ちを手加減したりするわけじゃありやせん。結局のところ、おれにはおれの生業があって、やつにはやつの生業がある。おれは盗むのが仕事で、あいつは首をちょん切るのが仕事。どうしようもありませんや」
「意外な意見だな」
「あっしだって手当たり次第憎んでるわけじゃありやせん。それだけの理由があるやつをぶち殺したいほど憎んでるんでさ」
「これからここに治安判事のイヴェスが来るが、あいつはどうかね?」
「これからの一生で絶対にぶち殺さないという保証はできませんや。やつをぶち殺すか、三十年臭いメシ食らうかだったら、ぶち殺します。でも、まあ、あいつは少なくとも点数稼ぎで人をしょっぴいたりはしやせん。その点はまあ、評価できやす」
ドアが開くとアサシンウェアのツィーヌが短剣一本をベルトに差して現れた。
「マスター、もう来てる」
おれは懐中時計を出した。
「一時間はやいが、まあ、いいか。はやいほうがいい用事だ」
イヴェスは一人でやってきた。
一張羅の外套に剣とピストルは相変わらずだ。
黒一色でかためたツィーヌとカウンターの向こうでシチューを煮込んでいるグラムに一瞥すると、おれの隣に腰かけた。
「市場は盛況なようだな」
「見たのか?」
「ああ」
「まあ、賑わっている。それは確かだ」
そして、それ以外のことはあんまり確かにしたくない。
イヴェスのほうも今回の用事はそんなことではないと分かっているのだろう、おれが本題に入るのを待った。
おれは〈杖の王〉から受け取った羊皮紙の切れ端を渡した。
「ミーガン・メイスとイレディア・ランスフォード。これは何だ?」
「この二週間のあいだにカラベラス街で殺された娼婦の名前だ。二人とも喉を切り裂かれて死んだ。腹を裂かれて内臓が飛び出し、子宮だけが切り取られていたそうだ」
「……間違いないのか?」
「気になるなら〈杖の王〉に直接きけばいい。いや、〈王〉は自分の言葉じゃ信じないから、わしに託したんだったな。この二人を殺したのと同一の手口だったのだろう? 馬市の空き地で見つかった死体」
「まだ身元は特定されていない。だが、おそらく娼婦だろう」
「この街に夜な夜な娼婦を切り刻む殺人鬼がいる。この二週間で三人がやられた。しかも、街の東西の端でやられた。これが意味するところは分かるだろう? この街に安全な場所がなくなったってことだ」
「……聖院騎士団が来ているぞ」
話をそらされたが、でも、これも結構重要な話だ。
「どんなやつが?」
「少年だ。だが、騎士判事補なのだから、能力は折り紙付きということになる」
「で、あんた、その騎士判事補にわしを何と紹介した?」
「伯父、甥ともども使い道のある悪党だと教えておいた」
「それは光栄。ただ聖院騎士があんたの清濁併せ呑むようなやり方に納得が行くとは思えん」
「学ぶさ。この街なら」
おれはうなずきつつ、はたから見ると赤ワインにしか見えない葡萄果汁を飲んだ。
「お互い、交換すべき情報はもうないな」
「ふむ」
「では、失礼させてもらう」
「たまには運を試してみたらどうだ?」
おれが銅貨を一枚、ピンと指で弾くと、イヴェスはそれを宙でパシッと取った。
銅貨を一枚〈ラケット・ベル〉に入れて、レバーを引き、スロットがまだまわり終わらないうちに出て行く。
ベルが三つのジャックポット。
機械から銅貨がジャラジャラと滝のように流れ落ちた。




