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ラケッティア! ~異世界ゴッドファーザー繁盛記~  作者: 実茂 譲
カラヴァルヴァ ジャック・ザ・リッパー編
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第一話 騎士判事補、現る。

 サンタ・カタリナ大通りを西へ進むと、舗装の石が消え、土の道にいたる。


 その先には大きな空き地があり、年に一度、馬市が行われる。


 馬市自体は馬の取引以外にもさまざまな催しがなされ、教会が絡まない祭りということもあって、それなりにハメも外す。


 だが、馬市のないあいだ、そこは荒野でしかない。

 浮浪者が何人かテントをつくって住み着いている他には建物らしいものは一つしかない。


 屋根のない小さな礼拝堂。


 正面をつくったところで資金が尽きて放置されたので、それは建物というよりただの壁に過ぎない。


 だが、カラヴァルヴァに来て、間もないその浮浪者はそんなことは知らなかったから、冷たい三月の雨から逃れられる廃屋が見つかったと喜び、礼拝堂へ飛び込んだ。


 そのとき、浮浪者が見たものを、今、ロランドが見ている。


 女は左の靴下以外には何も身にまとっていない。

 乳房がどちらも切り取られ、切り裂かれた下腹部からは内臓が押し出されたように左へ広がっていた。

 足は広く開いていたから、おそらく犯されている。死んだ後か、死ぬ前か。


 顔のほうは喉が深く切り裂かれ、口は右側が耳まで切り裂かれていたが、左側は無傷だった。


「左側もやろうとしたところで人が来て、逃げたのか?」


 こみ上げるものを我慢できず、吐いた。

 それでも現場は汚すまいと、礼拝堂から出て、左のほうへ走り、小さなドブ川に辿り着くくらいの余裕はあった。


 三度目ともなれば、たとえ嘔吐でもコツのようなものがつかめるものだ。

 胃液を吐き、歯がじゃりじゃりした気がする。

 すっぱさがなくなるまで、唾を吐いた。


 三度も吐いた自分を見て、警吏や捕吏たちが笑っている。


 ロランドが戻ってきても笑うのをやめなかった。


 馬鹿者たちのなかで最も図体がでかく性格のねじ曲がったやつに目をつける。

 ロランドが近くに寄ると、なんだよ? とへらへらしながらたずねた。


 足を振り上げ、股間を蹴飛ばす。

 呻いて、下がった顎に掌打をぶち込み、意識を刈った。


「女が一人、惨殺されている。笑うようなところじゃないだろうが」


 倒れた男に背を向け、現場へ――礼拝堂へと戻る。


 カラヴァルヴァに来たとき、先任の騎士からこの街の司法官はみな腐敗していると忠告を受けていた。

 しかも、賄賂を絶対に受け取ろうとしない聖院騎士団のことはもはやなめている。


 カラヴァルヴァの腐敗は上層部まで及び、聖院騎士団をもってしても浄化ができない。


 だから、警吏や捕吏、判事たちは全員、きみの敵だと思っておくことだ。


 だが、一人だけ例外がいる。その名は――


 礼拝堂に戻ると、自分が吐いているあいだに入ったのだろう。

 黒い外套をきた男が、被害者の死体のそばにひざまずき、その切り裂かれた傷を熱心に見ている。


「いちいち相手にしないことだ」


 男が言った。


「やつらの怠慢ぶりに腹を立てるたびに殴っていれば、一年じゅう、手を骨折する羽目になる」


 あなたは? とロランドがたずねると、男は立ち上がった。


「治安判事のコルネリオ・イヴェスだ。それにわたしの助手のギデオン・フランティシェク」


 助手、と呼ばれた少年が暗闇のなかから姿を見せ、よろしく、とにっこり会釈した。


 イヴェスに紹介されるまで、そこにいたことすら気がつかなかった。


「聖院騎士団、騎士判事補のロランドです」


 動揺が声の高さに現れた気もしたが、そんなことを気にする自分に喝を入れてやりたくなった。


 女性が一人、考えうる限り最悪のやり方で殺害されているのだ。


「ここには着任したばかりか?」


「はい」


「着任早々ひどい事件にぶち当たったもんですねえ」


 ギデオンがいつの間にか真横にいた。


「ギデオン。死者に敬意を」


「はいはい」


 イヴェスはまたしゃがみ込むと黒い手袋をはめ、死体の傷や外に流れ出した内臓に触れ始めた。


「検死ができるんですか?」


 判事は首をふった。


「だが、これが魔物や野良犬がやったのか、それとも人間がやったのかくらいは分かる。魔物がやったにしては傷が大人しい。鋭利な刃物で切ったらしいが、どれが致命傷になったのか分からない」


「検死のできる医学者は?」


 これをきくと、ギデオンがくすっと笑った。


「ギデオン」


「すいません。ええと、ロランド判事補? カラヴァルヴァには検死のできる医学者がいません。検死なんてお金にならない仕事をしたがる医者がいないんです。そこでカラヴァルヴァでは変死体の検死は――」


「死刑執行人がやる」


 振り返ると、扉のない門に大柄な男が立っていた。

 ごま塩の顎髭をたくわえた赤ら顔の男で大きな頭の上にツバのないフェルト帽がちょこんと乗っていた。

 帽子も外套も黒く染められていて、首に巻いたクラヴァットすら黒かった。


「遅くなってすまんな」


 男が差し出した手をイヴェスはしっかり握った。


「いや。我々も今来たところだ」


「そっちの騎士は? 初めて見る顔だ」


「聖院騎士団の騎士判事補だ。名前はロランドという」


「そうか。おれはカルボノだ。死刑執行人で、非常勤の検死医もやっている。どれ、今日の死体は……なるほど、こりゃ、ひどいな」


 ひどいな、と言いながら、カルボノは少しもひるむことなく、ドロッとした内臓に手を突っ込み、緑色の袋状の臓器や肉の切れ端を横にえり分けていく。


 その様子にまた吐き気がこみ上げた。


 そんなに長く場を外したつもりはなかったが、戻ってきたときにはカルボノはバケツのなかの水で手を念入りに洗い、いつも持ち歩いているらしい小さな石鹸をこすりつけていた。


 それで、とイヴェス。


「分かったことは?」


「死因は喉を切り裂かれたことによる失血死だ。手に縛った跡があった。肝臓がボロボロだ。たぶん娼婦かそのあたり。左手の薬指に指輪の絵が入れ墨されていた。物取りじゃないって言ってたな」


「銀貨が十三枚入った袋がそこに放置されていた」


「かといって怨恨でもなさそうだ。怨恨で誰かを殺すやつはたいていメッタ刺しにする。で、一突き目であっけなく殺しちまって、それを後悔して、死者を苛むためにメッタ刺しにする」


「間違いないんですか?」


 ロランドがたずねると、カルボノは微笑し、


「どんな悪党でも斬首の前日には嘘はつかんもんだ。で、話の続きだが、この死体、確かにひどい状況だが、メッタ刺しとは趣が異なる。うまいんだ。人を切り裂くのが。筋を切るときは刃を垂直にあてて引き、両方の乳房を切り取ったあとも、肋骨ギリギリまで刃を入れているが、骨にぶつかった痕がない。つまり、この死体は肉と内臓はひどい状態だが、骨には傷一つついていないってことだ。やったやつは肉を切ることに手慣れていて、それが職業かもしれん」


「屠殺業者をあたれということか?」


「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん」


「というと?」


「子宮がない。きれいに切り取られているんだ」


     ――†――†――†――


 聖院騎士団支部のある建物の裏に官舎がある。

 ロランドはそのうちの一つに住んでいる。

 部屋が三つ。厨房が一つ。

 雇い入れた老僕が食事などをしてくれている予定になっている。


 部屋には梱包した荷物がそのままになっていた。

 到着してすぐ、例の事件のことを知り、現場に駆り出されたのだ。


 聖院騎士団は――これは誉められたことではないが――娼婦殺しなどを追うことはない。

 もっと大きな悪、たとえばクルス・ファミリーのようなものを追う。


 だが、ここカラヴァルヴァでは官吏の腐敗は度し難く、そのために聖院騎士団はどんな事件にでも関与し、事件がいい加減に処理されないよう監視しようとしているのだ。


 雨でずぶ濡れになった騎士外套をえもん掛けにかけると、疲労を感じて、ベッドの上に仰向けに倒れた。


 この数か月、ロランドは誤った線を追っていた。

 クルス・ファミリーがディルランド戦争に関わっていたという線だ。


 だが、ディルランドにおいてクルス・ファミリーに不利な証言をしようとするものはいなかった。

 様々な都市、それに監獄で確かにクルスの痕跡は見つけたのだが、誰一人それについて証言しようとするものはいない。


 そして、新国王となったユリウスは恩義があるとすら言った。


 犯罪組織が一つの王国にここまで浸透した例はない。


 結局、ディルランドでのクルスの足取りを追うことはあきらめ、そして、途絶えた足取りからクルスの次の目的地を探して、右往左往した。


 そのうち、カラヴァルヴァ支部からクルス・ファミリーが不思議な遊戯機械を設置しているという情報がついにとうとうロランドのもとに届き、カラヴァルヴァに急行したのだ。


 そして、出くわしたのはこの事件だった。


 被害者は娼婦。

 犯人は人体の構造に詳しい人間。

 どこを切れば人が速やかに死に、どこを切れば子宮を傷一つつけずに持ち去れるか。

 それを知っている。


 屠殺屋。剥製技師。外科医。暗殺者。それに死刑執行人。


 だが、迷宮入りする可能性が高い。


 殺されたのは娼婦であり、名前すら分からない。


 だが、この街で売春を行うものは〈商会マフィア〉のどれかに属し、カネを吸い上げられている。

 自分たちの稼ぎ手が一人減ったことを知れば、〈商会マフィア〉のほうから動いて、それで身元も知ることができるだろう。

 それがカラヴァルヴァ流なのかもしれない。


「でも、それじゃ遅すぎる」


 一人の娼婦殺しにまで聖院騎士が派遣される理由は、この街では正義が死に絶えつつあるからだ。


 それを防ぐのが自分の仕事だ。


 だが、一つ、心に引っかかっていることもある。


 クルス・ファミリー。

 やつらはここにいる。すぐそばにいるのだ。

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